「アングロサクソン」と聞いてイメージをするのは、白人やキリスト教になります。
現代でも強い影響力を有しているアングロサクソンたちですが、そもそもの由来までは忘れがちになります。
今回はそんなアングロサクソンについてご紹介してきます。
彼らがどこから来たのか、彼らが作り上げたアングロサクソン七王国についてもまとめています。
アングロサクソンの由来
アングロサクソンはゲルマン系民族に祖をもつ
アングロサクソンの成立は4世紀に端を発することになります。
東方から来た遊牧騎馬民族フン族の侵入が起きたため、ヨーロッパ北部に大きな政治的な動乱が発生することになったのです。
広大な地域を支配したフン族により、ゲルマン系民族やスラブ系民族は支配されてしまいます。
この侵略者勢力に追い出されるような形となり、ドイツや北ヨーロッパなどに住んでいたゲルマン系の民族が大きな移動を開始するようになります。
そんなゲルマン系民族のなかに、アングル人、サクソン人、ジュート人という3つのグループが存在します。
この3つのグループは大陸を駆け抜けて海を渡り、今ではイギリスと呼ばれている地域に移動することになったのです。
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アングロサクソンは3つの民族により成立
今でいうドイツなどにいたアングル人とサクソン人、そしてデンマークにいたジュート人たちは5世紀頃にイギリスに上陸します。
この上陸には409年にローマ帝国がイギリス領土を放棄していたことも関連することになるのです。
南下してきたゲルマン人勢力が領土の各地に侵入していたため、ローマ帝国はイギリス領を放棄せざるを得なくなっていたのです。
ローマ帝国の衰退の原因を作りながらも、その衰退に乗じて3つの民族がイギリスに上陸し、原住民ともいえるケルト系民族を支配していくことになります。
こうしてイギリスからケルト系の文化は失われていき、3つの分族からなるアングロサクソンたちの文化と国家にイギリスは大きな影響を受けるようになるのです。
アングロサクソンという人種は、5世紀のイギリスに到来したゲルマン系民族たちの総称になります。
アイルランドにはアングロサクソンは侵入していない
日本人にとってはイギリスとアイルランドの違いは理解しにくものですが、地理的にはイギリス本島から北西部にある、イギリス本島に比べるとやや小さな島国になります。
アングロサクソンはアイルランドまでは到達することができず、アイルランドは古い時代においてはアングロサクソンの影響を受けなかったわけです。
アングロサクソンの持っていた文化
アングロサクソンの古英語
英語はイギリス発祥の言語なのですが、その由来を遡ればイギリス以外の土地にも及びます。
英語がイギリスの地で完成されたのは事実ですが、そのオリジナルである「古英語」を使っていたのは5世紀から到来を始めたアングロサクソンになります。
それ以前にイギリスの土地で使われていた言葉は、ケルト語とラテン語が盛んだったのです。
古英語にはやがてイギリスに襲来してくる「ヴァイキング/デーン人」の言葉の影響も加わり完成していきます。
なお12世紀から16世紀の中世にはフランスからの文法の流入も起きることになるのです。
フランス語の文法や単語の影響を強く受けつつ進化していきますが、当時のイギリスでは英語が公用語ではなかったため、庶民的な言葉として簡略化されていき、近代英語は成立することになります。
アングロサクソンはキリスト教徒ではなかった
北方から来たアングロサクソンの集団は、キリスト教を崇拝してはいなかったのです。
イギリスに住んでいたケルト系民族たちは、ケルト文化を反映したキリスト教を信仰していましたが、アングロサクソンは北欧系の神話を崇拝しています。
主神オーディンや雷神トールなどの北欧神話を伝承した民族なのです。
初期のアングロサクソンの葬儀は火葬によるものであり、やがて武器と共にですが死体を埋葬するようにもなります。
最終的には武器をともなうことはなくなり、キリスト教の布教を受けてキリスト教と同じ方式になっていきます。
