文明を支えるための要素はいくつかあります。
王族などの指導者たちが持つ政治力や外敵の少なさ、暮らしやすい環境や豊かな農地などが挙げられます。
しかし文明を進歩させる最大の要素は技術力です。
今回は古代世界において人類の文明を大きく進展させたヒッタイトをご紹介していきます。
彼らの発明した技術が人類史を大きく変えていくことになるのです。
ヒッタイトが世界で初めて鉄器を使用した
ヒッタイトが鉄器時代をもたらした
ヨーロッパの先史時代における分類のひとつに石器時代、青銅器時代、鉄器時代というものがあります。
それぞれの文明において使用していた道具の種類による分類であり、石器より青銅器、青銅器より鉄器が優れているとされます。
ヒッタイト(紀元前18世紀~紀元前11世紀前半)が発明したある製鉄技術により、古代ヨーロッパ各地に鉄器時代が到来します。
ヒッタイトの製鉄技術
ヒッタイトが鉄器を作るよりも以前からメソポタミアやアナトリア(ヒッタイトが出来た土地、ギリシャとトルコのあいだの地域)にいたハッティ人が製鉄そのものはしていた記録があります。
しかしそれらが作り出した鉄は道具にするにはあまりにも脆い品だったのです。
ヒッタイトの製鉄技術が優れていたのは鉄を精製したからではなく、鉄を「鋼」と呼ばれる加工に向いたものに仕上げたことにあります。
ヒッタイトは製鉄の祖ではなく、「鋼」の祖と言える存在になるのです。
ヒッタイトの「鋼」がもたらしたもの
ヒッタイトは製鉄のさいに炭を用いることで鉄がより優れた材料である「鋼」になることを発見します。
ヒッタイトの「鋼」は硬いだけでなくある程度の柔軟性も持っていたため、それまでの鉄とは違って高い実用性があったのです。
ヒッタイトは鉄器による武器などを採用することによって頭角を現していくことになります。
ヒッタイト人の起源と文化
ヒッタイト人の正確な起源は不明
ヒッタイトは紀元前18世紀の頃からアナトリア地方に勢力を築いていったインド=ヨーロッパ語族になります。
ヒッタイト人がアナトリアに現れたのは紀元前20世紀と考えられていますが、それ以前はヒッタイト人がどこにいたのかは分かっていないのです。
ヒッタイト人はインド=ヨーロッパ語族に属する
ヒッタイト人が話していたヒッタイト語は「インド=ヨーロッパ語族」に分類されています。
「インド=ヨーロッパ語族」とはインドやヨーロッパなどの広い範囲に伝わっていった言語の中で、文法や単語などの「言語的な文化に共通項が見られる」と考えられた人々です。
インド=ヨーロッパ語族は「共通の先祖」から分かれていった民族、もしくは大きく影響し合った関係性の密な民族ということが推察されます。
ヒッタイト語もまたヨーロッパ圏に後半に広がったインド=ヨーロッパ語族になるのです。
ヒッタイト人はハッティ人の文化を継承する
ヒッタイト人がアナトリアに現れるより以前には「ハッティ人」と呼ばれる人々がアナトリアの主要な支配民族だったのです。
ハッティ人の使っていた「ハッティ語」はインド=ヨーロッパ語族に属するものではなく、ヒッタイト人がハッティ人の祖先というわけではないのです。
ハッティ人は古くから製鉄技術を持っていましたが、鋼を計画的に作っていたのかは不明になります。
ハッティ人は勢力を拡大していくヒッタイト人に吸収されていったと考えられており、その過程でヒッタイト人はハッティ人が持っていた製鉄技術や文化を継承します。
ハッティ人はメソポタミアにも並ぶか、あるいはそれよりも古くに製鉄を行った可能性があり、どちらにせよ「最古の製鉄技術」を有していた集団になります。
なお紀元前18世紀頃に製造されたとされる「炭素鋼」も、大量ではないものの発掘されているため、ハッティ人はヒッタイトに先駆けて鋼をも作っていた可能性もあるのです。
