文明の中心地は時代において変わっていきます。
ヨーロッパが大きく発展していた時代もあれば、より古い時代では中東が文明の中心であった時代もあるのです。
今回ご紹介していくヘレニズム文化は、ギリシャの文化と「東方世界」オリエントの文化の融合して作られたものになります。
ヘレニズム文化の成り立ちと、具体的な文化の遺産などを解説していきます。
目次
ヘレニズム文化の誕生
ヘレニズム文化を生み出すことになったアレクサンドロス大王
アレクサンドロス大王(紀元前356~紀元前323年)の登場により、古代ギリシャに強大な王国が誕生することになります。
野心的な父王の意志を継いだ若き軍事的な天才は、人生において全ての戦争に勝利するという伝説的な英雄になったのです。
歴史上最強の軍事的英雄であるアレクサンドロス大王は、自身の「マケドニア王国」の領土を大きく拡大することになります。
アレクサンドロス大王の軍事的勝利の連続がもたらしたのは、マケドニア王国領土の東方への拡大だけではないのです。
あまりにも広範な王国が生まれることにより、文化の融合が始まります。
ヘレニズム文化はギリシャ文化とオリエント文化の融合
アレクサンドロス大王はギリシャからインドの一部までも領地に組み込んだ超大国マケドニアの王であるだけでなく、ギリシャ都市国家の同盟である「コリントス同盟」の盟主でもあり、エジプトの「ファラオ」も兼任した存在です。
アレクサンドロス大王は由来する文明の違う多様な土地の支配者であり、彼の東方遠征はギリシャ文化の東方への拡散でもあります。
東方(オリエント)に伝わったギリシャ文化は、オリエント由来の文化と融合することになり、その結果、「ヘレニズム文化」と呼ばれる文化が誕生することになったのです。
ヘレニズム文化の範囲
「ヘレニズム文化」という言葉は当時の人々が使い出した言葉ではなく、後世の学者が使用した概念になります。
ヘレニズム文化と呼ぶに相応しい「期間」や「範囲」には、文化に対する解釈の方法によって複数のスケールが存在しています。
時代区分として一般的なヘレニズム時代は、アレクサンドロス大王の死亡した紀元前323年~プトレマイオス朝エジプトが共和制ローマに併合された紀元前30年までの時代とされています。
プトレマイオス朝エジプトの首都はアレクサンドリアであり、これはアレクサンドロス大王がオリエントの土地に作ったギリシャ風の都市第一号になるのです。
プトレマイオス朝エジプトは典型的なヘレニズム諸国の一つになります。
ヘレニズム文化:ヘレニズム哲学
ヘレニズム哲学の誕生
ヘレニズム時代には多くの文化や知識の融合が起こり、それは哲学の面でも同じことです。
ギリシャ的な西欧的哲学に対して、中東の哲学風のアップデートが行われるようになります。
当初はヘレニズム哲学界は混沌として、常識破りのような「過激な学派」が生まれていきますが、やがては穏健な「プラトン学派」、「エピクロス派」、「ストア派」の三学派が支配するようになっていくのです。
ヘレニズム哲学たち
- ピタゴラス学派:ヘレニズム期の哲学に全般的に影響を及ぼす。数学と科学的な研究をする集団と、神秘的な思想を重視する二系統が存在する。祖のピタゴラスはギリシャ人ですが、若くしてオリエントを旅した数学者であり哲学者です。
- ソフィズム:詭弁。自己の主張を弁護し、大衆に信じさせる話術や技術。民衆の扇動技術や印象操作、スピーチの巧みさ、相手を無理やりに打ち負かすための論法を研究したもの。良くいえば「強引で理屈っぽい説得術」。悪くいえば詭弁そのもの。
- キュニコス学派:「禁欲的な学派」であり、自然崇拝と「自然との一体化」を至上とする。富や権力や名声、物質的な所有の拒絶を行う。
- メガラ学派:弁証学派。存在の本質は善ゆえに、善の反対は存在することが出来ないという哲学。善を「道理」「神」「心」「知恵」であるとする。「論理的な正しさ」を追求する。
