エロマンガ島とは?場所や行き方、歴史などについて解説

あなたは「エロマンガ島」をご存知でしょうか?

昔、地図帳で見つけて騒いだ経験をお持ちの方も一部いらっしゃるかと思います。

名前こそ有名な島ですが、この島の情報までは知ってはいないのではないでしょうか。

今回はそんなエロマンガ島の歴史や基本的な情報などをご紹介していきます。

エロマンガ島とは?

エロマンガ島はバヌアツ共和国の島

エロマンガ島(イロマンゴ島/Erromango)はバヌアツ共和国(国土面積12,200平方キロメートル、人口24,000人)に所属する島の一つになります。

バヌアツの83の島のうちで4番目の大きさを誇る島です。

バヌアツの島々の約半数は火山性の由来をもつ島であり、エロマンガ島もまた火山の影響で生まれた島になります(なお残りの半数の島々はサンゴ礁由来の島になります)。

太平洋プレートとオーストラリアプレートの衝突する場所にあたり、環太平洋火山帯の一部を成しています。

そのため活火山が多いだけでなく、プレート型の強い地震も発生しやすい土地なのです。

なおバヌアツの語源は「バヌア」が「土地」、「ツ」が「立つ」を意味するもので、バヌアツは「我々の土地」「独立した土地」を意味しています。

バヌアツは幸福度指数が高いことでも有名な島国でもあり、NGOの評価では世界一位を獲得したこともある国です。

エロマンガ島の名前の由来は?

キャプテン・クックもエロマンガ島に来た(出典:wikipedia)
エロマンガ島の名前の由来
  1. キャプテン・クックがこの島を訪れたときにヤムイモを現地の人に渡され、「アルマイゴー(ソルン語で「この食べ物はおいしい」)」と聞かされ、島の名前は「エロマンゴ」=エロマンガと判断した。
  2. 近くの島の住民からあの島は「イロマンガ」だと教わったクックの部下が、後にクックに「エロマンゴ」であると報告した。

エロマンガ島の基本情報

エロマンガ島の基本情報

  • 人口約2,000人
  • 面積892キロ平方メートル
  • 行き方/アクセス:日本からオーストラリアに行き、飛行機でバヌアツ首都ポートヴィラへ。そこから飛行機もしくは船で行く。エロマンガ島は観光地ではないため、とくに交通の便はない。
  • 宗教:現在はほとんどの住民がキリスト教
  • 言語:シエ語(南バヌアツの言葉の一種、ほかにも二種の言語イフォ語とウラ語があるが、イフォ語は滅び、ウラ語も話者が途絶えかけている)、英語、フランス語
  • 現在の主要産業:肉牛を主にした牧畜、農業。
  • かつての主要産業:白檀(びゃくだん/1860年代には全て伐採される)、奴隷・労働力の輸出。

エロマンガ島の歴史

紀元前〜18世紀

  • 紀元前2000年前後:バヌアツの島々に人類が到達する。
  • 紀元前1000年頃:エロマンガ島に人が定住し始める。
  • 紀元前700年頃:「ポナムラ遺跡」を建造。石造りの遺跡。陶器の文化があった。
  • 紀元前700年~18世紀のあいだ:ほぼ不明。石器や貝殻を使用する文化が普及し、アニミズムを崇拝、独自の文化が発展。豚なども飼育していた。
  • 18世紀頃:人口5000~20000人と推定される。

18世紀〜:ヨーロッパ人との接触

  • 1774年:ヨーロッパ人との初めての接触。キャプテン・ジェームス・クックの二度目の航海の最中。クックと地元住民のあいだで物々交換が成され、水と食料をクックの船団は手に入れる。その後、乱闘となり現地住民4人(もっと多いという説もある)を殺害。

19世紀:白檀の発見や宣教師の到来、疫病の流行

サンダルウッド(白檀)
  • 1804年:捕鯨船がエロマンガ島に寄港。
  • 1828年:エロマンガ島のディロン湾にてサンダルウッド(白檀/びゃくだん)が発見される。当時のエロマンガ島の全域は森林に覆われており、この白檀が大量に繁茂していた。

    白檀は爽やかな甘い香りを放つ香木であり、精油も取れる高級な木材。インドでは伝統医学アーユルヴェーダのオイルとしても使用され、仏教では線香などの香り付けにも使用されている。

