シュメール人は古代のイノベーター!彼らの特徴や文化を解説

現在のイラクにあたる地域にはシュメール人と呼ばれる人物たちが住んでいた時代があります。

シュメール人たちは、現代人も恩恵を受けている文字やビール、60進数の発明をするなど高度な文明を築き、「古代のイノベーター」とも言える存在なのです。

「謎」「怖い」などと言われるシュメール人ですが、実は日本との共通点も指摘されています。

今回はそんなシュメール人についてご紹介していきます。

シュメール人の謎と文化

シュメール人が謎といわれる所以

シュメール人は紀元前3000年ほど前のイラクで都市国家を築いた民族になります。

シュメール人は「楔形文字(くさびがたもじ)を作り出すことにより自分たちの文化や神話、そして法律などを粘土板に刻みつけて残しています。

高度な文明を築いていた彼らですが「謎の民族」とも言われているのです。

多くの情報を残しているのに「謎」とされる理由は、シュメール人がどこで発生した民族なのかがよく分かっていないからになります。

彼らの話したシュメール語がどこで生まれたのかも分からず、そもそも彼らがどういった外見でどんな人種であったのかも定かではないのです。

黒頭の民と自称することがあったとされ、黒髪であった可能性もありますがそれを示す根拠は今のところ見つかっていないのです。

遺伝子学的な分析によれば北アメリカに由来する民族なのではないかという説もあり、2016年の調査で支持できる結果が得られてはいます。

また同時期にあったインダス文明の人々とのあいだにも遺伝的な交流、つまりは混血があった可能性も出土した骨から得られた調査結果が支持してもいます。

遺伝子学上の追跡はともかく、文化的に出自が分からないまま滅んでしまっているため、シュメール人は謎の民族とされているのです。

シュメール人が「怖い」と言われる理由

シュメール人の残した像には現代人が恐怖感を覚えるデザインがあります。

それは大きな瞳をもった像たちであり、人とは思えないほどの大きなバランスを持った瞳は時に恐怖を感じさせるものです。

これらは礼拝を行う信者をもとにした像ではないかと推測されています。

正体の分からない民族と奇抜なデザインから、恐怖を感じやすい民族でもあるのです。

シュメール人は高度な文明を築いていた

楔形文字(出典:wikipedia)

シュメール人は楔形文字(くさびがたもじ)を発明し、人類で最古の文章を記し残した民族とされています。

また天体観測を行い月の動きによる暦である、太陰暦を作り上げていたのです。

天体観測は農業を行うときに有益なスケジュールの成立に役立つものとされています。

シュメール人は灌漑農業も行っており、大きな川から年間降水量200ミリ前後であった乾燥した土地に水を引くことで、豊かな農地を獲得していたのです。

シュメール人は60進法を用いており、この60進法は現在の1分が60秒であったり1時間が60分であることの起源となったと考えられています。

60進法はシュメール人が滅んだ後も古代イラクの土地で使われつづけ、バビロニアでも使用されることになるのです。

さらには貿易も盛んでありシュメール人はアフガニスタンで採られたラピスラズリをエジプトにまで輸出していた証拠もあれば、インダス文明との交易の可能性もあります。

シュメール人はビールを造っていた

ビールを飲むシュメール人(出典:Ancient Origins)

世界最古のビールを造っていたのもシュメール人たちになります。ビールの起源は紀元前4000年以上前にも遡ります。最古の記録が紀元前3000年頃のもので、シュメール人が「モニュマン・ブルー」という粘土板に当時のビールの作り方を記しています。

ただ、当時のビールは麦の殻や粒などが混じっていたため、飲みづらかったみたいです。そこで発明されたのがストローです。葦(あし)や麦の茎を筒状にしてストローを作り、ビールの上澄みを吸っていたのです。

