世界で最も信者の多い宗教はキリスト教であり、2番目はイスラム教です。
この二つの宗教の順位は予想しやすいものかもしれません。
しかし、3番目の宗教は何でしょうか?
じつはヒンドゥー教になります。
インドの宗教としての認識が深いヒンドゥー教(インドの人口の8割を占める)ですが、その宗教としてのスタイルは非常に興味深いものです。
今回は、そんなインドの興味深い宗教、ヒンドゥー教の特徴や教え、神様、食事、牛などについてご紹介いたします。
ヒンドゥー教の神様
ヒンドゥー教の主要な神様
さて、インドの宗教ヒンドゥー教は、どういう神様を崇拝しているのでしょうか?
ヒンドゥー教はいわゆる「多神教」であり、たくさんの神様が存在しています。
その中でも重要な神様は三体いるのです。
- ブラフマー:宇宙、世界に実存、実在の場を与える神(創造神)
- ヴィシュヌ:宇宙、世界の維持、平安を司る神(維持神)
- シヴァ:宇宙、世界の寿命が尽きた時に破壊して、宇宙の再創造に備える神(破壊神)
ブラフマーは他の二つの神様に比べて、どうにも説明が難しい存在ですね。
宇宙の真理とか、インド哲学の根源的な部分に属するような神様であり、平たく言うと真の意味で宇宙を作ったような存在、という認識をするのが理解しやすいかもしれません。
ヴィシュヌは宇宙を維持してくれる平和な神、シヴァは破壊神であり再生させる意味での創造神でもあります。
この三体の神様が、ヒンドゥー教の宇宙を運営しているわけです。
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ブラフマーは人気がない
近年の信仰では、三大神の一つであるブラフマーは人気がありません。
役割が難しく、説明するのも困難な存在であり、何よりも地味な存在だからでしょうか。
平穏の神ヴィシュヌと、破壊神かつ創造神であるシヴァの前には、宇宙に実在を与えた神様と言われると、いまいちピンと来ないせいかもしれないですね。
分かりにくい神様は人気が廃れやすく、現在のインド圏では、ヴィシュヌとシヴァの二大信仰となっています。
ヒンドゥー教には神様がたくさんいる
日本では仏教などと共にインド文化が伝わって来ていることや、ゲームや小説や漫画などにおけるファンタジ―な文化が発展しているため、たくさんの神様が出て来るヒンドゥー教は元ネタとして多用されています。
サルの神様ハヌマーン、雷の神様インドラ、富を司る象頭の神様ガネーシャ、美しく優しい妃神サラスヴァティー。
ヒンドゥー教を知らなくても、どこかで聞いたことがあるかもしれません。
斉天大聖・孫悟空は、猿の神様ハヌマーンをモチーフにしているとも言われています。
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七福神はヒンドゥー教の神様が由来?!
