女真族とは?金、後金、清を建国した民族を解説!

広大な土地をもつ中国には多くの民族が存在しています。

今回ご紹介していく女真族(じょしんぞく)も中国にいる民族のひとつです。

北方に住む女真族たちは中国を支配したこともある有力な民族なのです。

金、後金、清を建国した民族である女真族について解説していきます。

日本史にも東アジア史にも大きく参加することになる「満州」とも大きく関わっている民族になります。

女真族はどんな文化を持っていた民族なのか

「女真」とは当て字である

女真族とは中国北東部に住んでいたツングース語族になります。

ツングース語族とはその名のとおりツングース語族に分類された言葉をつかい、東シベリアや中国北東部などの寒い土地に住んでいる民族のことです。

彼らは漢字を使っていた民族ではないため、「女真」という名は「ジュシン」あるいは「ジュルチン」という女真語に漢字を当てたものになります。

ジュシンの意味は女真語で「人々」とされています。

漢人に「お前たちは誰だ?」と聞かれて、女真族は「ジュシン(人々)だ」と答えたために、「女真」という呼び名で定着していったと考えられています。

女真族が文献上の記録に表れるのは10世紀に入ってからであり、古くは黒水部とも粛慎とも呼ばれた部族になると考えられている民族です。

中国北東部に住んでいたツングース語族は、古来よりいくつかの部族に分かれてその土地を支配してきた民族になります。

現代では中国北東部にいるツングース語族は女真族の末裔である満州族として統一されています。

女真族の文化的な特徴

女真族は狩猟民であり、簡単な牧畜農耕を行ってもいます。

居住地はモンゴル族や契丹族などと接しているために、それらとのあいだに血縁関係が見られ、交易などを行っていた民族です。

名前や文化にもモンゴル族などと似た部分があり、中国北部~東北部、モンゴルなどの寒い土地に住んでいた民族になります。

またチャイナドレスや辮髪なども本来は女真族の文化になるのです。

【関連記事】

女真族はシャーマニズムを崇拝していた

女真族特有の宗教はシャーマニズムになります。

女真族の創世神話は「天宮大戦」と呼ばれるものになり、水の泡から誕生した始祖の女神アブカハハ(天神)は大地の女神バナムハハと星の女神であるオトロハハを作ったとされます。

始祖女神アブカハハは三百の女神と世界を創り、人類の創造が始まります。

アブカハハが生まれるよりも前には世界には水の泡しか存在することはなく、アブカハハは生まれた時は水の泡の大きさしかなかったとされているのです。

アブカハハは大きくなっていき、世界のあらゆるところにアブカハハがいるようになったとされています。

女神を最高神としているシャーマニズムであり、女神たちは女真族に子孫繁栄と豊穣をもたらす存在として祀られていたと考えられています。

近代にちかづくほどに女真族の文化は漢民族の文化的な影響を受け入れるようになり、女神信仰は祖先崇拝の側面を強めていくことになるのです。

後金の建国者であるヌルハチは、明の時代の将軍である李成梁(りせいりょう)に捕まり裸にされてむち打ちの刑に処されているところを、将軍の妾である「仏托ママ」と呼ばれる女性に助けられたとされます。

その恩義に報いるため女真族の人々は「仏托ママ」を女神として祀り、この女神は女真族たちの言葉で「人形」「柳/女性器のシンボル」「子孫」を合わせた名前でも呼ばれているのです。

