ベルベル人:特徴や歴史、有名人7選まで!

世界にはさまざまな民族が、独自の文化や世界観をもって生きています。

人種や宗教、言語などにより、集団が分かれ、それそれの歴史を歩むことにより、民族は個性を持って独立した存在へとなっていきます。

今回ご紹介するのはベルベル人です。

ベルベル人は、モロッコとアルジェリアを中心として北アフリカの広範な地域、そしてフランス、オランダ、ベルギーなどのヨーロッパ各地に住んでいます。

どうしてこんな広範囲に住んでいるのかにも、もちろん理由があるのです。

彼らは、どういう特徴を持った民族なのか、歴史人種はどんなものであるのか、そして、ベルベル人の有名人などについてもまとめています。

ベルベル人が持つ特徴と文化

ベルベル人の見た目と遺伝子タイプ

ベルベル人の見た目はコーカソイド、いわゆる「白人」に近しい外見をしています。

しかし、その遺伝子的な背景は複雑であり、父親から子に受け継がれていくY染色体の追跡調査においては、ベルベル人の多くはネグロイド系の遺伝子、つまり黒人の遺伝子を継承していることが判明しています。

ベルベル人の持つ遺伝子には、地中海の諸国家やアラブ系の遺伝子も多く含まれていて、コーカソイドネグロイド、そして時にモンゴロイド系の遺伝子まで現れる場合もあるのです。

多くの民族との混血により、現在のベルベル人は誕生していったことになります。

白人に似た親から、黒人に似た子供が産まれるというケースもよくあり、多様な遺伝子を継承している民族がベルベル人になります。

ベルベル人の女性は美人が多い?

伝統衣装を身にまとうベルベル人の女性(出典:imgur.com)

アラブ人の伝統的な価値観として、ベルベル人の女性「美人が多い」ことで有名です。

また、男性の特徴としては、「怒りっぽい」というイメージが持たれています。

そのため、ベルベル人女性と付き合うと羨ましがられ、ベルベル人男性と付き合うと心配される、ということもあるわけです。

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ベルベル人特有のベルベル語

ベルベル人とは、「ベルベル語を話す民族」の総称でもあります。

なお、「ベルベル語」と言っても1つの言語ではなく、ベルベル語は主に6つの言語(タマジグト、タリフィート、タシュリヒート、カビル、トゥアレグ、シャウィヤ)から成り立っているベルベル諸語なのです。

幾つかのベルベル語は、すでに滅び去ったものがあると考えられているため、その種類は、かつてはより多かったものと考えられているのです。

なお「ベルベル」とは、バーバリアンあるいはバルバロイというローマの言葉に由来する名称であり、野蛮人、蛮族、言葉の分からない人々、という侮蔑的な意味です。

「ベルベル人」という言葉は、差別的な言葉であるため、彼らは自称するときは「アマジグ」あるいは「アマジク」という民族名を好んで使っています。

古代においてはベルベル語の書き言葉が存在していたとされ、古代地中海貿易で使われていたポエニ文字との関連が指摘されているのです。

フェニキア人が使用していたフェニキア語の北アフリカ方言が、ポエニ文字であり、フェニキア人はカルタゴなどの有名な商業都市を建設し、ベルベル人の暮らす地域の支配だったのです。

ベルベル人はカルタゴの貿易商に傭兵などとして従事していため、その文化の影響を受けていたと考えられています。

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モロッコにある合同結婚式祭り「ムッセム」

ベルベル人の結婚式の祭り「ムッセム」(出典:The National)

