古代文明の残した遺跡には様々なものがあります。
現在発見されている古代都市のなかでも、最古のもののひとつと考えられているのがモヘンジョダロなのです。
しかしあまりにも古い時代の遺跡であるため謎も多く存在しています。
今回は謎多き最古の都市、モヘンジョダロについてご紹介していきます。
目次
モヘンジョダロの町並み
場所と地理
モヘンジョダロはインドのとなりの国であるパキスタンのシンド州にあります。
紀元前5500年~紀元前2000年に存在していたインダス文明の残した都市遺跡です。
モヘンジョダロそのものの建設は紀元前2500年であると考えられており、およそ4500年前の都市になります。
モヘンジョダロは東にインダス川が流れており、西にはサラスヴァティー(インド神話における上位女神)との関連も指摘されるガガー・ハクラ川が位置した丘の上にある古代遺跡です。
現在は夏の気温は50度近くになる酷暑かつ乾燥した土地でありながら、モンスーンの時期は洪水が頻発する過酷な土地でもあります。
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モヘンジョダロの高度な都市設計
モヘンジョダロは高度にデザインされた都市であり、4500年前の都市とは考えにくいほどの発達した町並みを誇ります。
非常に規則正しい町並みであり、街路や建物の痕跡は直線的に配置されています(グリッドプランとされるもので、上空から見れば碁盤や網のように整然とした格子状の町並み)。
都市計画の発展した文化を感じさせてくれる遺構であり、同時代では世界最高峰の土木建築技術により建造された都市なのです。
巨大な公衆浴場や穀物倉庫、道路に沿って流れる下水を回収してインダス川に導くための溝、そして700もの井戸などが発見されています。
豊富な井戸の数は民家3軒にあたり1つの割合であり、同時期の文明都市と比べても異常なほどの井戸の数になるのです。
モヘンジョダロは高度な公共施設を備えた都市だったことになります。
どんな暮らしだったのか
モヘンジョダロの一部の家屋からは個人住宅用のお風呂の痕跡も見つかっています。
金持ちや権力者などにはそういった個人用のお風呂もあったようです。
なお一軒の住宅からはお風呂の湯を提供するための地下炉が発掘されてもいます。
ほとんどの家から中庭も見つかっていて、多くが2階建築だったとも予想されています。
巨大な井戸のある大通りには商業施設が並び、巨大な柱のある神殿、大きな集会場などと思われる遺構も発見されているのです。
また町を取り囲むような城塞は発見されてはいませんが、南側には要塞施設と、西側からは見張り搭が発見されています。
金属の鋳造技術も持っており、ダンシングガールと名付けられた若い踊り子と思われる銅人形も見つかっているのです。
踊りを愛する人々であったのかとも考えられています。
なお鶏の家畜化(食用ではなく儀式か観賞用)を始めた土地のひとつとして、モヘンジョダロがあったのではないかという説もあるのです。
宗教関連遺物
神殿の可能性がある大きな柱の施設が見つかっています。
地母神の偶像が見つかっており、これは古代の中近東の文化に見られる共通点です。
パシュパティール(古代インド神話の動物の神、ヒンドゥー教の最高神シヴァそのものの化身、あるいはシヴァの原型であるルドラとも関係)の彫刻もモヘンジョダロで見つかっています。
パシュパティールは角のある神です。
モヘンジョダロからは古代インドの神話に連なるような神の痕跡が見つかっています。
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モヘンジョダロの政治
モヘンジョダロの支配者はどんな人物であったのかは判明していません。
しかし、モヘンジョダロを含み古代インダス文明の都市には共通した公共の水供給や、下水道などの衛生面でのスタイルの一致が見られます。
インダス文明の都市ロタル(紀元前2350年頃)では全ての家屋に専用のトイレなどが発見されているのです。
都市スタイルの一致から各都市を統括する権力の存在が予想されるものの、具体的な統治者がどのような存在であったのかは不明のままなのです。
モヘンジョダロの謎
都市名の謎
モヘンジョダロはそもそも1919~1920年の調査で再発見されるまで忘れられた町なのです。
現地ではモヘンジョダロは「死者が眠る丘」「死者の丘」と呼ばれて恐れられていた土地であり、地元住民たちが近づくことはなかったのです。
