パックスロマーナとは?ローマの五賢帝たちが築いた平和な時代

平和と秩序の女神パクスの名を冠する平和な200年。古代ローマにおいて、パックスロマーナの時代は訪れました。

その時期の定義する方法は幾つか存在していますが、紀元前27年から180年の間までの、およそ200年の期間となります。

このパックスロマーナの時代において、ローマ帝国は最大の領土を獲得し、その人口は7000万人に達しました。

当時の世界人口の三分の一ほどが、ローマに所属していたことになる数字です。

今回は、その華麗なる時代、パックスロマーナについてご紹介していきたいと思います。

パックスロマーナは「奇跡」の時代

パックスロマーナは「奇跡」と称されることがあります。

何故ならば地中海世界は、それまでの時代に大規模な戦争が相次ぎ地政学的に不安定な地域であったためです。

戦争ばかりして来た地中海世界において、ローマ帝国が覇権を確立させたことで大きな安定が地域にもたらされることになりました。

古代世界の超大国ローマによる平和な時代の始まりです。

もちろん、完全に戦争が起きなかったというわけではありませんが、それでもパックスロマーナの前後の時代に比べれば、とても安定していた時代になります。

アウグストゥスの勝利から始まる

共和制ローマ最後の内戦

パックスロマーナを直接的に始めた人物は、皇帝アウグストゥスです。

彼は度重なる戦争と政治闘争を勝ち抜き、ローマの内乱を終結に導きました。

その最後の戦いは、アントニウスとクレオパトラとの戦いです。

アクティウムの海戦で両者を破り、最大の政敵を倒したアウグストゥスは一世紀のあいだ続いてきたローマの内戦を終わらせました。

権力を得たアウグストゥスは、ローマに帝制を開始させて、自身が初代皇帝となります。

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安定がもたらした地中海貿易の発達

経済面でもローマは豊かとなった

戦乱の時代は終わり、市民生活にも明るい兆しが見えてきます。

地中海世界を支配するローマは、その広大な海域における貿易を発展させていくことになりました。

平和だからこそ、経済活動も行いやすくなったわけですね。

ローマ人はシルク、宝石、スパイスなどを求めて東へと航海し、ローマ帝国は貿易による収入を拡大させていきました。

同時期、大陸の反対側では中国・漢が覇権を築いていた

パックスロマーナの時代と重なるように、中国が東アジアとその周辺の覇権を握っていました(パックス・シニカ、中国の平和とも呼ばれています)。

そのため、東西のあいだにおける貿易が発展していったのです。貿易だけでなく、旅行者も増えたとされます。

五賢帝の時代はローマ帝国の最盛期

五人の有能な皇帝たちの仕事ぶり

およそ200年のあいだ続いたパックスロマーナですが、なかでも五賢帝の時代はその最盛期と言われています。

五賢帝と呼ばれる彼らは、どんな皇帝だったのでしょうか?

彼らの功績を簡単に記します。

ネルヴァ(在位:西暦96年~98年)

  • 貧困層を救済する法律を制定。
  • 税制改革の実行。

トラヤヌス(在位:西暦98年~117年)

  • ローマ史上最大の領土を獲得。
  • 道路の整備を行う。
  • 浴場など公共施設の充実と、公共事業による経済の活性化。

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ハドリアヌス(在位:西暦117年~138年)

  • 領土拡大方針を転向し、領土のスリム化を実行。
  • 防衛力の強化を実行、ハドリアヌスの長城の建設。
  • 法律を分かりやすい簡潔なものとした。

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アントニヌス・ピウス(在位:西暦138年~161年)

  • 芸術や科学の推奨。
  • 公共事業を増やす。
  • 孤児救済の法律の制定。

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マルクス・アウレリウス(在位:西暦161年~180年)

  • 貧民階級の子供に対する慈善政策を進める。
  • 言論の自由を保障し、喜劇作家による皇帝の揶揄も許容。
  • 孤児や少年少女の保護、解放奴隷についての法律、市議会議員選出法の改革。