    白檀の木材としての利用は仏具の製造や高級な木工品などに使われている。※白檀の近年の価格は㎏あたり2000ドル、およそ20万円ほど。

    白檀は高価な木材であったため、ヨーロッパ人に狙われることになった。
  • 1828年~1865年頃:半世紀のあいだに白人トレーダーによって島のサンダルウッド(白檀)が伐採され続け、全滅する。現在の価格で25億円以上の白檀が出荷された。
  • 1830年:カメハメハ王3世の命令でハワイ軍によるエロマンガ島襲撃が起きる。目的は島そのものの征服と白檀の奪取。エロマンガ島民の徹底抗戦。ハワイ軍は熱病にもかかっており、結果としてハワイ軍は敗北する。ハワイに帰還したのは二十数名ほどだった。
  • 1839年:11月18日、ポリネシアの宣教師ジョン・ウィリアムズと秘書のジェームズ・ハリスが、島のリーダーに接触しようと島の内部に侵入。数日前に子供をヨーロッパ人に殺されていた島民たちの怒りに触れて、戦士たちにより殺されて「殉教」。

    なお二人とも調理されてエロマンガ島民に食べられており、1週間後に骨が回収されている。
  • 1840年代:白檀の価格が暴落。一時的に白檀のトレーダーが減少する。エロマンガ島の周辺にあるサンゴ礁が邪魔であったため、白檀の最終と出荷に苦労する環境でもあった。それでもトレーダーは継続して白檀を取り続けた。
  • 1853年:ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘が流行、島民が大量に死亡する(エロマンガ島民には外来の病気に対する免疫がなかったため)。なおインフルエンザなどもエロマンガ島にはなかったため、慢性的にエロマンガ島民を苦しめ、死をもたらす病気であった。
  • 1857年:カナダ出身の宣教師(プロテスタントの牧師)、ジョージ・ゴードンがエロマンガ島に上陸する。エロマンガ島民40人をキリスト教に改宗させる。
  • 1861年:ヨーロッパ人が持ち込んだはしかが流行、島民が大量に死亡する。二つの致死性の感染症の流行の結果、60%が死亡したとされる。なおゴードンらキリスト教の伝道師たちによる資料では、白檀のトレーダーたちが意図的に島民らにはしかを流行させた。
  • 1861年:ジョージ・ゴードン、はしかの治療に追われるが、島の長たちの子供を死なせてしまう。報復とされ島の戦士たちにゴードンとその妻は殺害されて殉教する。
  • 1863年~1906年:白檀が枯渇したことにより、他の商材をヨーロッパ人が探す。「ブラックバード(奴隷貿易商)」によりエロマンガ島民そのものが輸出される。一部は詐欺の結果として、一部は強制されて、一部は自発的に労働に参加したともされる。

    正確な奴隷貿易の人数は不明であるが、この時期に4万人がオーストリアのクイーンズランドでサトウキビや綿花の畑での労働を行い、1万人がフィジーやハワイなど他のポリネシアの島々で鉱山労働に従事(一人が複数の土地を回ることで作業していた)。
  • 1872年:宣教師ジェームズ・ゴードン(ジョージ・ゴートンの義理の弟)が住民の一人ネリンパウにより殺害されて殉教。ネリンパウは斬首されて、木に吊された。その木は接触禁忌の「タブーツリー」としている。
  • 1884年:フランス人宣教師がエロマンガ島で「人間狩り」の犠牲となる。報復としてフランス軍による住民の虐殺が起きる。

    しかしフランスとエロマンガ島の領有を争っていたイギリスの介入により、村一つ滅ぼしただけで終了したとされる。
  • 1887年:最後の捕鯨船がエロマンガ島に寄港。

20世紀

  • 1906年:エロマンガ島の原住民381人にまで減少する。
  • 1906年:イギリスとフランスの共同統治領となる。キリスト教の普及と近代化が進み、また住民の壊滅的な人口減少の結果もあり、エロマンガ島の文化はほとんど無くなる。食人の文化も20世紀初頭にはなくなった。
  • 1980年:バヌアツ共和国独立。

