朱子学とは?儒学や陽明学との違いも解説

中国は広大な領土と長い歴史を持った国であり、歴史的には宗教や思想や哲学も数多く存在しています。

中でも儒教(儒学)は数多くの宗派を生み出し、中国のみならず周辺の国家の歴史や文化の形成にも大きな影響力を及ぼした信仰体系です。

その儒教の一派であるのが朱子学です。

今回は、その朱子学というものが、どういう学問であったのかをご紹介いたします。

また、朱子学と陽明学、儒学との違いについても解説していきます。

朱子学とはどういう世界観を持っているのか

朱子学は朱熹(しゅき)により作られた新しい儒教

朱子学をおこした朱熹

中世の中国に生まれた朱熹(1130年~1200年※朱子は朱熹の尊称)は、その当時、多くの宗派に分かれていた儒教を編纂し、「新しい儒教」を作り上げることになります。

何が新しかったのかというと、それまでの儒教においては世界観や宇宙論といったものが考慮されてはいなかったのですが、朱子学はそれらも包括した儒教だったのです。

朱熹は孔子などの残した古典研究などを続けるのではなく、仏教などの宗教のように、世界の成り立ちにまで儒教の考え方を広げていったのです。

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朱子学における世界観は「理気二元論」

新しい儒教である朱子学の世界観は、かなり広大なものになります。

この世界のあらゆるものは「理」という根源的なルールと、「気」と呼ばれる常に動き続けているに分かれるエネルギーや、その「気」によって生み出された木火土金水の五つの元素により、世界が構築されているという「理気二元論」です。

「理」というルールは目には見えませんが、現実に世界を司っています。

「気」はエネルギーの状態を変動させることで、目に見えることが可能ですし、そもそも物質を構成しているものは「気」から生まれた元素たちなのです。

世界は目に見えないルールに基づき、変化を持つエネルギーや元素に秩序を持たせています。

その結果、実体として世界は成り立っているのだ、ということになります。

目に見えない聖なる法則である「理」と、現実を構成している「気」があるわけです。

それらは同一のものではありませんが、分離することはないものだとされています。

理と気があってこそ、全ては存在しており、どちらかが欠ければ存在することが出来ない、それが朱子学における世界観です。

朱子学の世界観ではあらゆるものが理と気によって成立している

理気二元論により森羅万象は構築されていると考えられているわけですから、それには人間も当然ながら含まれています。

人間の理、つまり人間の本質は善なのですが、という変動するエネルギーの影響により、善人や悪人もいたりするのだと考えられたのです。

それゆえに、人間は努力して朱子学の教えに則り、朱子学を学び、己を鍛え上げることで、尊い本質に近づいていけるのだという発想も生まれます。

朱子学においては政治や社会構造も理気二元論に基づいている

この理気二元論の範囲は政治や社会にも及びます。

理は個人と社会、もっと言えば、個人と宇宙までもを結んでいる、巨大かつ根源的なルールになります。

人間や国家や宇宙、あらゆるものを理というものが根底にあることで、秩序が生まれているのだと、朱子学では考えられているのです。

朱子学の世界観において、理はとても大きな法則として世界を構築しています。

朱子学の実践論である「性即理」

朱子学において目指すべき心の状態

心が静かな状態を「性」といい、朱子学においてはその状態を目指すべきだとされています。

「性」がやや乱れると「情」となり、さらに乱れた場合は「欲」となり、「欲」の状態は悪なのだとされます。

朱子学では、心が「欲」にならないように、「情」の段階で心をコントロールして、「性」へと戻るように努めることが求められています。

朱子学の修養法である居敬(きょけい)

心を鍛えるための方法として、朱子学では居敬(きょけい)が用いられています。

これはいつ何時でも意識を集中させて、心を安静の状態にしておくことです。

こうすることで、あらゆる事象の理を究めることにつながっていき、最終的には理そのもののような人間になれるとされています。

朱子学の瞑想法である静坐(せいざ)