同じインドの仏教も、インドの神々を仏や守護神として習合しているため、七福神などにもヒンドゥー教の神々が多く含まれています。
- 大黒天 ← シヴァ神
- 毘沙門天 ← クベ―ラ神
- 弁財天 ← サラスヴァティー神
ヒンドゥー教の神々は、色々な神話を一つの神様にまとめていったりしましたので、多面性を有しています。
七福神の一つに破壊神であるシヴァ神がいるのも、思えば不思議な感覚です。
ちなみに釈迦(釈尊、ブッダ)は、ヴィシュヌ神の9番目の化身ともされていますので、ヒンドゥー教は膨大な価値観を取り込んでいることの例になるかもしれません。
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ヒンドゥー教の教え
高位の聖職者や決まった聖典がない
インドは広大かつ人口も多く、さらにはカースト制度などで身分だけでなく宗教観も分離していたりします。
さらにヒンドゥー教は雑多な神様が存在してもいますし、さまざまな宗教を取り入れたり影響を受けたりした結果、とんでもなく混沌としているために、諸宗派の統一性が薄いのです。
教会制度が存在しない上に、宗教的権威や神様の言葉を伝える預言者もいなければ、そもそも共通の聖典を持ってはいません。
数十万規模の膨大な数にいたる、教えを書いた書籍などは存在していますが、どれが正しいのだというような権威は、それほどに絶対性を帯びてはいないのです。
その土地にある文化や宗派、さらにはカーストの決める身分により、それぞれの信仰の形態が存在しています。
インドの憲法においては、シク教、ジャイナ教、仏教徒さえも広義の意味ではヒンドゥーとして扱われています。
インド文化圏において、インドの神様を信仰し、インドっぽい生活と価値観を持っているとヒンドゥー教徒あつかいにされるようです。
ヒンドゥー教のサイズは、宗教という概念よりも、もっと幅広い世界観や宇宙論であるとも言えます。
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輪廻と業が教義の柱
ヒンドゥー教の教義の中核を成すのは、「輪廻」という考え方になります。
死んでもまた他の人として生まれ変わる、という考え方ですね。
仏教がある日本でも、輪廻は受け入れやすい考えかもしれません。
ヒンドゥー教では、生前の善行や信心深さ、あるいは悪行の多い少ないにより転生後に生まれ変わるカーストが決まるとされています。
いわゆる「業」(カルマ)ですね。
業は死によっても失われることはなく、その次の人生に受け継がれていく仕組みです。
良いことをすれば、良い報いが起きるし、悪いことをすれば悪いことが自身に戻って来ることになっています。
来世において良いカーストとして生まれ変わるために、現世で努力しろということにもなるわけです。
カーストという身分制度による差別を、どこか正当化する根拠にもなってしまいます。
前世で悪いことをしたから、現世で差別されているのだ!という形になるわけです。
ヒンドゥー教徒は聖地ガンジス川を崇拝
ヒンドゥー教において、川は聖なる存在とされています。
とくにガンジス川は主神であるシヴァ神から流れ出て来た神聖なる水ともされ、非常に崇拝されているのです。
ガンジス川に頭まで浸かることで身を清められるとされていて、この川の水を飲むことは聖なる行いになります。
ちなみに、ガンジス川は世界屈指の汚い川としても有名ですが、この水にコレラ菌をつけるとコレラ菌が死ぬことがあったりもします。
見た目ほどは危険な水ではないという研究もありますが、日本人の胃腸には適していない成分比率をした川であることは確かです。
赤痢菌などもいますので、水を飲むとコレラが治っても赤痢になるかもしれません。
ヒンドゥー教と牛
インドの聖なる牛
インドにおいて牛は聖なる動物とされています。
ヒンドゥー教においても、牛は聖なる動物です。
2000年以上も昔では、ヒンドゥー教の文化ではなかったという研究もあり、仏教などが牛を聖なる動物としつつ、しかも勢力を拡大していたことから、その文化を取り入れたのではないかとされています。
どうあれ、現在のヒンドゥー教において、牛は聖なる動物という認識がされているのです。
とくに背中に瘤(こぶ)のある瘤牛が尊いとされています。
ヒンドゥー教の牛に対する神聖視はかなり強いものです。
バイオテクノロジーの発展により、牛の胃袋から採取した酵素をなどを用いなくてもチーズなどが生産出来るようになるまでは、インドではそういう食品の生産もタブーでした。