現在

  • 2009年:ジョン・ウィリアムスの子孫と殺害した島民の子孫のあいだに170年越しに和解の儀式が行われる。

    近年では古来のエロマンガ島文化の見直しと研究が行われるようになっている。
  • 2015年:サイクロン「パム」が襲来、大きな被害が出る。

エロマンガ島の古来の文化

古来の宗教観

元々の宗教は創造神ノブを頂点とするアニミズム信仰です。

ノブは島と最初の人々と石の貨幣をエロマンガ島に与えたとされています。

精霊や霊などもエロマンガ島の重要な宗教的な要素であり、それらは「ナテマ」という総称で呼ばれていたのです。

ナテマたちは不運、病気、そして死を招く存在であり、島を徘徊しています。

エロマンガ島のシャーマンはタブワと呼ばれており、タブワは呪術を使い恵みの雨や敵対者には嵐を与えたとされている強力なシャーマンです。

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交易

周辺の島々と取引が行われています。

取引された品々には、花嫁、顔料(アートや呪術に使用)、貝殻、石材、カヴァ(酩酊効果のある植物/酔っ払った風になるがアルコールは含まれない。就業儀礼や祭りなどでも使われた、嗜好品)。

島民の埋葬

先祖たちは洞窟に埋葬された(出典:Alchetron)

火山性の島であるエロマンガ島には多くの洞窟が存在しており、そこが先祖たちの埋葬地として機能しています。

さらには壁画などが残される場でもあり、戦争の最中や嵐に襲われたときはシェルター(避難先)としても機能したのです。

島民の男性共同体

エロマンガ島民の若い男性および未婚男性は共同生活をして、そこでカヴァを嗜んだり政治的な協議を行っていたとされます。

かつては食人文化があった

文化の一つとして食人がありました。

20世紀の初頭にはキリスト教の布教や近代化政策によって無くなります。

民俗学的研究

エロマンガ島の民俗学的な研究の担い手は、やがてエロマンガ島の文化を破壊することにもなる宣教師たちになります。

宣教師たちは布教活動の効率化を目論見、エロマンガ島民の文化を研究して利用することにしたのです。

現在でも一般的に見られる文化人類学の政治・戦争利用の一つになります。

敵あるいはコントロールしたい対象を熟知するための行いでもあり、戦時下になると現代でも文系の学生の軍への就職率が上昇します。

対象の文化を破壊して苦しめる、あるいは集団を効率的にコントロールする方法を探るためです。

キリスト教の布教活動

エロマンガ島では宣教師ジェームズ・ゴードンが、1861年のはしかの流行を「キリスト教の神の怒り」として宣伝することで、エロマンガ島民たちの回収に利用したのです。

しかし、エロマンガ島の古くからの信仰形態によれば、悪霊の使い手=シャーマン/タブワとキリスト教宣教師であるゴードンが同一視されることになり、彼が殺害された理由の一つになったとも言われています。

エロマンガ島の古来の価値観によれば、病気は悪霊とそれを操るタブワが起こすものであり、島の戦士たちからすれば「邪悪な呪いの使い手/悪い魔法使い」のようにゴードンは映ってしまったのです。

ゴードンの取った布教活動は教会からは正式な手順ではないとされてもいますが、エロマンガ島民への布教活動としては効果的に機能し、彼は布教者という意味ではキリスト教に貢献した人物ではあります。

なお、キリスト教宣教師たちが6人ほど殺害されているため、エロマンガ島はキリスト教圏では「殉教者の島」という認識があります。

まとめ

  • エロマンガ島はバヌアツ共和国の島である
  • エロマンガ島の名前の由来は「美味しいヤムイモ」、あるいは別の島の人物が語った「イロマンガ」
  • エロマンガ島は典型的な植民地政策の犠牲者でもある
  • エロマンガ島はかつて大量に高級木材・白檀が取れていた
  • エロマンガ島の文化はほとんど失われている
  • エロマンガ島は観光地でないため行きにくい
  • エロマンガ島は「殉教者の島」

エロマンガ島は典型的な植民地政策の犠牲者であると考えることも出来る島になります。

白檀に住民そのものが商品とされ、そしてキリスト教文化の侵略により虐殺が行われ、多くの伝統は失われてしまったのです。

エロマンガ島の近代史は人類に多くの教訓を残してくれてもいます。

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