葬儀の方式がゲルマン系の方式から、徐々にキリスト教的な文化を帯びることになったわけです。
ケルト系文化は主体性を失いつつも、その影響をアングロサクソンたちの文化に与え、やがてカトリックの様式を受け継ぐことでアングロサクソンのキリスト教化は完成を迎えます。
アングロサクソンはビーズを使っていた
紐に石や骨やガラスなどを通してつくる首飾りやブレスレット、つまりビーズをアングロサクソンは使っています。
それらは使われる材質に応じて、それぞれのものが象徴的な意味を持っていたとされています。
これもまたゲルマン系古来の伝統を反映するものです。
アングロサクソンは動物に象徴的な意味を持たせる
動物に対しての興味が強く、動物たちを何かしらの意味を与えてシンボルとして使うことをアングロサクソンたちは好みます。
近隣にいる動物はもちろんのこと、イギリスにはいなかったライオンや孔雀などにまで興味と使用は及ぶことになり、コインなどにそれらの動物が刻まれることになります。
これらはキリスト教的な発想ではなく、アングロサクソンたちが伝えた文化です。
アングロサクソン七王国
アングロサクソンたちがイギリスで7つの王国を作り上げる
ケルト系の民族を従える形でイギリスを支配することになったアングロサクソンたちは、新たな王国を作り上げることにします。
自分たちの文化と血筋にもとづくアングロサクソンの王国が無数に建設されることになり、それらの代表的な7つの王国が「アングロサクソン七王国」と呼ばれています。
実際には7つだけではなく、より多くの集団による乱世であったこともポイントになります。
アングロサクソン七王国①ノーザンブリア王国:アングル人の王国
2つの王家がお互いに権力を競い合うことになります。
それぞれの王家の伝説上の祖先は、北欧神話の主神である「オーディン」の双子ベルデーグとウェグデーグにあたります。
彼らはオーディンの末裔という立場であったわけです。
ノーザンブリア王国はケルト系のキリスト教を保護してもおり、修道院を多く建てることになります。
イギリス本島のケルト系キリスト教はアングロサクソンの襲来で絶えていましたが、アイルランドではケルト系キリスト教は存続していたのです。
その系譜につらなる教会から修道士を招き、ケルト系キリスト教を信仰します。
リンディスファーン修道院はノーザンブリア王に招かれた聖エイダンにより建設されて、ノーザンブリア王国のみならず、イギリス北部のキリスト教の布教に貢献することになるのです。
特徴的な芸術はケルトやアングロサクソンの文化を融合した十字架や碑文です。
古英語やルーン文字が彫り込まれている石でつくった十字架である「ラスウェルクロス」および「ビーキャッスルクロス」という塔のような形状の碑文などがあります。
アングロサクソン七王国②マーシア王国:アングル人の王国
巨人と竜殺しの英雄ベーオウルフを伝説上の祖先にもつのがマーシア王家になります。
元々は傭兵としてイングランドの原住民に蛮族退治のために雇われていた集団ですが、彼ら自身が侵略者となって領地を奪い取り、王国を建設することになったのです。
戦闘的な国家であり他の七王国と比べてキリスト教化が遅く、ゲルマン神話を色濃く継承していた国です。
今ではオーディンなどにちなんだ名前を残しています。
強国としてアングロサクソン諸国の上位王「ブレトワルダ」を二人ほど排出しています。
ノーザンブリア王国のライバル王国です。
そのためノーザンブリア王国の書物などでは「ブレトワルダ」として扱われないことも多くあります。
アングロサクソン七王国③イースト・アングリア王国:アングル人の王国
それなりの国力を持っていた王国ですが強国とは言えず、マーシア王国に従属を強いられたりヴァイキング(デーン人)により支配されたりします。
最終的にはウェセックス王国に征服されて消滅します。
アングロサクソン七王国④エセックス王国:サクソン人の王国
小国でありマーシア王国やイースト・アングリア王国、ケント王国に従属します。
エセックス王国はウェセックス王国に吸収合併します。
国名は「東サクソン」という意味です。
イースト・サクソン(East Saxons)なので、エセックス(Essex)となります。