- キュレネ派:極度の「快楽主義と刹那主義」が特徴の学派。刹那的な満足が最良のものと考える学派。将来を憂わない、過去に惑わされない、「自分たちのものとしては、現にあるものしかないのだ」。
- プラトニズム/プラトン哲学:西洋哲学の祖。物質界の後ろにある永遠不変の存在「イデア」を想定。目に見えるのはイデアの影でしかなく、感覚を超えた真の実在。哲学者は「善のイデア」という最良の真理を知ることが目標。
- 逍遙学派:アリストテレスの哲学を発展。「実験すること」を理解の前提とする。人生は有徳な行動をすることで幸福に過ごせ、有徳とは過剰でも不足でもない「中庸」であると考える。
- 懐疑主義:原理やものごとの考え方に対して、客観性や妥当性を重視して考える。定説や神の存在を疑うことにもつながるため、宗教を基盤とする昔の世のなかでは倦厭されることもあったものの、「自然科学の合理的な考え方を作る」ことに寄与する。
- エピクロス派:「世界は神に干渉されるものではなく、偶然が支配する」と考える。苦痛が無いことが最高の快楽だと主張。素朴な生活を推奨する。
- ストア派:「人生の目的は自然との調和」。自制心や不屈の精神を尊いものとし、それがあれば破壊的な欲望を制御することが可能とする。紀元3世紀に滅びるまでは最大の学派であった。ストア派の人物として、ローマ皇帝のマルクスアウレリウスが挙げられる。
- ヘレニズム・ユダヤ教:ギリシャ哲学をユダヤ教思想の解釈に使おうと試みる。「ロゴス(理論的に語られたもの、流転する万物を調和させ統一させる理性的な法則)」を「神の言葉」として解釈する。
ユダヤ教徒には受け入れられず、むしろ初期のキリスト教の理論武装に応用される。キリスト教においては「ロゴス=神の言葉=世界が在る根拠=イエス・キリスト本人」。
ヘレニズム哲学がキリスト教に与えた影響は大きい
ヘレニズム・ユダヤ教などの考え方が初期キリスト教の理論武装に使われることになり、キリスト教の布教や、神やキリストの正当性を補償する哲学=「神学」としての発展にも大きな影響を与えています。
2世紀にはヘレニズム・キリスト教が生まれ、エジプトの「アレクサンドリアのクレメンス(150年~215年?)」などが「ギリシャ哲学はキリスト教へと人を導くために存在した」と考えます。
キリスト教の神学を発展させることに大きくヘレニズム哲学は貢献しており、「三位一体論」や諸般の儀式への意味づけなどを行います。
哲学とは「正義が正しい理由を述べたもの」であるため、高度に発展したヘレニズム哲学はキリスト教を理論的にサポートするツールとしても使われたわけです。
つまりキリスト教の正しさを論じるための考え方として、ヘレニズム哲学は使われることになります。
ヘレニズムの自然科学
自然に対する推察は古来からされており、オリエント(エジプト・メソポタミア)の文明では天文学や数学や暦学が発展しています。
しかしオリエントの科学はあくまでも宗教的・神秘的な側面を多く含むものであり、神官などの聖職者が管理している「一般的な知識ではないもの」です。
反面、ギリシャにはアルファベットなどの「一般的に使いやすい文字」があり一般人への知識が普及しており、なおかつギリシャ哲学は自然への観察と「科学的(あくまでも神秘主義が主体の古代世界においては)」な考察が行われています。
細緻なレベルで見れば神秘主義者の発想ではあるものの、合理的・客観的・観察を重視するというギリシャ哲学は、より神秘色が強いオリエントの科学に比べれば現代的な科学に近い発想になるのです。
オリエントの「伝統が蓄積していた自然科学」+ギリシャ自然哲学的な発想(科学的な考え方や普及しやすい文字)=「自然科学の発展」が起こったわけです。
伝統を分析することで、自然科学が発展することになり、伝えやすい文字のおかげで国際的な研究が共有・行いやすくなったわけです。
ヘレニズムの自然科学における大きな発見と進歩
- 平面幾何学の創始者であるエウクレイデス(ユークリッド)
- 金と銀の比重の差などから浮体の原理を発見したアルキメデス
- 円錐曲線論を展開したアポロニオス