ストローを使ってビールを飲む様子は上記の画像にも描かれています。

シュメール人の発明は現代人にもなお恩恵を与えていることになるのです。

このように現代にまで伝わる多くの文化や発明を残しながらも、シュメール人の言語や外見といった民族的な特徴が伝わっていないことが、大きな謎とされる所以になります。

影響力をもっていた人々の詳細がよく分からないというのも、不思議な話ではあります。

シュメール人の宗教と文化

シュメール人は多神教であった

シュメール人は多神教を崇拝していたことが分かっています。

彼らの村や町の中心を担っていたのは寺院であり、そこには各町が崇拝する神が祀られていたのです。

町の中心人物は寺院の僧侶であり住民たちは寺院に対して、労働力を提供する義務をもっています。

つまりは税金の一つとして寺院への労働があったわけですが、この労働には銀貨などの対価を支払うことで免除されることがあったのです。

なお町の中心は自分たちの伝統的な神であったとされているものの、各町以外の神々に対しても否定的ではなく、一つの寺院のなかに無数の町に由来をもつ神々が並ぶことになります。

シュメール人は多神教であり、彼らが崇拝していた神々の数は数百種類はあったとされています。

この文明の主要な範囲は6万平方キロメートルほどなので、どの村や町にもオリジナルの神がいた可能性があるわけです。

シュメール人の神話:アヌンナキ

シュメールの主な神々、アヌンナキ(出典:wikiwand.com)

楔形文字で粘土板に描かれていたシュメール神話は古代イラクの土地において、長年にわたり継承されていくことになります。

シュメール人を倒した王朝を奪い取ったアッカド王国の「アッカド神話」、その後に支配者となる「バビロニアの神話」へと受け継がれていったのです。

これらは表記するための言語の違いこそあれど、ほとんど同じ内容を継承しているとされています。

「アヌンナキ」シュメールの主たる神々をまとめた呼び名であり、「50柱の偉大なる神々」という意味になるのです。

大都市ウルクの守護神である天空神「アヌ」と、その妹である大地の女神「キ」を中心とした物語になります。

中心的な神であったアヌでしたが、「エンリル」という風と嵐の破壊神にその座を奪われることになります。

エンリルは腹違いの兄弟神である「エンキ」と争うことになり、エンキに勝利してシュメール神話の事実上の最高神として君臨することになるのです。

なお敗北した弟神のエンキは水と知識と魔術の神であり、エンキにより人間は泥から創られたとされます。

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シュメール神話と旧約聖書の関連

ジッグラトは「バベルの塔」のモデルになったとも言われる(出典:Pinterest)

地上に繁殖した人間をうるさく感じていた風神エンリルにより、人類を滅ぼすための計画が4度実行されることになります。

しかしエンキは「アトラハシス」という人間の男に人類を滅ぼす計画に対する備えを授けて、人類の滅亡を救ったのです。

4度目には大洪水が放たれましたが、エンキはアトラハシスに家族が乗るための船を造らせて7日つづいた大洪水から身を守らせます。

アトラハシスは洪水が引いたかを調べるために、ハト、カラス、ツバメを放ち、大地に船が到着すると神々への生け贄を捧げたのです。

これは旧約聖書の「ノアの箱舟」の原形ともなった物語だとされています。

そしてウルというシュメール人の都市は旧約聖書の登場人物である「アブラハム」の故郷ともされているのです。

さらに「バベルの塔」は、シュメール人の宗教施設であったジッグラトと呼ばれる日干しレンガを積んでつくったものが原形とも予測されています。

旧約聖書にメソポタミア由来の町の名はよく登場するため、古代のユダヤ人とシュメール人は同じ土地に暮らしていたと考えられてもいるのです。

またエンリルは山羊と魚をシンボルとしてもいた神であり、西のギリシャ世界に伝わるとカプリコーン(山羊座)になったとされてもいます。

シュメール神話は多くの土地と宗教に影響を与えていたのです。

ギルガメシュ叙事詩

左からエンキドゥ、ギルガメシュ(出典:pinterest)

シュメール人の楔形文字で粘土板に刻まれた、現存するかぎり人類最古の物語の一つがギルガメシュ叙事詩になります。

古代ウルクの英雄ギルガメシュ王と、そのライバルであり親友となるエンキドゥによって繰り広げられる冒険譚です。

若く横暴なギルガメシュとそれを諫めるために女神に作られたエンキドゥは、運命に操られて出会い戦うことになりますが、互角の勝負を繰り広げ決着をつけることはなく親友となります。

彼らは怪物フンババなどの多くの魔物を討伐をしながら、永遠の命を探し求めましたが、神々に比類する力をもつほどの力を得た二人の英雄たちは、やがて神々に恐れられて呪いを受けることになります。