アングロサクソン七王国⑤ウェセックス王国:サクソン人の王国
「西サクソン」という意味の国名を持つ王国です。
強国ですが、何度かマーシア王国などに敗北しています。
ヴァイキング(デーン人)の襲撃を唯一耐え抜き、後の「イングランド王国」へとなります。
イギリスを初めて統一した王エグバートが有名です。
そしてヴァイキングの侵攻を受け止めてキリスト教文化の復興に尽くし、古英語での読み書きを慣習化させた「アルフレッド大王」も重要な人物になります。
アルフレッド大王の孫が、初代のイングランド王となるのです。
アングロサクソン七王国⑥ケント王国:ジュート人の王国
最も早くにローマ・カトリック教を受け入れた王国です。
アングロサクソンを率いてイギリスを侵攻したヘンギストとホルサという兄弟戦士のうち、ヘンギストにより作られたという伝説を持っています。
アングロサクソン七王国と同じく、ゲルマン人たちに作られた国であるフランク王国とのつながりもある国です。
8世紀はマーシア王国に従属しており、9世紀にウェセックス王国の吸収されます。
アングロサクソン七王国⑦サセックス王国:サクソン人の王国
「南サクソン王国」という意味がサセックスにはあります。
さまざまな土地から流れついたサクソン人傭兵たちの入植地、そこが独立したものだと考えられています。
他のサクソン人の王国に比べると王族の血筋などの系譜が不明瞭で、複数の王が同時に支配するような王国だったのです。
国力も弱かったため独立していた時期が長くはなく、他の強国の属国的な扱いである時期が多い国になります。
アングロサクソン七王国からイングランド王国に至るまで
サングロサクソン七王国はヴァイキング(デーン人)の度重なる襲撃を受けて衰退していきます。
最終的には七王国のなかのウェセックス王国のエドワード長兄王(874~924)に多くの王国がまとめられ、エドワードが「アングロサクソン人の王」としてデーン人と戦います(エドワードはアルフレッド大王の息子です)。
その息子であるアゼルスタン(895年~939年)がデーン人から多くの領土を取り戻し、土地とデーン人に自分たちへの同化政策を行います。
アゼルスタンは「初代イングランド王」とされ、ウェセックスの強王たちが築いたイングランド王国は927年~1707年まで続くことになるのです。
1707年にイングランド王国とスコットランド王国が合併、「グレートブリテン」が誕生します。
1801年にグレートブリテンにアイルランド王国が合流し、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国が成立します。
やがてアイルランド自由国が独立したため、1927年からは「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」が、日本で使われている「イギリス」の正式名称となるわけです。
まとめ
- アングロサクソンはアングル人、サクソン人、ジュート人
- アングロサクソンはドイツや北欧から来たゲルマン系民族に由来する
- アングロサクソンは北欧神話やゲルマン人の文化を持っていた
- アングロサクソン七王国はイギリスの広い範囲を征服
- アングロサクソン七王国は覇権を取り合い戦う
- アングロサクソン七王国はキリスト教を受け入れる
- アングロサクソン七王国はヴァイキング(デーン人)に襲撃され衰退する
- ウェセックス王アゼルスタンがデーン人から領地を奪還、イングランド王国成立
古代のドイツや北欧に起源を持つアングロサクソンにより、古代のイギリスには7つの王国が建てられます。
この七王国がイギリスの祖を作ることになり、イングランド王国はその後も多くの敵国との戦いを行うことになります。
さらに多くのヨーロッパの国々から文化や政治的な影響を受けることになり、複雑なヨーロッパの歴史の一端を担っていくことになるのです。
アングロサクソン七王国がイングランド王国になり、中世ヨーロッパは本格的に動き出すことになります。
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