ローマ五賢帝の一人、ハドリアヌス帝(在位117~138年)はローマの領土拡大の方針を撤回させて、ローマ内部の統治に力を入れたとされる人物です。
軍人・騎士階級出身者であり、先代の皇帝であるトラヤヌスの急死の際、後継者兼養子として選ばれ、皇帝の座に就きます。
ローマ帝国の全盛期の一部を担うハドリアヌス帝の治世ですが、彼には賢帝の称号とは不釣り合いな悪い噂も存在しているのです。
目次
帝位に就く経緯
不倫?四人の元老院議員を殺害!血塗られた就任
117年、先代のトラヤヌスの死により帝位に就いたハドリアヌスですが、彼の帝位継承は決して順当なものではなかったという説があります。
そもそも彼がトラヤヌスの継承者である養子という身分になったことも、トラヤヌスの未亡人と不倫関係にあったからではないかという説まであるのです。
真実は不明ですが、彼女の強い支持があったからこそ、トラヤヌスの養子となれたという可能性があります。
さらには、就任した117年に、四人もの元老議員を、自身への暗殺を試みたという疑惑のもとに処刑したのです。
ハドリアヌスが命じたとも、彼の支持者たちが勝手に行ったとも言われています。
真実は不明ですが、民衆はハドリアヌスの血なまぐさい就任に、大きな疑問と警戒心を抱くようになったのです。
ハドリアヌスの功績
領土拡張時代の終焉
ローマ帝国が最大の領土を持っていたのは、先帝トラヤヌスの時代です。
トラヤヌスは領土の拡張政策の推進者であり、その結果、ローマは領土獲得のための戦争と、植民地とした国家の反乱などに備え、軍事的に多忙な日々を送っていました。
ハドリアヌスは先帝の方針を撤回して、管理が困難な領土を放棄し、帝国内の安定に尽くすことになります。
野心的なトラヤヌスとは異なり、現実的で安定的な路線をハドリアヌスは選んだわけです。
スペイン系の軍人・騎士階級の出身である二人の皇帝ですが、その方針は大きく異なっており、ハドリアヌスは長年の従軍生活の結果、膨張した戦線を支えることの不利を理解していたようですね。
こうしてローマは最大の領土を持っていた時代を終えて、より安定を目指す時代がやって来ます。
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ハドリアヌスの長城
賢帝の残した世界遺産
ハドリアヌスは広大な領土・属州を維持するために、帝国領内を積極的に査察の旅に出かけます。
軍隊の指導を直接行う、兵士の現地雇用を増やして軍隊のコスト削減に努めるなど、国防に強い興味と関心、そして情熱を有していたようです。
そんなハドリアヌスが残した軍事施設が、ハドリアヌスの長城と呼ばれる城塞になります。
イギリスに残る、ローマ帝国最北端の証
ハドリアヌスの長城は軍事的な施設であり、その高さは4~5メートル、厚さは3メートルほどで、全長は118キロメートルにもなります。
ローマ帝国の領土の外周、つまりは国境線を守る防壁の一部であり、これを築いたことは領土拡張政策の終焉を告げる意味にもなるのです。
ローマ帝国領最北の地を、ハドリアヌスは長城を築くことで示したのでした。
都市部の整備を実行
権威を高め、元老院議員の自尊心を満たせ
国防と属州を巡ることに力を入れていたハドリアヌスですが、都であるローマの都市整備にも力を入れました。
老朽化が始まっていたローマを再整備しつつ、パンテオン神殿を建設することで、「神々に守られたローマ」を演出し、時には自ら神殿の設計図を描くことさえありました。
物心共に豊かな都を作り、市民や議員たちを納得させようとしていたようです。
優れた軍人であるだけでなく、人心の掌握にも気を使える政治力の持ち主であり、なんとも多才で有能な皇帝だってことは間違いがありません。
しかし、ローマでは最良の市民を演じる一方で、違った顔も持っていました。
出身地であるイタリアとローマ以外では元老院を軽んじるなど、相反する二面性を有した人物でもあったようです。
『テルマエロマエ』でお馴染み公衆浴場を作らせる
ハドリアヌスは、レプティス・マグナの浴場などを作らせてもいます。
漫画『テルマエロマエ』にも、ハドリアヌスは皇帝として出て来ますね。
彼が市民生活の向上に力を入れていた事実の一つと言えるかもしれません。
あくまでも政治的な動機に基づく行為であったのかもしれないですが、大衆浴場文化を発展させることにも、ハドリアヌスは力を注いでいたのです。
男色家であった、ハドリアヌス
ハドリアヌスは男色を好んでいました。
アンティオノスという美少年を旅の最中に見初めたハドリアヌスは、その美少年を愛人にして旅に同行させます。
アンティオノスがナイル川で溺死した際には、ハドリアヌスは女のように泣いたと伝えられているほど、執着が強かったようです。
ハドリアヌスは彼の死を悼み、彼を神格家して、彼を祀る神殿をあちこちに建てることにます。
さらには、アンティオノス座という星座さえも、ハドリアヌスは作らせました。
晩年の苦悩
ユダヤ戦争勃発
ハドリアヌスの晩年は安穏としていられる状態とは程遠いものです。
エルサレムにヤハウェ神殿ではなく、ローマの最高神ジュピターを祀る神殿を建立したことから、ユダヤ人の反乱を招きもします。
132~135年まで続いた第二次ユダヤ戦争の結果、ユダヤ人は国家を失い離散することになり、大軍を投じることでようやく勝利を収めたローマ軍も大きな被害を出していました。
後継者に先立たれ、怪しげな帝位継承再び
晩年には体調悪化に苦しみ、何度かの自殺を試みたりもするのです。
意見の不一致から義兄弟とその孫を自殺に追い込みもして、元老院とのあいだに緊張が強まったともされます。
さらには、自身が死亡する半年前には、後継者として選んでいたはずのルキウス・アエリウス・カエサルが謎の急死を遂げてしまうのです。
継承者の死により、新たな帝位は、アントニヌス帝に引き継がれることなりました。
そして、アントニヌス帝は、没したハドリアヌスを神格化する作業を、それを拒む元老院に涙ながらに訴え、説得してみせるという行いをすることになります。
晩年のハドリアヌスを献身的に支えたということも含めて、アントニヌス帝は、「アントニヌス・ピウス(慈悲深いアントニヌス)」という称号を元老院から得ることになりました。
後継者の急死とか、ちょっと怪しい話に思えますが、すべては歴史の闇のなかです。
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まとめ
- 議員暗殺疑惑がある
- ハドリアヌスは領土拡張政策を終わらせた
- 属州経営に熱心であり、長城を築かせた
- 男色家であった
- 帝位の継承に不審な点がある
五賢帝の一人、ハドリアヌスの功績は多大なものには違いありません。
しかし、帝位の継承には血なまぐさい死が付きまとい、順当な継承順位ではない継承が球に起きることになります。
善良な人物とも、清廉潔白な人物とも断じることに、どこか戸惑いを覚える存在であるように感じますね。
とはいえ、ローマを安定させ、ローマの最盛期を支えた皇帝の一人であることには疑いの余地はありません。
多才な賢帝ハドリアヌスには、詩才までもが備わっていました。
彼は、辞世の句を残しています……。
「さまよう、魅力的な、小さな魂。体に宿った客よ。どこへ出発しようとしているのか。暗く、冷たく、むきだしで。冗談を言う力もないか……」
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