マオリ族とは?ハカやタトゥー、挨拶等の文化、歴史など解説

ラグビーワールドカップなどの影響もあり、ニュージーランドの民族であるマオリ族の知名度も日本度では大きく向上しました。

試合前のセレモニーとして行われた「ハカ」などは大きなインパクトを残しています。しかし彼らがそのダンスを行う理由や文化などまでは伝わっていないが現状です。

今回はニュージーランドの先住民族であるマオリ族をご紹介していきます。
彼らの文化や歴史についてもまとめました。

マオリ族の基礎的な情報

マオリ族はどこに住んでいるのか?

マオリ族はニュージーランドの先住民グループの一つであり、その総人口はおよそ79万人(ニュージーランドで60万人、その他国外にもいます)です。

純粋なマオリ族はほとんど存在しておらず、イギリス系などの白人との混血である人物やその子孫たちが大半となっています。

マオリ族を定義するための法律は幾度かの修正がありましたが、マオリ族の文化を継承しつつマオリ族の血筋にあたる人たちが、現在のマオリ族です。

ニュージーランドにおけるマオリ族の人口比率はおよそ15%となり、少数民族と言える立場にあります。

マオリ族はニュージーランド以外にも隣国であるオーストラリアや、かつての宗主国であるイギリス(ニュージーランドはかつてイギリスの植民地でした)や移民の多いアメリカなどにも暮らして、それぞれの国や地域にコミュニティーを築いているのです。

マオリ族の民族的な由来

マオリ族は「ポリネシア人」に属しています。

ポリネシア人とはハワイなどを含めて、「太平洋の島国の民族」というような属性をもった人々のことです。

ポリネシア人グループは高度な航海技術を持ち、古代から赤道を南にも北にも越える移動能力を発揮していました。

マオリ族もそんなポリネシア人であり、祖先はクック諸島やタヒチ人であると考えられています。

マオリ族の体形はポリネシア人に特有の骨太で頑丈な体をして、ポリネシア人が共通してもつ文化や神話などを継承しているのです。

彼らがニュージーランドに渡ってきたのは約1100年前のことで、9世紀~10世紀頃になります。

また伝統的には男性は腰回りに布を巻き、女性は胴体に布を巻いていましたが、現在では祭りやイベントなどの特別な機会を除いては「一般的な洋服を着て過ごすことが日常の服装」です。

マオリ族の言葉であるマオリ語

マオリ族が伝統的に使っているのはマオリ語になります。

マオリ語は「東ポリネシア諸語」に属する言葉であり、このグループにはハワイやタヒチ語、トンガ語やサモア語があり、これらには共通した言葉や似たものが多くあるのです。

それらは古来からの交流の結果であり、マオリ語はとくにタヒチの先住民の言葉とかなり近いものがあり、マオリ族がタヒチから来た集団であると考えさせる根拠の一つなっています。

どれぐらい似ているかということは、18世紀にニュージーランドを訪れたジェームズ・クック船長の「タヒチ人の部下が、マオリ族と会話が成立した」という逸話が分かりやすく現しているかもしません。

マオリ語には伝統的に文字がありませんでしたが、イギリスなどとの接触や学術的な援助の結果の果てに、文字でマオリ語の言葉を記述できるようになっているのです。

マオリ語の話者は149,000人ほどとされていますが、その中で流ちょうなマオリ語を話せるのは約5万人に過ぎないと考えられています。

ニュージーランドに住む現在のマオリ族は英語などが日常で使う言葉なのです。

マオリ語は20世紀中ごろまでは衰退が著しい言葉でしたが、近年はマオリ族の文化への再評価が高まり、大学などで教育される機会も増えており、減少には歯止めがかかっています。

現在のニュージーランドではマオリ語の人気がかつてよりも高くなっているのです。

マオリ族の歴史

マオリ族の神話的な歴史

ポリネシア人たちの共通の理想郷である「ハワイキ」から、クペと呼ばれる船乗りがアオテアロア(ニュージーランド)にたどり着き、そしてハワイキに戻りその土地があることを皆に教えたとされます。