広大な砂漠と荒野が広がるモロッコのアトラス山脈には、イミルシルの湖と呼ばれる二つの湖が存在しています。

それぞれはイスリ(花婿)の湖ディスリット(花嫁)の湖と呼ばれていて、それには近くにあるイミルシル村の伝説が由来となっているのです。

イミルシルの地では大昔、とある男女が恋に落ちましたが、男女は戦争をしているそれぞれ別の部族に属していたため、結婚することが許されなかったのです。

男女は悲しみに明け暮れて、泣きつづけます。

泣きつづけた結果、二人の涙でそれぞれに湖が出来たのです。

二人はその湖に身を投げて、命を断つことになります。

その結末を悲しんだイミルシル村の人々は、一年に一度だけ違う部族の男女でも結婚出来るという日を設けたのです。

その結果、他の村や他の部族同士のあいだにおける合同結婚式がこのイミルシルの村で始まったのです。

今では「イミルシルの婚約ムッセム(Moussem)」という祭りとして、毎年、9月のなかの3日間において行われています。

なおムッセムは、遊牧民族たちが集まり、同時に結婚式を挙げるだけでなく、ラクダの隊商が訪れたりして商業を行い、ラクダや馬術競技のコンテストが開かれています。

いくつかの部族が集まり、婚約も商業もお祭りも同時に行うイベントなのです。

ベルベル人の歴史

敗北と侵略に晒されるベルベル人の歴史

紀元前10世紀頃にフェニキア人によって、北アフリカの広い地域が支配されます。

ベルベル人の諸部族もフェニキア人の支配下となり、カルタゴの傭兵などとして使われるようになるのです。

ポエニ戦争でカルタゴが弱体した後は、ローマ帝国の支配下になり、キリスト教化が進みます。

その後、現在のドイツやポーランド、デンマーク、チェコ、スロバキアなどに暮らしていたヴァンダル族が南下して来て王国を建設し、キリストの三位一体を否定するアリウス派の王のもとで、カトリックとミトラ教の迫害が行われるのです。

言語もまた、ローマとヴァンダル王国時代の影響を受けて、地中海で盛んに使用されていたロマンス語に属する言語が使用されるようになっていきます。

ヴァンダル王国が倒れると、ギリシャ文化を継承した東ローマ帝国に支配され、ギリシャ語が使用されるようになるのです。

やがて、アラビア半島からイスラム勢力による侵略を受けて、アラビア語イスラム教、そしてアラブ系の血筋がベルベル人のあいだに広まっていきます。

いつの時代においても、砂漠と荒野と山岳地帯を旅する遊牧民族であるベルベル人は、隊商の護衛を行う傭兵や、軍人などとして雇用されることが多く、戦士としての質が高かったことにより滅亡することはなかったのです。

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ベルベル人が王朝を建てる

歴史的に王朝で主権を得る機会に乏しいベルベル人ですが、数少ないチャンスがイスラム教の流入により訪れるようになります。

11世紀になると、熱心なイスラム教徒となったベルベル人たちがモロッコに増えていき、彼らによって王朝が建設されるようになります。

しかし、公用語はベルベル語ではなく、アラビア語となっていたのです。

ベルベル人の王朝はイベリア半島に遠征し、その土地を支配することもあり、スペインやポルトガルなどとのあいだで、お互いの言語や血筋が混じっていくことになります。

13、14世紀はキリスト教との戦いが盛んに行われて、敗北し王朝が崩壊することになるのです。

その結果、モロッコの土地では神秘主義などの宗教があちこちで勢力を振るうことになり、諸部族のリーダーたちが支配力を巡って争う、民族紛争の時代に入ります。

15世紀ではイベリアにいたムスリムのベルベル人たちは、キリスト教に改宗するか、北西部アフリカへの強制移住、つまり追放が行われます。

16世紀になると、オスマン帝国に支配され、トルコ人によってアラブ化が強まっていく結果となります。

19世紀以降はフランスの植民地となり、公用語はフランス語になります。

一部のベルベル人はフランスに協力的になりながらも、多くのベルベル人とアラブ系はイスラム教徒として団結して反抗を続けます。

20世紀中頃以後、北アフリカ国家が独立し、イスラム教とアラブ化の政策が進むことになるのです。

ベルベル人の歴史は文化・宗教・民族・人種がミックスしている

まずはアフリカ系である血筋に対し、古代のフェニキア人、イタリア人、ドイツやポーランド人、ギリシャ人、アラブ系民族、スペイン人、ポルトガル人、トルコ人、フランス人などの侵略と流入、あるいはベルベル人のそれらの地域への移住が起きています。

また宗教も、ミトラ教、一部の山岳地帯ではユダヤ教カトリック、反カトリック的な側面をもつキリスト教アリウス派イスラム教、果ては神秘主義など、さまざまな宗教が時代によって影響力を持ちます。

ベルベル人の遺伝子的な多様性や、文化的なルーツを解明することが困難な理由にも、この歴史が由来しています。

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ベルベル人の年表

ベルベル人の年表
  • 有史以前:カプサ文化などの担い手。遺伝子的にはリビア周辺にもルーツの可能性があり、Y染色体の分布によれば、そこから北アフリカに広がっている。
  • 紀元前10世紀頃:フェニキア人の影響を受ける。
  • 紀元前219年第二次ポエニ戦争でカルタゴ敗北、ローマの支配下になり、キリスト教、ラテン文化が入る。
  • 435年~534年:ヴァンダル王国により支配。カトリック、ミトラ教の弾圧。
  • 6世紀~7世紀:東ローマ帝国に支配される。ギリシャ語と文化が入る。
  • 7世紀:東ローマ弱体化により、アラブ系が流入、イスラムおよびアラブ化。
  • 8世紀:イスラム勢力の一員として、キリスト教系の地中海勢力に対し傭兵・軍人として戦う。
  • 983年~1148年:ベルベル人によるズィール朝建設、後に海賊の拠点となる「アルジェ」を作る。
  • 11世紀~12世紀:イスラム教の影響力が強まり、ベルベル人がムラービト朝(1040年~1147年)、ムワッヒド朝(1130年~1269年)を作る。
  • 13世紀~15世紀:ベルベル人がイベリア半島に侵出、イベリア半島南部にグラナダ王国を建設。