なおモヘンジョダロの別解釈にはモハンの丘があり、モハンとはヒンドゥー教の最高神の一人ヴィシュヌの化身クリシュナのことになります。
モヘンジョダロは後世の人々の呼び名であり、本来の都市の名前は不明なのです。
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インダス文字の謎
いまだ解読されていないインダス文字が各種の発掘品からは見られます。
しかし、インダス文字そのものが解読には至っていないため、読むことができない状態なのです。
いつかインダス文字が完全に解明されたら、モヘンジョダロの歴史の一端が明らかになるかもしれないのです。
モヘンジョダロは6度は水没している
モヘンジョダロは東西に川があるため複数回洪水に巻き込まれた形跡が存在します。
モヘンジョダロは大量の土砂におおわれる度に、その土砂の上に新しい町を建設していったのです。
モヘンジョダロの井戸には古い町並みよりもはるかに上空に突き出た井戸などがあります。
保全のため発掘のペースが遅くなってはいますが、もしかすると地下深くにはまだまだ古い都市の遺構が存在しているのではないかと考えられているのです。
モヘンジョダロ滅亡の謎
これは紀元前2000年頃にインダス文明がこつぜんと消えた謎とも重なるものになります。
モヘンジョダロを含むインダス文明はあるときを境にその痕跡が消え去ります。
住民たちは都市を捨てて、よりインドに近い東へと移動したのではないかと考えられているのです。
その理由には乾燥地化による給水の減少などが考えられています。
またモヘンジョダロは大きな洪水、あるいは頻発する洪水などで疲弊したのではないかとも予想されてもいます。
現にモヘンジョダロは大量の土砂に埋まっており、最後の洪水は都市を放棄する決定的な理由になった可能性は高いのです。
モヘンジョダロの古代核戦争説
地面から放射線が検出された
どれぐらいの放射線量なのかは不明ですが、放射線が検出されたという説もあります。
自然界には放射線の高くなる環境があるため、それすなわち核戦争の根拠とは結びつけられるものではないのですが、一部の人々からは古代に核戦争のあった証拠とされています。
武器で殺害されていない焼けた遺体が発掘
生活感のある状況での遺体が見つかっていて、9体の遺体からは焼け焦げた痕跡があります。
古代核戦争論者によれば、核爆発の熱線で焼かれて死んだのではないかとされる証拠ともされているのです。
しかし、モヘンジョダロは最低6回の大規模洪水を受けており(小規模なものはそれ以上の回数になる)、その度に町全体が土砂に埋没しています。
町の再建までは時間がかかり、時にしばらくのあいだ放置されていたとも考えられているため、土砂で埋まったままの自然死も考えられます。
また焼け焦げた遺体や物品も大規模火災やそれに伴う崩落の犠牲者として説明もつくため、核戦争の証拠とは断じにくいものです。
周辺には核爆発のせいでガラス化した町がある?
かつてダヴェンポートという人物が地元住民からガラス化した町を教えてもらったという主張があります。
しかし、現地を訪れた他の研究者および衛星からの映像や、そもそも現地人の証言は「そんなものは存在しない」という答えで一致しているのです。
ダヴェンポートらが勝手に捏造した情報であると考えられています。
モヘンジョダロの古代核戦争説の信憑性は低い
面白い説ではありますが真剣な論議の行える説ではないものです。
利益や関心を得るために神秘性や面白さを意図的に付与した行動の可能性もあります。
まとめ
- モヘンジョダロはパキスタンにある
- モヘンジョダロはインダス文明の遺跡
- モヘンジョダロは高度な建築技術と都市計画に支えられていた
- モヘンジョダロは公共施設が充実している
- モヘンジョダロには金属加工の技術があった
- インダス文明の消失と共にモヘンジョダロも放棄される
- モヘンジョダロには古代核戦争の舞台となったという説もある
- モヘンジョダロは謎が多く魅力的な古代遺跡である
多くの謎と高度な文化をもつ古代都市モヘンジョダロは、好奇心をくすぐられる存在です。
今もなお発掘と研究がなされているため、研究の展開次第では3500年前の世界の秘密が解き明かされる日もあります。
古代史が解き明かされる快感は特別な楽しみなのです。
さらなる研究の発展が待ち遠しいものです。
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