クペからアオテアロアのことを聞いたマオリ族の祖先たちは、七つのカヌーに乘ってニュージーランドに渡ってきたのです。

ハワイキはあくまでも神話上の理想郷なのですが、1987年にはタヒチとニュージーランドのあいだを伝統的なカヌーを使って冒険家が移動することを達成しています。

かつてのマオリ族には遠洋航海を行える航海技術があったのです。

マオリ族の歴史:中世から近代まで

9~10世紀のころに、おそらくタヒチ周辺からニュージーランドに移住したマオリ族たちは暮らし方を変えることになります。

熱帯であるタヒチなどに比べて、ニュージーランドは温帯気候だからです。

狩猟と採集だけでは食料を確保することは困難であったため、マオリ族は農業も行うようになります。

そして海主体であった暮らしから、徐々に陸地での暮らしにも比重を増やしてもいったのです。

高度な遠洋航海技術は失われていき、ニュージーランドに住みつくことになります。

マオリ族は人口が増えていくと、「イウイ」と呼ばれる小規模の集団に分かれていき、丘などの防衛しやすい場所に村を作りました。

そして村を木の柵で守るようになり、この要塞化した村のことを「パ」と言います。

マオリ族はイウイ同士で戦争をしたり、マウイ族以外のニュージーランド先住民族とも争いを繰り広げていったのです。

マオリ族の近代史

18世紀に入るとマオリ族は西欧文明と接触するようになります。

植民地を求める西欧列強諸国や、クック船長たちのように商業用航路を開発すための船乗りや冒険家たち、あるいはキリスト教を布教しようとする宣教師の集団もマオリ族と接触し始めたのです。

この当時、マオリ族が西欧諸国の勢力から積極的に得ていたものがマスケット銃になります。

18世紀から19世紀にかけて、マオリ族はこのマスケット銃の威力をつかい他民族を殺戮したり、主要なマオリ族同士の戦闘に用いたのです。

しかし西洋列強の干渉は強まり続けていきました。

1840年、フランスの干渉に警戒を強めていたマオリ族たちはイギリスの保護下に入る選択を行います。

「ワイタンギ条約」と呼ばれるものであり、この条約によりマオリ族とニュージーランドはイギリスに組み込まれることになったのです。

ですがワイタンギ条約において、マオリ族とイギリス側の解釈が異なっています。

マオリ族は自分たちの主権や土地がイギリスに奪われるとは理解していませんでしたが、イギリス側の理解によれば植民地化政策そのものでしかなかったのです。

「保護してもらうだけで主権はある」と考えるマオリ族と、「植民地にして支配しよう」というイギリス側の解釈の違いは、現在においても抗議デモを起こす対立の火種になっています。

イギリス側はマオリ族の抗議を受けて、条約を幾度か「改善」しました。しかし、いずれにおいてもイギリス側の有利に働くものであったため、マオリ族は反発してイギリスと戦争を起こしたのです。

もちろんマオリ族の勝利は訪れませんでした。

マオリ族の20世紀から現在

イギリスとの戦争に敗れたマオリ族は衰退すると考えられてもいました。

しかし現実はそうではなく、イギリス系の白人などと積極的に同化政策が行われたことや、白人もマオリ族の学校に通っていたりすることも珍しくはなかったりと融和が進みます。

マオリ族は西洋化されていき、ニュージーランドは白人とマオリ族が共存する土地となっていくのです。

また第一次世界大戦や第二次世界大戦において、マオリ族の兵士たちが大いに活躍したこともあり、社会的な地位は高まり、さらに第二次世界大戦後の先住民族保護の流れもマオリ族には追い風となります。

マオリ族たちは国家への軍事的な貢献や融和的な態度の結果、ニュージーランドでそれなりの地位を確保することには成功したのです。

マオリ族は世界の先住民族たちの中でも、「最も成功した民族」とも評価されています。

現在はニュージーランドで人気のスポーツであるラグビーの強豪チーム「オールブラックス」の活躍や、マオリ文化の観光資源化が進んだことにより、マオリ族の知名度は世界的にも高くなっています。

とはいえニュージーランドにおけるマオリ族の社会的な地位はやや低いものです。

就学率は低く、自殺率は高めであり、高給が稼げる専門職や安定した公務員などに就職する率も白人に比べてかなり低くなっています。

貧困層のマオリ族も少なくないため、ニュージーランドにおける人口の割合に比べれば、刑務所にいるマオリ族の比率は高くなっているのです。

基本的に貧困がマオリ族の犯罪を招く原因となっていますが、マオリ族は戦闘的な遺伝子を持っているという発言をニュージーランドの議員がして問題となったりもしています。

マオリ族も貧困に苦しむことになるという、世界各地の少数民族に多く見られる傾向に囚われてもいるのです。

マオリ族には王様がいる

じつはマオリ族には1858年から2020年の現在までで7代の王様がいます。

1850年代はイギリスと結んだワイタンギ条約に対する不満が募っていた時代であり、マオリ族は当時のイギリスの国家元首であるヴィクトリア女王に政治的に対抗することを目指したのです。

