世界にはさまざまな民族がいますが、日本にも大和民族やアイヌ、琉球などの複数の民族が存在します。
かつて日本の山のなかにはサンカ(山窩)と呼ばれた人々がいました。
幻の民族とも捏造された虚構に過ぎないともされるのがサンカですが、その実情は謎に包まれているのです。
今回は幻の民族、サンカについてご紹介します。
目次
サンカとは何か
サンカ(山窩)という言葉
サンカという言葉は元来は警察が使う、山などにいる定住していない犯罪予備軍の人々になります。
近しい概念で言えば「山賊」を指す言葉であり、それ以上の意味を持ってはいない言葉です。
「不定住で山にいるよそ者」のことになります。
現在では差別用語として指定されているため、好んで特定の人々に使われることはありません。
つまりサンカとはそもそも民族名ではなく「警察からの蔑称」のことです。
サンカを民族と規定する根拠はない
サンカは「山にいる怪しげなよそ者」を示す言葉であり、ライフスタイルを定義します。
確立した民族名とは呼び難く、少なくともそれを示す信頼がおける証拠はありません。
サンカと呼ばれた人々は確かに存在しますが、一般的な暮らしから逸脱しているだけで、それ以外に独特の文化や遺跡を形成していた信頼のおける記録は見つかっていないのです。
サンカという言葉の最も古い記録は江戸時代末期
サンカという言葉がいつから使われ始めたのかは分かってはいませんが、江戸時代末期の文献に「サンカと遭遇して助けられたことがある」というものが今のところ最古のサンカです。
記述を残したは江戸時代末期~明治期の探検家である松浦武四郎(まつうら たけしろう)になります。
北海道の名付け親としても知られる著名な探検家であり、北海道を含む日本全土の山々を歩いていた人物です。
彼の書き残した文献にサンカと呼ばれる言葉があるため、江戸末期から明治初期にはサンカと呼ばれる言葉が「山中にいる人」について使われていたと考えられます。
また江戸末期の広島の記録にもサンカが「山に住む犯罪者」を示す用語として使われているのです。
サンカは江戸時代末期には中国地方で使われていた言葉であり、明治政府が作られたときに長州の人々が全国に警察官として雇用されることになり、全国的に警察言葉としてサンカという呼び名が広まったと考えられてもいます。
明治期にサンカについての調査依頼が柳田國男に入る
明治時代に著名な民俗学者である柳田國男(やなぎた くにお)は、サンカについての調査依頼を警察から受けています。
柳田國男はサンカを日本の先住民族かともいう構想を持っていたかのようでしたが、仮説段階でサンカへの研究を放棄しているため、サンカについての実態究明は行われていないも同然です。
明治期には公文書にサンカという山間部にいる犯罪者の記録が公文書には多く残されますが、第二次世界大戦のころには公文書にも登場しなくなります。
戦争のための徴兵や徴税のためにも、定住化して一般的な国民となることが推奨され、警察などがサンカの定住化に積極的になっていったからだと考えられているのです。
サンカの書き方
サンカには決まった漢字表記もありません。
警察では「山窩」と書かれますが、「山家」、「三家」、「散家」、「傘下」、「燦下」とも書かれます。
どの意味も同じで野外に住んでいる浮浪者です。
サンカの人々の暮らし
サンカの生活様式?
サンカは各地の山々を徘徊しながら、狩猟採集を行っていたと考えられています。
また箕(み/農具の一種)を作ったり、竹細工を作ったりする人もいたのです。
野外でテントなどを張りながら回遊して生活して、行商や農具の修理などをして報酬を得ていたと考えられています。
もちろん一部のサンカは窃盗などの犯罪も行っていた可能性が少なからずあるわけです。
少なくとも明治や大正時代の警察からは犯罪予備軍とマークされています。
サンカの使用言語は日本語
サンカの使っていた言葉は日本語ですが、一部サンカ言葉と呼ばれる方言を使っています。
また職人やヤクザ者が使うような「シノギ」などの独特な言葉も使っていました。
独特の宗教を持っていたという証拠はありません。
サンカ文字というものも使ったという俗説がありますが、これは捏造されたものです。
サンカ特有の道具ウメガイ
ウメガイという諸刃のナイフをサンカは所有していたと主張し、それが実在するという研究もありますが、考古学的にサンカが昔からその道具を使用していたと証拠はありません。
どこからも鉄器であるはずのウメガイが発掘されておらず、サンカの刀として伝わってもいないからになります。
また構造を見ても一目瞭然であり、サンカのウメガイはやたらと薄く、柄が異様にもろいものです。
鉈(なた)などに比べるとあまりにも弱く、山間部での実用性はゼロになります。
こんなものでは竹を割ることさえも困難であり、その使用方法は不明です。
捏造された道具と考えるのが妥当です。
また関東地方などにウメガイと呼ばれる工具があるとも伝わりますが、それは箕を作るための道具であり刀ではなく、全く形状も別になります。
サンカの歴史?
