ウパニシャッド:古代インドの奥義書を解説

古代インド神話や宗教哲学を描いたヴェーダは、無数に存在しています。

そして、そんなヴェーダの集大成とも呼べるのが、ウパニシャッドです。

今回はヴェーダのなかでも奥義書と呼ばれるウパニシャッドについて解説していきます。

ウパニシャッドに描かれているものは、どういったのものなかをご紹介していきます。

ウパニシャッドに記された哲学

ウパニシャッドの成立はヴェーダ時代の後半

ヴェーダが成立したのは、紀元前1000年~紀元前500年頃とされています。

このヴェーダが編纂されていく時代において、ウパニシャッドの誕生は後半の時代に位置します。

最も古いウパニシャッドは、紀元前800年~紀元前500年に成立したと考えられているのです。

どうしてウパニシャッドは他のヴェーダよりも新しいのか?という疑問には、もちろん理由があります。

ウパニシャッドの成立はバラモン教の抱いた反省から

ウパニシャッドが編集されるようになったのは、ヴェーダを聖典として用いていた古代インドの宗教であるバラモン教の状況が関与しています。

バラモン教は時代が過ぎるとともに、「形式的な宗教」へと変化していたとされるのです。

司祭であるバラモンたちが、ただの祭祀を司るだけの役割へとなっていることに対して、バラモン教の内部から批判が生まれます。

形式だけでなく、内面も見つめ直すべきだという改革の流れが誕生したことにより、バラモンたちは自分たちのバラモン教の哲学的な完成を模索することになるのです。

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ウパニシャッドとそれまでのヴェーダの違い

古代のインド神話を描写することが多いのが、ヴェーダの特徴です。

神々を何らかの象徴的な存在として、物語を描いていくことにより、世界観や宇宙観を読み手あるいは聴き手に伝えていくことが、特徴的な聖典になります。

しかし、ウパニシャッドはヴェーダのなかでも神話的な物語の描写がそれなりには抑えられており、あくまでも理論的な説明を中心として発展していったものです。

神話的な要素ばかり強かったヴェーダにおいて、ウパニシャッドは哲学的な存在という立場になります。

ウパニシャッドは、バラモン教の哲学的な完成、あるいは自分たちのアイデンティティの再確認や、理論の深さを求めて作られた文献群になるのです。

もちろん、そうは言っても古代の宗教書でもあるため、宗教的な神秘性は失われておらず、理性だけで描かれたような哲学では全くないものになります。

神秘の世界の正しさを、哲学的な論法を使って証明していくというような作品群が、ウパニシャッドなのです。

ウパニシャッドに描かれたウパニシャッド哲学

ウパニシャッドは108ある

ヴェーダも膨大な数がるのですが、そのなかの一部であるウパニシャッドの数もまた膨大な数になります。

ウパニシャッドは108あるとされているのです。

この108という数は、インドでは聖なる数とされています。

数珠の玉の数などにも、この108という数が使われており、つまりはウパニシャッドも神聖なものであるという属性を与えられた書物になるわけです。

なお、煩悩の数も108個あるとされています。

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ウパニシャッド哲学にある梵我一如

ウパニシャッド哲学において最も特徴的な考え方が、「梵我一如(ぼんがいちにょ)」になります。

これこそがバラモンたちの目指した、究極の「悟り」なのです。

梵我一如の、「梵」とは、宇宙の根源的な真理そのものになります。

「我」とは、平たく言えば自分自身の精神のことです。

宇宙の真理と自分の精神は、一体なのであるということが、ウパニシャッド哲学の奥義となるわけです。

ウパニシャッドにおける梵我一如の解説:ブラフマンとバラモン

「梵」とは「ブラフマン」の意味であり、ブラフマンとは「変化させる力」といった意味になります。

ブラフマンは物質で構築された世界を、儀式や生け贄というという方法で変える力であり、バラモン(ブラフミン/カースト最上位の司祭階級)はその力を有しているとされたのです。

バラモンは、ブラフマンという世界を変える力と一体化することが出来る存在なのだとされています。

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ウパニシャッドにおける梵我一如の解説:ブラフマン(梵)の定義

ブラフマンは世界を変える力であり、宇宙の真理です。

ブラフマンは世の中に存在している全ての物質や現象の「背後」に存在しているもので、ブラフマンがあるから世界は成立しています。

つまりは「世界の根拠」や「宇宙が存在出来ている根源的な理由」とも言えるものであり、究極不変の増減のないもの、真理というものになるのです。

宇宙が存在するための「ルール」のようなものになります。

全ての存在にブラフマンという「ルール」は影響を及ぼしているため、事象を司っているインド神話の神々も、ブラフマンという「ルール」の一つです。

初期のヴェーダにおいては、全ての神々はブラフマンから生まれたとされています。

ブラフマンは、それほど絶対的なルールになるのです。

ウパニシャッドにおける梵我一如の解説:アートマン(我)