マオリ族の中からも、それまではいなかった「王」を選出してヴィクトリア女王とマオリ王によるニュージーランドの「共同統治」を目指そうとします。

1857年に諸部族の長たちが集まった会議で、二つの部族の長の血を引く指導者であったポタタウ・テ・フェロフェロが王に選ばれ、翌年の1858年から死亡する1860年まで王を務めました。

ポタタウの死後の2年後には、上記したとおりマオリ族とイギリスは戦争状態に突入することになるのです。

なおマオリ王の地位はテ・フェロフェロ家に引き継がれて、今もって代々の王が選出されています。

マオリ王には法的な権限はありませんが、マオリ族の中では大きな権威として存在しているのです。

初代王のポタタウはイギリスに対抗するために選ばれはしましたが、じつは自分の娘は白人の商人に嫁がせているなど、寛容な考えの人物でもあります。

衝突しながらも共存を模索していった結果として、ニュージーランドは白人や西欧文化とマオリ族などの先住民族が融和する、世界的にもユニークな土地となったのです。

マオリ族の文化

ハカを披露するオールブラックス

マオリ族のダンス「ハカ」

マオリ族にはハカと呼ばれる有名なダンスがあります。

オールブラックスの試合において開始前のセレモニーとしてハカは披露されるものです。

オールブラックスのハカは「戦いの前に行い勇気を高める」という意味合いと、「対戦相手への敬意の表明」という意味もあります。

またハカはマオリ族のそれぞれの部族によっても違いがあり、戦闘や試合だけでなく結婚式や宴会などのイベントで披露される伝統的なダンスなのです。

オールブラックスのハカは「死ぬ!死ぬ!生きる!生きる!」という歌詞から始まるもので、迫力のある戦闘的な歌でもあります。

オールブラックスが用いているハカである「カマテ」の起源は、1810年に敵に追い詰められていたある部族の長が救助された喜びと謝意を現すために踊ったものなのです。

ハカがオールブラックスにより初演されたのは1905年のイギリス遠征時になり、それ以後、ニュージーランドのラグビー代表チーム(オールブラックス)の伝統となっています。

ハカのようなウォークライ(戦いを鼓舞する叫びや歌や踊りのこと)は、マオリ族以外のポリネシア人民族にも多く伝わり、トンガの「シピタウ」サモアの「シヴァタウ」フィジーの「シビ」などがあるのです。

それらの地域のチームとのラグビーの試合では、ハカ合戦のようなウォークライの送り合いが試合前のセレモニーで行われています。

ラグビーとハカの歴史は100年をはるかに超えるものであり、ニュージーランドだけでなくポリネシア全域にまたがるような広大な文化を現すものであるため、大きなリスペクトを集めているのです。

マオリ族のタトゥー(刺青/入れ墨)

顔にタトゥーを入れたマオリ族の男性(出典:Ancient Origins)

マオリ族には伝統的なタトゥー(刺青/入れ墨)文化があります。

腕や手足や胴体のみならず、顔にもタトゥーを入れることがあるのです。

マオリ族のタトゥーには所属している部族や立場や地位や性別、その人がどんな人生を送ったかなどを反映してデザインが選ばれていきます。

そのため同じタトゥーを入れたマオリ族はいないわけです。

顔にタトゥーを入れたマオリ族は、かつては「美術的な商品」としても取引された時代があります。

タトゥーを顔に入れたマオリ族の頭部は、美術的なコレクターアイテムとして高値で取引されたのです。

貿易商と組んだマオリ族の一部の人が、自分たち以外のマオリ族を襲撃してその頭部を持ち帰り販売していました。

マオリ族のタトゥーが入った頭部は、アメリカのスミソニアン博物館などにも複数個保有されているのです。

現在では頭部が売り買いされることはありませんが、タトゥーのデザインそのものの評価はいまだに高いものであり、真似して入れる外国人もいれば、彫刻などに刻まれて商品化されています。

マオリ族のあいさつ「ホンギ」

ホンギというマオリ族の挨拶(出典:newzealand.com)

マオリ族はあいさつするときに、「ホンギ」と呼ばれる行動をします。

これはお互いの鼻と鼻をくっつけて、お互いの息を交換するという作法です。

本来の意味は生命の証でもある「息」を交換し合うことにより、よそ者という立場からマオリ族のグループや地位に所属するという意味になります。

そうすることでマオリ族から保護される半面で、同胞や仲間としての義務を負うことにもなったのです。

ポリネシアの文化には同じようなあいさつがあり、ハワイなどにも鼻と鼻を当てるあいさつがあります。

なお「ホンギ」は現在では一般的なあいさつとして「握手」や「ハグ」などと同じように使用されているであり、実際に握手とホンギが連続して行われたりしているのです。

マオリ族の伝統料理「ハンギ」

マオリ族の伝統料理「ハンギ」(出典:newzealand.com)