生産にあたり牛の胃袋がいるということは、牛を殺さなければならないからです。
しかし、今では培養した酵素などを用い、牛を傷つけることなく乳製品の加工・製造が可能となっています。
そのために、チーズなどもインドで積極的に生産されているようになりました。
水牛は別枠
牛は聖なる存在なのですが、水牛は悪魔「マヒシャ」の化身とされていて、農作業などに用いても良いとされています。
さらには、その肉は輸出されてもいるのです。
牛ならば、どれもが聖なる存在というわけではないようです。
牛を殺すと罰が当たる
聖なる牛を殺せば、87の階層に分かれる生命の階級(ヒトが最上位で、牛は2番目)の最下層に転生することになるとされています。
牛に仕え、牛に祈ることは尊い行いであり、御利益を与えてくれるともされているので、牛はインドでは聖なる動物なのです。
ヒンドゥー教と仏教の関係
宗教観は共通するものが多い
インドの憲法上では仏教徒もヒンドゥー教に含まれたりするわけですが、両者は似ている部分があります。
- 輪廻転生を信じている
- 業が転生しても受け継がれる
- 多神教であり共通の神様がいる
- インド文化が下地にある
- 最終的には輪廻からの解脱が目標
などは共通項ですし、釈迦はヒンドゥー教の主神ヴィシュヌの化身という扱いにもなっているのです。
ヒンドゥー教と仏教の、カースト制度に対しての違い
ヒンドゥー教は業に由来するカースト制度を重視し、その身分内での結婚や、カーストによる職業の固定などの、多くの差別を行っています(憲法上はカーストによる差別は禁止されていますが、文化として色濃く残っています)。
仏教は基本的にカースト制度を否定しているため、カースト制度から逃れるために仏教やイスラム教に改宗するヒトも存在するわけです。
しかし、インドにおける仏教やイスラム教社会においても、カースト制度というインド共通の文化は大なり小なりの影響を与えてしまっています。
ちなみに、他の宗教からヒンドゥー教に改宗すると、カーストの最下位にしかなれません。
ヒンドゥー教の食事
菜食主義を推奨している
ヒンドゥー教において推奨されるのは菜食主義です。
仏教同様にアヒンサー(不殺生)という価値観があるため、動物を殺すことはタブー視されています。
とはいえ宗派や地域やカーストの身分などによって、その厳格さにはバラエティーがあるのです。
厳格な人々になれば、地中に実を結ぶ根菜の類は禁じることさえあります。
これは根菜を収穫する際に、地中にいる虫や小動物を傷つけてしまう可能性があるから、という繊細な発想からです。
雑なところも多い宗教に見えますが、タブーについては他の文化圏から見れば異常なほどの繊細さと厳格さを持ってもいます。
牛は食べない
純粋な菜食主義者でなかったとしても、牛を食べることはありません。代わりに鶏や羊を食べるのが一般的です。
上記の通り、牛を食べることで強烈な罰が当たることになりますし、そもそも聖なる存在だからです。
ただし、海外に働きに出ているヒンドゥー教徒のインド人には例外もあります。インドと違って世間体を気にしなくていいせいか、平気で牛肉を食べる人もかなりいます。
知り合いに牛肉好きなヒンドゥー教徒のインド人が何人かいるのですが、彼らに対して
「ヒンドゥー教徒なのに牛肉を食べるのか」と私が咎めると、
「インドの牛と日本の牛は違う」
とあっけらかんと返されて閉口したことがあります。
まとめ
- 多神教であり、日本にも馴染み深い神様がたくさんいる
- 輪廻と業が教義の柱
- カースト制の遵守
- 仏教と似た価値観を多く持ってはいる
- 牛が聖なる動物である
- 菜食主義者が多く、牛は絶対に食べない
世界で3番目に信者が多い宗教であるヒンドゥー教ですが、日本人からすると、あまり知らないことも多くあるように思います。
差別として有名なカースト制度なども、宗教的な力に固定された文化でもあるため、法律で禁じたとしても、なかなか社会における意識が変わらないわけですね。
雑多かつ寛容な部分も多いだけに、アイデンティティーを定義する要素は強烈に守るという形なのかもしれません。
現代の日本人からすると、受け入れがたい価値観を多く持っている宗教かもしれませんね。
しかし、ヒンドゥー教の神々は、七福神やさまざまな物語のソースとして身近さを感じるものでもあります。
踊りながら世界を破壊する神様などもいるため、ヒンドゥーの神々に興味を持たれた方は、どんな神々がいるのかを検索して調べることもオススメです。
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