- 太陽中心の宇宙観や地球の自転と公転を主張したアリスタルコス(コペルニクスよりも1800年前に主張。なお当時は無視される)
- 地球の全周を測定したエラトステネス(4万5000キロメートルと予測、実際は4万キロメートル)
- 膨大な書籍=知識を集めることになったアレクサンドリアの大図書館
- 歳差現象などの天文学的な発見
- 医学や解剖学知識の大きな発展
- 神経の正体を発見
ヘレニズムの美術
ヘレニズム文化においてギリシャ文化は大きく変わる
写実的な彫刻が多かったギリシャの彫刻は、ヘレニズム期には更なる変化を帯びるようになります。
理想化するよりも現実的な描写が許されるようになり、生々しいまでのリアルさ=写実性が高まっていくのです。
さらには特徴として中央を向かせる=左右対称的な構図が多かった以前と比べて、「ねじれ」や「動き」を採用することになります。
そうすることであくまでも一方向から見た三次元的な情報しかもたなかった(左右対称なため二次元的ともいえる)彫像から、「動き」を描写することで三次元的な情報がより補完された美しさを持つようになったのです。
鑑賞者が多くの角度から彫刻を楽しめるという魅力がある作品になっています。
これは技術的な進歩というわけではなく(むしろ退化したとも一部の評価がある)、トレンドの変化と言えるものになります。
よりリアルに現実を描写してもよく、また複数の視点による美を許容した時代であったと言えるわけで、評価のしかたによれば「それまでの理想の美」を捨てたという判定も可能なわけです。
リアルになるほど空想的な理想が上積みされた作品ではないため、立体としては優れていたとしても、写実性以上のものを表現しているのか?という評価には耐えられないこともあります。
どうあれ彫刻の生々しいまでの写実性は極まり、石像であるのに肌の柔らかさや弾力までも表現するようになっているのです。
ヘレニズム美術の傑作
- ミロのヴィーナス:彫像、女神像
- サモトラケのニケ:彫像、女神像
- ラオコーン:彫像
- アレキサンダーのモザイク:壁画
- ペルガモン大祭壇:祭壇、建築物
大胆な構図が増えて、神聖さを考慮しない作品も許されたことが大きな特徴の一つになります。
美術は神々を讃えて宗教的な力を誇示するものという束縛から逃れて、鳥や庶民などの一般的なモチーフも増えるようになるのです。
歴史上の多くの時代において、美術や芸術とは宗教や権力のための「プロパガンダ/宣伝」でしかなく、「権力をもった王族」や「信仰の対象である神々」を描くものばかりを芸術家に作らせることになります。
神聖さのかけらもない動物や一般人を描写することまで許された時代は、とても希少なものになるのです。
やがてキリスト教が支配的になっていく時代においては、美術とはすなわちキリスト教のプロパガンダであり、宗教画の類いしか書かれなくなります。
古代世界と近代から現代にかけての、わずかな時代だけが庶民のために芸術が存在していた時間になるのです。
まとめ
- ヘレニズム文化はオリエント文化+ギリシャ文化
- ヘレニズム文化を作り出すきっかけはアレクサンダー大王
- ヘレニズム文化は哲学を大きく進化させた
- ヘレニズム哲学はキリスト教の発展に結果的に貢献している
- ヘレニズム文化は自然科学の発展に大きく貢献した
- ヘレニズム美術は写実的であり市民に開放された芸術
ヘレニズム文化はオリエントの伝統とギリシャ哲学が融合したものであり、やがては共和制ローマによってヘレニズム文化と呼ばれる時代は終わります。
しかし自然科学や宗教・哲学などの思想は受け継がれていき、後世にまで多大な影響を残すことになるのです。
アレクサンドロス大王の軍事的な侵略の成功によって、大きな文化のミックスがもたらされたことになります。
古代の英雄の覇業の結果、科学まで進化することになるとは興味深い事実です。
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