「どちらか一方が死ぬのだ」。

その呪いを受けたのはエンキドゥであり、彼は高熱に苦しめられて死に至ります。

エンキドゥの死を嘆いたあと、ギルガメシュは永遠の命を手にするという望みを叶えることはないまま故郷ウルクに戻ったのです。

王としてウルクを導いたギルガメシュは死の直前に夢のなかで最高神エンリルから言葉を授けられます。

「永遠の命は得られなかったが、死ねばエンキドゥにまた会えるのだ」。

ギルガメシュは古代に実在していたウルクの王なのではないかと考えられています。

シュメール人の都市国家は奴隷と女性の政治的リーダーもいた

シュメール人の国家は奴隷を使っています。

宗教の権威でもある都市代表者たちが議会で政治を行っていたとされますが、そのなかには女性のリーダーや女王もいた形跡があるのです。

借金をすることも出来て、利率についての記録が残されています。

処女などの純潔さを重視する文化はなく、性的な風紀はそれなりに寛容であり買春なども行われていています。

その後の土地の支配者であるバビロンで行われた「聖なる買春」の原形となったのかは不明です。

ちなみに「聖なる買春」とは女性信者たちや巫女などが買春を行い、それで得た報酬を神殿に奉納するシステムです。

宗教団体の資金源になるだけでなく地母神や豊穣神といった女神が司る、多産や繁栄の加護を得るために行う宗教的な側面があるわけです。

生殖能力を聖なるものと定義している行いであり、バビロン以外でもキプロス島のアフロディーテ神殿などでは積極的に聖なる買春が行われてもいます。

シュメール人の古代都市国家ウルとウルク

ギルガメシュ王のいたウルク

ウルクは紀元前2900年頃に最盛期を迎えたと考えられる都市国家であり、6キロ平方メートルの土地に5万~8万人の人口がいた、同時代最大の都市国家になります。

シュメール人たちの王国の主導的な地位に長らくあった都市であり、紀元前2000年頃にバビロニアとエラムという外敵との戦いと敗北により政治的権威を失います。

しかし西暦633年~638年にかけてのイスラム勢力によるメソポタミア征服まで、この土地には人が住み続けていたのです。

謎の多い古代都市国家ウル

ウルクの後に王権が移ったとされる都市国家がウルになります。

月の女神ナンナを都市の守護神としており、王族の娘たちを月の女神ナンナの神殿に巫女として捧げる風習があったのです。

ウルに人が居住を始めたのは紀元前5000年~紀元前3000年のあいだと考えられていますが、古い時代の建物などは紀元前2200年~2100年のあいだに行われたウルの再開発で失われています。

シュメール人の都市国家は無数にあったとされ、それぞれの力関係がどれほどのものであったのかも不明です。

あまりにも古い時代の建物はシュメール人自身の手により再開発で失われており、多神教をもつ多様な文化性でもあるため考古学的な追跡が難しくなっています。

そして上述の通り古代ユダヤ人とも共存していた「多民族都市国家」であったため、混血や親族を頼ることでの各地への離散、民族対立による追放などを受けやすかった可能性も高いのです。

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シュメール人の滅亡

シュメール人の王朝はライバル国家であるアッカドによる征服で終わりを迎えます。

アッカドの文化や言葉などが流入していきますが、アッカドもまた異民族アムル、エラム、グティなどにより大きな打撃を受けます。

アッカドが勢力を失った時期を狙うようにして、一時的にシュメール人の勢力が王朝を持ちますが、この王朝もまたアムル人に征服されてしまうことになります。

その後に台頭してきたバビロニアのハンムラビにより、シュメールとアッカドは征服されることになるのです。

最終的にはイラクの土地はイスラム教の影響を強く受けるようにもなり、イスラム教の偶像崇拝を禁止する文化による神殿・寺院などの破壊が行われることにもなります。

シュメール人は征服を受ける度に、それらの支配者民族と一体化していき、民族としてのアイデンティティーを喪失していったわけです。

「突然消えた」というよりも度重なる文化のアップデートにより、旧来の文化ではなくなってしまっていったという認識が適しています。

古代イラクの土地では多くの争いが起こり、新たな勝者が生まれる度に支配的な文化の形状は変わっていったわけです。

文化や民族的な帰属意識の消失だけでなく、政治経済の中心地も変わっていき、放置された都市国家の多くが砂に埋もれてしまい、シュメール人の存在さえも長らく忘れ去れることになります。