今度は梵我一如の「我」についてです。

この「我」はアートマンというものを示しています。

アートマンは元々は「呼吸」を意味する言葉であり、物体の内側に宿り、全ての「個の根源」とも呼べる存在です。

宇宙全体的な真理がブラフマンであり、アートマンは個人の根源的な存在になります。

「魂」と「自我」とが一体化したような存在で、大雑把に解釈するときは「魂」と理解していても、大きな問題はなさそうです。

ウパニシャッドにおける梵我一如とは

つまり梵我一如とは、宇宙全体をルールとして司っているブラフマンと、個人の根源であるアートマンが同一、等しい存在、あるいは一体なものだということを説いた考えになります。

個人の「魂」や「自我」のようなアートマンが、宇宙の永遠不滅の真理であるブラフマンと同一ならば、アートマンもまた不滅で永遠の存在であるとされたのです。

アートマンという「魂」が不滅なら、死してもその「魂」は消滅しないのです。

どこに行くかといえば、新しく生まれてくる赤ん坊(または他の動物の仔)となり、生まれ変わります。

梵我一如においては、「輪廻転生」という永遠の命もまた説明されているのです。

ウパニシャッドにおいての悟り

梵我一如を目指す

宇宙と個人を結びつけるような哲学が、ウパニシャッドにはあったわけです。

梵我一如を知り、それを極めることで、悟りという生の苦しみのない状況に至れると考えられています。

宇宙の原理ブラフマンと、自我であり魂のような存在であるアートマンを結びつけることで、その悟りという奥義に近づけるのです。

どうすればその悟りに至れるのかも、ウパニシャッドには描かれています。

瞑想や苦行などを経験することで、自我とブラフマンを合一するという境地に何度も至ることにより、宇宙の真理を「体で知る」ことになるわけです。

奥義書と呼ばれる所以は、この辺りになります。

悟りへの哲学的な理論と、具体的な方法論が描かれているからです。

ウパニシャッドには業(カルマ)という概念もあった

ウパニシャッドには業(カルマ)と呼ばれる概念も描かれています。

梵我一如で輪廻転生を示し、輪廻転生する「魂/自我/アートマン」が背負う、単独の人生を超えた善や悪に由来する、恩恵や罰のことです。

前世で善良なことをすれば、来世で良いことが与えられて、前世で悪いことをすれば、来世で悪いことが待ち受けているのです。

輪廻転生や業は、バラモン教から仏教に受け継がれた概念でもあり、仏教徒が多い日本人からすれば比較的に身近な考え方になります。

ただし、仏教では釈迦により、永遠の自我という概念を否定されています。

ウパニシャッド哲学が完成した後の歴史

バラモン教は司祭が祭祀さえしていればいいという形式的な宗教から、苦行や修行などにより神秘的な体験を通して宇宙の真理と一体化になるという宗教哲学を得て、難解さを増したのです。

しかし、得るものばかりではなく、バラモン教に反対する立場で作られたライバル宗教、仏教が誕生し勢力を拡大していったため、バラモン教は衰退し始めます。

さらにはヒンドゥー教というバラモン教にインドの民間信仰が合流したような、庶民受けの良い宗教が誕生していったことで、ヒンドゥー教に信者や理論を吸い上げられて、ヒンドゥー教がインド宗教の主役となっていくのです。

難解さがあったとしても、宗教や哲学が主流派になれるとは限らないのです。

とはいえインド哲学の完成は、業や輪廻転生、ブラフマンやアートマンという宇宙観や精神世界の考え方として、後に生まれる仏教ヒンドゥー教インド密教など、インドの宗教たちに多くの影響を与えていきます。

また、古代インドから伝わる独特な哲学は、多くの人々に今なお愛されて、ヨーガなども大衆文化として受け入れられているのです。

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まとめ

  • ウパニシャッドはバラモン教の哲学を研究したもの
  • ウパニシャッドは108冊ある
  • ウパニシャッドは梵我一如を唱えた
  • ウパニシャッドのなかには輪廻転生や業という概念も含まれる
  • ウパニシャッドは瞑想や苦行でブラフマンと合一し経験的に悟ることを目指す
  • ウパニシャッドが作られてもバラモン教は衰退していった
  • ウパニシャッドは後のインド宗教や文化の形成に影響を与えている

奥義書ウパニシャッドの価値観は、神秘と理屈が融合した状態であり、理性的な考えであるとは、完全には言いにくいものになります。

だからこその奥義書とも言えるかもしれませんが、今回の記事で興味を持たれた方は、ウパニシャッドを読まれてみるのも楽しいはずです。

神秘的な古代インドの哲学を知れば、ヨガ教室により楽しく通える日も来るはずです。

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