マオリ族には「ハンギ」という伝統料理があります。

ハンギは焼けた石で肉や野菜を蒸し焼きにするというもので、伝統的な手法では土を掘り、そこに焼石を転がして、肉を敷き詰めます。

その肉の上にバスケットにいれた野菜などを置き、土をかぶせて蒸し焼きにするのです。

現在ではオーブンなどを使った蒸し焼きをレストランで出してくれるため、衛生的に楽しむことができる蒸し焼き料理のひとつになります。

マオリ族の翡翠「ポウナム」

ポウナムと呼ばれるお守り

マオリ族は翡翠(ひすい)のお守りを大切に受け継いでいます。

高価な装身具であるという以前に、翡翠にはマオリ族の「マナ」が宿るとされているからです。

マナとは生命力や正しさといったような力になります。

マオリ族の価値観では、マナは生まれたとき最高の状態として個人に備わっているのです。

これは悪事などを行うことで減少していき、善良な行いを他人に与えることで大きくすることができるものとされています。

マナは霊的な力であると同時に、一種の徳の高さを現すものであり、翡翠には先祖たちの偉大なマナがため込まれているのです。

家長は翡翠「ポウナム」のアクセサリーを身に着けることが許され、そうすることで一族に伝来するマナの加護を受けることができるとされています。

マオリ族の宗教

マオリ族の宗教はキリスト教が40%ほどで、それに次いで無神論者も同じぐらいいます。

他にはそれ以外のイスラム教などが少数ずつ含まれているのです。

基本的にマオリ族の宗教観はそれほど強固なものではなく、マナなどの伝統的な考え方も宗教的な神聖さそのものよりも、地位や立場やモラル形成などの重要さを示すものでもあります。

伝統的なマオリ族の考えには、そもそも尊さなどは生まれ持ったものであり、身分の高いものは偉くて、そうでない者はマナなどの霊的な権威を大して所有していません。

マナは自然界の全てにあるものですが、尊いものもあれば卑しいものもあるというように、どこか権威主義的な価値観でもあるのです。

たとえば神秘的な大木はマナが多くあり、普通の木は知れている量になります。

またマオリ族に伝わるポリネシア系の神話も、人格をもったユーモラスな神々も多くいて、全知全能な存在という一神教ほどの偉大さもないものです。

そのため日本人のように伝統的な宗教観は文化や生活に反映されてはいるものの、それほど重視したり熱心に拝んだりするようなものでもありません。

宗教よりも伝統や帰属している集団や一族へのプライド、つまり偉大な先祖を称えて力を得るという権威主義的な側面を強くもった宗教観です。

あまり強く拘束されることがないため、若い人は伝統宗教もキリスト教も捨てて無神論者の数が増えています。

まとめ

  • マオリ族はポリネシア系のニュージーランド先住民族
  • マオリ族は全世界で79万人、ニュージーランドに60万人いる
  • マオリ族の言語はマオリ語でタヒチ語に似ている
  • マオリ族は1000~1100年前にニュージーランドに移住した民族
  • マオリ族のハカには多くの種類があり、それぞれに意味がある
  • マオリ族には王様がいる
  • マオリ族のホンギは鼻と鼻を合わせるあいさつ
  • マオリ族の伝統的な蒸し焼き料理にハンギがある
  • 現在のマオリ族にはキリスト教と無神論者が多い
  • 現在のマオリ族は評価されつつも貧困率や犯罪率は高め
  • マオリ族は翡翠に先祖のマナという力が伝わると信じている
  • マオリ族のタトゥーには美術的な価値があり、かつて頭部が売買されたこともある

マオリ族は文化を高く評価されて成功した先住民族ですが、それでもマイノリティー特有の問題を抱えてもいます。

歴史的に見れば長大な航海技術をもった海洋民から、農耕を行う定住型の民族に文化が変わったり、太平洋に広がるポリネシア文化の担い手の一つでもあるなど興味深い民族です。

なおマオリ族などのポリネシア人の遺伝子は日本人や台湾人などにも一部が引き継がれているのではないかとも考えられています。

縄文人として日本人を構成したグループには南の海から来たポリネシア人も含まれているようです。

もしかすると日本人にもマオリ族と共通の先祖がいたのかもしれません。

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