女真族には生殖信仰が古くからあり、子孫繁栄を願う女神や地母神という存在を重要視しています。

古代の女真族のシャーマンたちには女性が多かったと考えられており、女神信仰が比較的盛んなシャーマニズムを持っていたと考えられているのです。

【関連記事】

女真族が建国した王朝

女真族は金・後金・清を建国

中国北東部に住んでいた女真族は複数回、中国に王朝を築くことに成功した民族になります。

女真族が建国した王朝
  • 「完顔阿骨打」(ワンヤンアクダ)によって建国される。完顔部という勢力の族長一族として生まれ、金を建国。女真族を統一すると北宋と組み、遼(中国北部にあった漢民族以外の国家)を打倒。疲弊する北宋に代わり金が台頭する。
  • 後金:女真族の愛新覚羅氏出身の「ヌルハチ」が建てる。モンゴル文字から作った満州文字を制定。明との大きな戦に勝ち、その後、女真族の全てを支配下に置く。
  • :ヌルハチの後継者「ホンタイジ」が後金を大きくして作る。中国東北部を手中に収めて清帝国とする。元の玉璽(皇帝の印章)を手に入れたときに女真族から「満州族」の呼び名に変える儒教や道教を受け入れ、中華風の政治体制を採用した。

満州族という名前の由来は文殊菩薩=マンジュ=満州?

「満州」(元来は満洲だが、現在では一般に満州と書く)という名前を公的に用い始めたのはヌルハチになります。

満州はヌルハチが統治の初期から支配的であった女真族のなかの幾つかの部族を総称する言葉であり、やがてヌルハチが女真族の全てを統一して頭角を現していったことにより「女真=満州」という認識が世の中に広まっていきます。

ヌルハチが死に息子であるホンタイジの代に移ると、ホンタイジが女真族という呼び名を改めて、正式に「満州族」と呼ぶことを決めたのです。

満州族という名前の語源は不明になりますが、清が打倒した「明」という王朝が「陰陽五行」においては「火」をシンボルとするものになります。

「木火土金水」の五行思想のルールに従えば、「満」「洲」「清」のどれにも「水」を示す「氵」が使用されているのが特徴です。

五行思想のルールを適用すれば「水」を用いることで「火=明」の勢力を削ぐことが可能という見方ができます。

清と満州は「水」という属性を与えられた呼び名であり、先代王朝である明を封じるという意味から使われているのではないかという説は上記の理屈により推測されているものです。

なお清の第6代皇帝である乾隆帝の時代に当時のチベット仏教の指導者であるダライ・ラマが、「マンジュというからには清朝皇帝は文殊菩薩の化身だ」と宣伝したことを乾隆帝が気に入り、その説明を由来とすることを好んだともされています。

文殊菩薩=マンジュ=満州族という説が生まれるより以前からも、満州という呼び名は存在していたため、正確にはどうして女真族の集団を満州と自称し始めたのかのルーツは不明なのです。

【関連記事】

女真族=満州族の最高の皇帝「康煕帝」

(出典:wikipedia)

清の第4代皇帝である康煕帝(こうきてい/アムフラン・ハーン)は中国歴代でも最高の名君の一人とされています。

康熙帝の生涯
  • 康煕帝は幼少時を北京の庶民街で育てられる
  • 厳格な教育を受けて育ち文武・狩猟に秀でていた
  • 狩猟で虎135頭を狩った逸話がある
  • 天然痘を生き残った
  • 中国の古典の暗記に始まり、西洋の学問も深く学んだ
  • 飢饉の時には国庫を解放、被害地域に金と米を配り、難民に公共事業で仕事を与えて反乱を防ぐ
  • 戦上手でモンゴルの反乱の際には素早く軍を組織し、先手を取る
  • 生活は質素であり、皇太子たちには教育熱心であった
  • 明の皇帝一族であった75才の老人を体を少しずつ切り落としていく方法で処刑、またその一族を根絶やしにする
  • 清の支配域を中国全土にまで広げた

最後の皇帝「愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)」

(出典:wikipedia)

清朝の最後の皇帝として有名な人物ですが、その人生は波瀾万丈なものになります。

愛新覚羅溥儀
  • 2才で皇帝になる
  • 6才で退位する
  • 11才で再び即位し十日後に退位
  • 正妻がアヘン中毒になり不倫相手の子供を出産、その子供は生まれてすぐボイラーで焼かれる
  • 清朝崩壊の逃亡時に正妻と生き別れになる
  • 日本帝国の傀儡(かいらい。操り人形)として満州国皇帝になる
  • 満州国が崩壊して日本に逃げようとするもソ連軍に捕まり捕虜となる
  • 中国に移送され裁判の後で戦犯管理所に入れられる、9年後に模範囚として出所する
  • 晩年は満州族の代表として政協全国委員に選出され北京で過ごす

満州を巡る攻防

(出典:Discover China)

万里の長城を築いたのは漢民族の侵入を防ぐため?!