シュメール人の血を引く者が誰であるのかも、やがて分からなくなってしまい、シュメール人は謎の民として後生では語り継がれることになるのです。

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シュメール人と日本との共通点

考古学分野ならではの面白い説

シュメール人の研究をしていた20世紀の日本人学者により、シュメール人と日本人の共通点が数多く指摘され、「シュメール人が日本人の祖先なのではないか」という珍説が生まれます。

考古学的な権威がある説ではありませんが、話としては面白くもあるものです。

では具体的にはどんな共通点があるのかを紹介していきます。

シュメール人と日本人の似ているところ?

①「シュメール」の音と、日本の古語の「天皇」の発音が似ている

日本の古語では天皇や貴族をスメ(皇)、スメラ(天皇)と言い、それらはシュメール人の「シュメール/スメル」(sumer)と似ているのです。なお、スメルの複数形はスメラギです。

古代シュメール人の王族が日本に流れつき、日本の皇室となったという考え方になります。

言葉が似ているという点に着目しただけの大胆な説になりますが、メソポタミア地方で使われていた紋章と天皇家の紋章である「菊の紋章」が似ているという説もあるのです。

ただし菊の紋章が日本で天皇家の紋章として用いられるようになったのは13世紀の後鳥羽上皇からになり、菊が中国から日本に伝わったのは8~9世紀になります。

②シュメール人の自国の呼び名「葦の主の国」と、古代日本の呼び名「豊葦原中国」が似ている

シュメール人はアッカド人からの呼び名でしたが、シュメール人自身は自分たちの国のことを「キエンギ(葦の主の国)」と読んでいました。

一方、古代日本では、日本のことを「豊葦原中国/とよつあしはらなかつくに」と呼んでおり、キエンギとの共通点として葦(あし)が含まれています。ただし、キエンギは「王の中の王の国」という意味だとも考えられています。

③神話で泥にまつわる話が出るところが似ている

古事記の神話では日本は泥のなかから生まれたり、天から神々が降りて来て日本に君臨することになるため、泥にまつわるシュメール人の文化と天空神の神話に共通点はあります。

アニミズム的な要素も共通点であり、自然界の現象を象徴する神々がいることも似ていますが、古代の宗教では一般的な考え方でもあるのです。

その他の共通点・類似点は下記の通りです。

シュメール人と日本人の共通点・類似点
  • 英雄が冥界を旅する神話などは、イザナギやイザナミの黄泉の世界の物語とも似ている部分がある。
  • シュメール人は黒髪だった可能性があり、日本人も黒髪である。
  • 多神教徒という意味では同じグループになる。

シュメール人は日本人の祖先?

遺伝子をたどれば共通の祖先をもっている可能性はゼロではないかもしれませんが、シュメール人の登場よりも古い共通祖先に行き着く可能性が高いと考えられます。

空間以上に時間も離れているために、両者のあいだに文化的なつながりは無いと考えるのが妥当に思われます。

しかし文化的な形質は似ている部分がたしかに存在しているため、古代イラクの神話が世界に与えた影響力が古代の日本にも間接的に及んでいたかもしれないと考えることは楽しいことです。

まとめ

  • シュメール人は発祥が不明
  • シュメール人の残した像は目が大きすぎて怖い
  • シュメール人の文化は高度に発展していた
  • シュメール人の発明は楔形文字、ビール、太陰暦、60進法、灌漑農業などがある
  • シュメール人の都市国家は多神教を崇拝しており多民族が住んでいた
  • シュメール人の神話にはアヌンナキやギルガメシュ叙事詩がある
  • シュメール人の都市国家や伝説は旧約聖書と結びつく
  • シュメール人は多数の異民族や敵国に支配されつづけていた
  • シュメール人と日本には共通点がいくつかある

多くの土地に影響を残すような発明をしたシュメール人の正体は未だに不明です。

古過ぎる文明は情報が多くは残されていないものになります。

しかし遺伝子解析などで北アフリカのルーツ説などの新たな証拠も見つかりつつあるのです。

考古学的な分析技術の進歩により、今まで以上に大きな情報が見つかるようになっています。

いつかはシュメール人の謎に包まれた出現場所なども分かる日が来るかもしれないのです。

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