居敬と共に、静坐(せいざ)を行うことにより精神的なトレーニングになります。

朱子は仏教などが行う座禅については、何も考えない無を目指すという方法を、思考を放棄するものだと否定的であり、その代わりとして採用したのが静坐です。

静坐とは、しっかりと意識を保ちながら心を落ち着けていく、というものになります。

居敬と静坐を行うことで、人間の精神は鍛えられると朱子学では定義し、とにかく心を落ち着かせて「性」の状態を保つことが朱子学では理想なのです。

朱子学とは性と理と礼を重んじる学問

朱子学の目指すもの

性という心の状態を究め、あらゆる事象の理を求めていくことが、朱子学のテーマなのです。

朱子学を学ぶ者は、つねに自己研鑽しなければならないわけです。

そして、性と理を追及することが、社会秩序の維持としてつながると考えられています。

朱子学では礼を重んじる

朱子学は理気二元論性即理にもとづいて、人々が実践すべき具体的なガイドラインとなるものを推奨しています。

それが「礼」と呼ばれる概念です。

礼は社会習慣を規定するものであり、儀礼のやり方や、身分制度を厳格に保つことで、社会秩序を維持することにつながっています。

朱子学ではこの礼を重視していたために、支配階級からすれば、とても都合の良い側面があったわけです。

そのため、朱子学はやがて多くの国家が受け入れるようになっていったのです。

朱子学と陽明学

陽明学を確立した王陽明

陽明学は朱子学の持つ幾つかのテーマに反対している学問

陽明学を作った王陽明は、かつては朱子学を学んでいましたが、理を究めようとした際に挫折してしまいます。

その経験から王陽明は朱子学に疑問を抱くようになり、その疑問を解決するために新しい学問を研究し、陽明学を完成させることになったのです。

生まれた経緯からして、朱子学に反対する考えを持っていて当然な学問ではあります。

朱子学と陽明学の違い「心即理」

朱子学における重要なテーマである性即理ですが、これに対して陽明学は「心即理」を提唱します。

朱子学では、心の状態のなかで性こそが理であると説いたわけですが、陽明学では性と情の状態を分ける必要はなく、これら2つを合わせた心そのものが理であるとします。

陽明学においては、学問の追究に頼らずとも、そもそも理は人の心のなかに初めからあるのだとも考えているのです。

理を学問という行為によって外から得なくとも、人には潜在的に理が心のなかにあるのだと説いています。

朱子学と陽明学の違い「知行合一」

また、朱子学は学問をしなければ理を得ることは出来ないとされているため、何かものごとをする時は、先行して書物などで学ぶことが重要だとされています。

それを「知先行後」と言います。

しかし、陽明学ではそれに対して、知ることと行動することを不可分とした「知行合一」を掲げたのです。

陽明学が持つ革命的な要素

学問をしない者でも理に至れるという陽明学の考え方は、朱子学を採用した科挙制度などで学問を社会秩序と身分制度に使っている国家の支配階級からすれば、リスクにもなります。

朱子学を学ぶことで得ていた自分たちの正当性を、陽明学は否定することになるからです。

実際、陽明学は反体制の人物などから支持されることも多く、朱子学によって作られた秩序へ挑戦する考え方として、反体制集団の理論武装に使われることになりもしたのです。

朱子学は韓国では中国よりも存在感が大きい

朱子学は韓国に伝わると、やがて中国のそれよりも、統治理念として重要視されていきます。

かつての国教でもあった仏教を排して、朱子学を唯一の学問としたのです。

儒教の一派である陽明学も否定し、朱子学のみが正しいという考えを長年貫き、朱子学の研究を中国以上に行い、それを実践した社会構造を作り上げていきます。

こうして、韓国では朱子学が文化の成立に大きく関与しているのです。

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朱子学と儒学

朱子学と儒学の違い

儒学というのは儒教の別名ですが、儒教において、とくに学問的な側面を強調した視点での呼び名になります。

儒学は朱子学や陽明学などを含んでの総称になるため、より詳細にそれぞれの学問を学んでいることを示すためには、朱子学や陽明学などを学んでいるという言葉を使った方が正確になるわけです。

儒学を学ぶ人が増えている

最近は儒学を学ぶ経営者やスポーツ選手が増えています。

朱子学や陽明学の考え方を学び、経営やライフスタイルなどに取り入れようという考え方も増えています。

心の鍛錬を求めたり、世界観に対してより深い興味を抱く人の増加、現代人の心と行動の不一致などが根底にあり、その苦しみを理解して、改善しようとする考えの人が増えているのではないかとも考えられています。

儒学はそういった疑問に対して、それぞれの流派にもとづく答えが用意されているのです。

まとめ

  • 朱子学は理気二元論にもとづく世界観を持つ
  • 朱子学は性即理を説き、理を重んじる
  • 朱子学は礼も重んじ、支配層からすれば都合がいい
  • 陽明学は朱子学に反する側面を持っている
  • 朱子学は韓国で盛んに研究、実践された
  • 儒学を学ぶ人が増えている

古代中国の学問である朱子学は、中国、朝鮮、もちろん日本などを含み、東アジアの歴史や文化に大きな影響力を与えた学問です。

その考え方は壮大であり、今なお人を惹きつける魅力を持っています。

朱子学や陽明学などの、儒教・儒学を学ぶことで得られる発見は多く、今回の記事で興味を持たれた方は儒学の本やサイトで調べてみるのも面白いと思います。

古代の思想であっても、人の本質を定義する考え方なので、儒教・儒学を学ぶことは、現代人にも有益な視点や考え方を与えてくれることになるのです。

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