現代にも稀だと思われるような、理想的な政策の数々です。

歴史家たちが、五賢帝と彼らを称し、パックスロマーナの最盛期に相応しい名君たちが続きました。

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パックスロマーナはいかに築かれたか

プロパガンダの多用

超大国ローマによる地中海世界の単独支配は、大きな平和と繁栄をもたらす結果となりました。

軍事的な力でその支配は成り立っているものですが、歴代の皇帝たちは軍事力だけにこの安定を頼っていたわけではありません。

彼らはパックスロマーナを維持するために、さまざまな手法を用いています。

「平和」という概念を宣伝することで、戦争や内乱を防ごうと皇帝たちは考えて、それを実行するのでした。

戦争や内乱ばかりのローマ人には、「平和」という概念が耳新しいものだったったのかもしれません。

皇帝たちの神格化

皇帝たちは自身や先代の皇帝などを、積極的に神格化しました。

皇帝を神として讃えることで、間接的に自身の政治力も高めようという考えです。

神である先代の皇帝から後継者に任命されたこと、そして、神と同列である皇帝の座にいる自分への権威を知らしめること、そういう政治的な加護を得るための行いでした。

初代皇帝アウグストゥスも神として祀られ、8月(August)の語源になっています。

パンテオン神殿の建立

神殿などを多く建てることを好み、民衆の信仰心を納得させています。

反乱を封じたり、宗教を利用することで人々に安心を与えようとしていました。

公共事業が多かった

市民が仕事に困らないように、多くの公共事業を行いました。

とにかく社会福祉を充実させる

ローマ市民の反乱を防ぐために、皇帝たちは社会福祉を充実させました。

サーカスや闘技場コロセウムなどの娯楽にも力を入れることで、民衆の心を掴むことに力を注ぎました。

民衆に媚びた

元老院など議会の存在を完全に無視することは皇帝にも難しく、ローマ市民たちの不満は間接的に皇帝を打倒させる力を持ちかねません。

そのため、五賢帝たちはローマ市民を手厚く尊重していましたし、尊敬と支持を集めるためには多くの財政的な負担を容認することになります。

パックスロマーナの終焉

最後の五賢帝アウレリウス

どんなに素晴らしい時代だっとしても、あらゆることに必ず終わりは訪れます。

最後の五賢帝アウレリウスの死により、パックスロマーナも終焉を迎えることになりました。

パックスロマーナを定義する方法はいくつもありますが、その終わりはアウレリウスの死だということでは、おおむね決まっているのです。

アウレリウスの後継者である実子、コンモドゥス。彼は残念なことに、ローマ史上に残る悪帝の一人でした。

暴政を働き、貴族や騎士を虐殺したコンモドゥスは、暗殺されて死亡します。

魅力的な政策を実行し、平和な世界を維持してきたアウレリウスも、我が子の教育にだけは失敗していました。

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コンモドゥスだけの責任ではない?

パックスロマーナを終わらせた皇帝はコンモドゥスですが、五賢帝たちの時代にもローマの支配は完全なものだったとは言いがたいかもしれません。

ハドリアヌスの時代に、領土拡張政策は限界を迎えて、いくつかの属州を放棄せざるを得ない状態であったからです。

ハドリアヌスは領土を維持するどころか、実際には減少させていました。

ローマの勢いには、陰りが見え始めていたのかもしれません。

まとめ

パックスロマーナの時代は:

  • およそ200年のあいだ比較的、平和な時代であった。
  • 世界人口の三分の一、7000万人もの国民がいた。
  • 経済や文化面でも大きく発展した。
  • 五賢帝たちの時代に最盛期を迎えた。
  • 完全な平和でも、完璧な支配でもなかった。

世界史に燦然と輝く、パックスロマーナ。

その平和で豊かな時代は、歴史家たちに賞賛されて来ましたが、現在の認識ではかつてほどの高い評価を得てはいないところもあります。

この時代にも暗殺や策略と考えられるような政治工作は多発していました。

ローマに支配される立場であった人々から見れば、その支配や政策に納得しがたい部分も多くあり、各地で紛争や反乱も起きてはいたのです。

ローマ人にとっての幸福が、世界の全ての人々の幸福だとは限りません。

とはいえ、皇帝たちが築いた時代は、それ以前それ以後と比べても豊かで平和な時代でした。

貿易などの経済活動はもちろん、大衆文化、芸術などが大きく発展した時代であったことは事実なのです。

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