サンカを捏造した人物:三角寛
サンカについての誤解が多いのは一人の人物の捏造のせいになります。
三角寛(みすみ かん)という小説家がサンカについての小説を書き、彼の小説が流行したことで、サンカについての三角寛の創作のみが資料として使われているからです。
三角寛は新聞社に勤務していた時代に、警察からサンカのことを聞き、それを自分の小説の題材に使い成功をおさめます。
彼はその後、サンカの研究者としての側面も持つようになり、多くの資料を昭和期に発表していますが、後の研究ではその多くが捏造だと判明しているのです。
しかし第二次世界大戦後にはサンカもほとんどいなくなっていたため、サンカの研究は三角寛の捏造した情報に頼るしかありません。
その結果、サンカについての正確な評価をすることは困難になっています。
サンカと呼ばれる人はいたが異民族ではない可能性が高い
サンカは生活様式以外はとくに文化、宗教、歴史的な特徴はありません。
正体として合理的に判断できるのは、何らかの事情で放浪している日本人です。
サンカは被差別民なのか?
サンカが差別や迫害を受けて野山へ避難していたという証拠は現在のところは確たるものはないのです。
差別や迫害で逃亡してサンカになった人物もいるのかもしれませんが、全てのサンカがそういった起源を持っているとは考えにくいものがあります。
サンカとはそもそも誰なのか?
サンカについての唯一分かっている正しい意味は、「明治の頃から警察が使っていた山にいて危険視されている浮浪者たち」です。
それ以外にも下記のような説がありますが、信憑性は高くないものになります。
まとめ
- サンカは民族ではなく生活様式?
- サンカは「山にいる怪しげな犯罪予備軍」と目されていた人々
- サンカの資料の大半は三角寛が捏造した嘘である
- サンカを異民族と想定する作業は柳田国男は構想段階で放棄した
- サンカが確認できる最古の資料は江戸末期までしかない
- サンカの暮らしは狩猟採集や行商や道具作り
- サンカには先住民族説、中世難民説、江戸末期の逃亡農民説がある
- サンカ語、サンカ文字、サンカの刀ウメガイは捏造されたもの
- サンカの正体を究明する機会は失われている
サンカは実在しましたが、その正体を判断する証拠はもはやどこにもありません。
サンカが独自の宗教や文化を持っていたのか、それともただの逃亡農民なのかも判断することは不可能です。
三角寛はサンカ研究を独占し、他の研究者がサンカ研究を行うことを激しく拒みました。
サンカが江戸末期より以前にいた証拠はなく、三角の残した証拠は嘘ばかりです。
サンカだった人とのインタビューがあったとしても、三角の残した怪しげな証拠を支持するものばかりしかありません。
サンカはフィクションにより実像を大きく歪められた人々なのです。
サンカ族は有名無実だと思います、何百年もの間川漁をしながら放浪生活をしていた人などいないはずです。私の先祖は岡山藩明治維新期の没落武士(賭博等)でやることが無いので川漁をしていました、(旭川・吉井川中下流域に2~3件前後のそういう家が所々にあり大半の家は明治になっての戸籍には士族とあった)。川漁をしている者はサンカ族であるという言葉が優先され私達も同様と考えられてる学者も多いようで困ったものです、テレビによく出演されている磯田準教授(岡山藩重臣子孫)も出演中に「没落武士は川漁や渡し舟をしておりました」と言っておられました。サンカ族はデッチ上げ語です。
兵庫県宍粟市千種町出身の者です。幼少のころ(1955~6年ころ)、親などから村内の特定の場所の子供とは遊んではいけないいけないと言われていました。その地域がいわゆる「被差別部落」であることは子供心にも理解していました。村内は大半が農家であり、すこしの農家兼林の従事者でしたが、親たちから言われたその地域の生業は不明でした。ただ農業は自家消費の畑(添えもん場)だけだったと記憶しています。その地区の同級生たち(クラスに1~2名)は服装、学用品が粗末だったと記憶しています。
また父から「竹細工を生業とする人たちはアレだから気を付けていなければ」とも。
また自宅近くの岩野辺川に架かる橋の下に薄汚い老人が、何をするでもなく長期間住み着いていたことも記憶にあります。
やがて「山窩」のことに関心を持ち、2010年ころ、帰省し親戚の老人に「山窩」の存在を尋ねました
「ああ、今もいるよ。特徴は語尾に『ヨン』をつけるんじゃ。『よー、どこへ行くんじゃヨン」とか、『腹減ったヨン』とか。そして犬に敬称をつけるのが耳につく。『犬様、お犬様』とか」
わたしの家系は千種鉄と呼ばれる「たたら製鉄」を経営していました。それには大量の木炭を必要としたため、山中で暮らす山窩とは対立していたとの伝承があります。
沖様の、「サンカ族はでっち上げ語」であるには、諸手を挙げての賛同はできません。
彼らは新しいものから剥がれ落ちたのではなく古くからあったように思われます。ただ他のモンゴロイド系の部族のように独自の「文化」を持つまでには至っていないので、その辺は「迫害」と関係があるように思われます。先住民とホームレスの間の存在だったのではないでしょうか。
岡山藩没落士族Ⅱ小冊子をお読みください