清朝は女真族=満州族の生誕地である満州(中国北東部)を特別視しています。

そのため満州に対しては特別な政策を実施することになるのです。

まず満州に襲いかかったのは強烈な過疎化になります。

清朝が築かれたため、多くの女真族=満州族がより住みやすい南へと進んだのです。

満州から満州族がいなくなったために田畑が荒れ果ててしまい、清朝は漢民族の満州への入植を積極的に進めることになります。

その結果、数十年後には漢民族が満州で経済的有利を占めるようになり、今度は「封禁令」により漢民族の流入を制限します。

古くからある山海関(万里の長城の東端)以外の交通を認めなかったものの、無視されることも多くあったのです。

金の時代にも万里の長城を整備していましたが、モンゴルの勢力には役に立たず、結果として長年放置されていた万里の長城が利用された久しぶりの事案になります。

しかし北京周辺で飢饉などが起きると、飢えた民衆の満州流入などを許すほかなくなる場合もあったのです。

経済や通商の封鎖をしていることはもはやリスクでしかなくなり、封禁令は風化していったのです。

漢民族の人口増大と漢民族への同化が進んでいき、満州の地には多数の漢民族が住み続けることになります。

【関連記事】

満州を巡る争い

17世紀中頃から東方への進出を計画するロシアと清朝は満州で衝突することになるわけです。

満州地域で先住民への略奪や徴税行為を働き要塞をも建設していくロシアに対して、清朝と李氏朝鮮は連合軍を派遣することになります。

ロシア側の要塞を陥落させて、清朝は1689年にロシアとネルチンスク条約を結び、満州地域に進出していたロシアを撤退させ、領土を守ります。

しかし19世紀になるとアヘン戦争やアロー戦争の結果、清朝が混乱していきます。

1858年にロシアとのあいだに不平等条約であるアイグン条約が結ばれ、外満州と呼ばれた土地は事実上ロシアのものになってしまうのです。

康煕帝の時代にロシア皇帝と結ばれた条約が規定していた清国の国境線は次々に崩壊していくことになり、満州地域はロシアの植民地化が進んでいくことになります。

満州は清朝衰退時期からロシアや日本などが本格的に狙う土地となっていき、日露戦争の後の1931年に日本の侵略を受けて日本の植民地・満州国が成立することになるわけです。

まとめ

  • 女真族は中国北東部に住むツングース語族
  • 女真族は十世紀から文献に登場
  • 女真族たちツングース語族の土地は古くから中国やモンゴルたちとの争奪戦
  • 女真族の文化はシャーマニズムであり女神信仰もあった
  • 女真族の辮髪やチャイナドレスなどの文化は清朝に継承される
  • 女真族=満州族
  • 女真族は中国に何度か王朝を建てた
  • 女真族には中国史上最高の名君の一人とされる康煕帝がいる
  • 愛新覚羅伏羲は波瀾万丈の人生を送る

土地を巡る争いは歴史そのものです。

民族の居住地や豊かな農地、あるいは海上への出口として様々な民族や国家が土地を巡って争います。

女真族たちが住んでいた満州も、多くの衝突が繰り返されてきた土地です。

女真族は満州族と名を変え、そして今では満州族の名字や言語も失われつつあります。

名前や言語という民族のアイデンティティーを示すものが変わることは、その民族が歴史的な変革に遭遇してきたことの証です。

女真族の歴史を理解すれば、東アジアの国際的な歴史を読み解きやすくなります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です