    キリスト教とイスラム勢力として戦い、勝利と敗北を繰り返していき、疲弊して衰退。部族対立と神秘主義の台頭を許す。

  • 1492年:「モリスコ追放」、イベリア半島にいるイスラム系ベルベル人(モリスコ)が、キリスト教に強制改宗。改宗しないものは、北アフリカの各地に追放される。
  • 16世紀:オスマン帝国により支配。アルジェの海賊勢力、オスマン帝国に従う。
  • 16世紀~19世紀:アルジェの海賊勢力、バルバリア海賊が地中海でキリスト教国の商船を襲いつづけ、捕らえたキリスト教徒を奴隷化。100万~125万人の奴隷が生まれる。

    「ドン・キホーテ」の作者であり、「レパントの片腕男」ことセルバンテス。バルバリア海賊に捕まり、四度の脱走を試みるも失敗。レパントの海戦での活躍により与えられていた書状に救われ、無事に帰還。

  • 19世紀~20世紀:キリスト教徒解放のために、バーバリ戦争が起きる。1817年「アルジェの砲撃」。北アフリカ各地、フランスの植民地になる。
  • 20世紀中盤以降:北アフリカ各地で国家が独立。

ベルベル人の有名人7選

①ジネディーヌ・ジダン

(出典:wikipedia)

元サッカーフランス代表、現在はレアル・マドリードの監督。両親がアルジェリアからの移民です。

史上最高のプレイヤー100選に認定された「フランスの至宝」。

②カリム・ベンゼマ

(出典:wikipedia)

元サッカーフランス代表、レアル・マドリード所属の選手。ジダンと同じくベルベル系アルジェリア人の一族です。

③ロリーン

(出典:wikipedia)

スウェーデンの歌手で、両親はモロッコ出身のベルベル人。

ユーロビジョン・ソング・コンテスト2012にスウェーデン代表として参加し、「Euphoria」を歌い、13年ぶりに同国に優勝をもたらしました。

④インディ・ザーラ

(出典:wikipedia)

モロッコ出身で、フランスを中心として活躍したベルベル人の歌姫。彼女の曲のほとんどは英語ですが、曲によってはベルベル語のもあります。

⑤イブン・バットゥータ

(出典:wikipedia)

世界史でおなじみ、14世紀のモロッコの旅行家。

約30年を費やした旅の記録である『大旅行記』の著者であり、史上最高の旅行家の一人です。

⑥ターリク・イブン・ズィヤード

(出典:wikipedia)

スペインとモロッコの間にあるジブラルタル海峡の名前の由来となった、8世紀にイベリア半島を征服したウマイヤ朝の軍人。

⑦アリウス(アレイオス)

(出典:wikipedia)

3世紀のキリスト教アリウス派の創始者でリビア出身。

ちなみに、アリウス派では、キリストは神の被造物である、つまりキリストも人であるという立場をとります。

まとめ

  • ベルベル人は白人に分類されるが遺伝子学上は黒人に近い。
  • ベルベル人は文化においても人種においても、さまざまなルーツを持つ民族。
  • ベルベル人の女性は美人で、男性は短気。
  • ベルベルという意味は、野蛮人、蛮族、言葉が通じない人々。
  • ベルベルという言葉は差別的である。
  • ベルベル人はイベリア半島に王国を築いたこともある。
  • ベルベル人は歴史的に、強い権力を掌握する機会に恵まれない。
  • ベルベル人にはイミルシルの婚約ムッセムという集団結婚式の祭りがある。
  • ベルベル人の著名人は世界中にいる。

ベルベル人が持つ遺伝子がとても複雑である理由は、その歴史にあるようです。

同じベルベル語を話す部族であっても、地域によれば、より黒人のようでもある場合や、白人に似る場合もあり、親子でも若干、人種の傾向が異なることもあります。

その文化には、独自の由来だけでなく、さまざまな異文化の融合が起きています。

しかし、この複雑なベルベル人の文化と歴史を学ぶことで、地中海世界を中心とした世界史の勉強にもなるわけです。

一つの民族から見た、地中海の歴史を認識することで、その理解はより深まることになります。

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