製鉄だけでなく青銅器も製造し大量に輸出した形跡が見つかっているため、ハッティ人やヒッタイト人を含め、古代のアナトリアでは金属加工の技術が盛んだった可能性があります。
古代アナトリアを支配したヒッタイト人たちは、古代アナトリアにあった金属加工を継承することで力を得ていったのです。
ヒッタイトの宗教
ヒッタイトの宗教は多神教であり、源流はハッティ人の宗教に遡ることになります。
ヒッタイトでは嵐の神などといった天候神をより崇める傾向があり、町によってそれぞれの神が存在していた記録が残されているのです。
- ハッティ人の地母神信仰:農業と繁栄の女神たち
- 地母神カタハ:ハンナハンナと同じ存在とも考えられる
- 地母神ハンナハンナ:メソポタミア=シュメールの神話に出てくるイナンナ=イシュタルと同一の存在とされる。地母神としての守護と魔術的な要素、怒りにより災いを招く強さを持った戦神でもある。「国際的な人気が高い女神」としてヒッタイトでも盛んに信仰される
- 嵐の神タル:地母神の息子神、テリピヌの父親神
- 太陽神フルセム
- 嵐と豊穣の神テリピヌ:水神あるいは蛇神イルルヤンカシュと戦う
- イルルヤンカシュ:水の神もしくは水を司る大蛇あるいは竜の悪神
ハッティ人の文化が強かったであろう「古い時代」は「大地と水の神々」を信仰しており、新しいヒッタイトの宗教になるほど「天候神」を重要視する傾向にあったと考えられています。
「水の神」イルルヤンカシュを「嵐の神」テリピヌが倒すというヒッタイト神話は象徴的なものになります(テリピヌではなく他の嵐の神々がイルルヤンカシュを倒す神話もある)。
なお「古い水の神を新しい天空の神が倒す」というモチーフはアナトリア神話に限らず、周辺の多くの地域と共通するモチーフになるのです。
イラン=インド神話の「雷神インドラ」と大蛇ヴリトラ、北欧神話における雷神トールと大蛇ヨルムンガンド、エジプトの太陽神ラーと水の大蛇アペプ(ナイル川の化身)などと共通しています。
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また悪竜テュポーンを雷神であるゼウスが倒すギリシャ神話もあるため、メソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明には共通した神話的なモチーフがあるのです。
北欧神話はともかく、ハッティとヒッタイトはメソポタミア(ヒッタイトが支配する)やエジプト(ヒッタイトのライバル国家)に隣接しており、インダスの国家とは条約を交わしてもいます。
ギリシャはお隣の国になります。
古代世界の神話に共通する神話が存在し、お互いの国家に共通する神々がいることは、移民などによる文化の移植や伝搬が起きていたことを想像させる事案です。
またイシュタルのように「他地域の人気の女神」を祀ることで政治力や交渉力を得ようとするなど、多神教国家ならではの文化も見られます。
ヒッタイトでは「定期的な犠牲際」などは行われてはいなかったと考えられていますが、「降霊術」なども盛んであったとされ、個人的な悩みや苦境がある際には、諸々の神々に対する儀式を行うことで加護を得ようという宗教観を持っていたのです。
ヒッタイトのライオン門
ヒッタイトの城門にはライオンの石像が左右に配置されています。
オリエント的な影響を受けている文化でもあり、このライオンは美的な彫刻であるだけでなく、魔除けの効果も期待していたと推測されます。
エジプトのスフィンクスやペルシャやギリシャのグリフィン像などによる、城門の守護と魔除けの守護獣は、東洋の狛犬やシーサーなどにも影響を与えているという説もあるものです。
ヒッタイトの宗教や文化は周辺諸国の価値観を大きく受け入れているものになります。
ヒッタイトの歴史
ヒッタイトは鉄器と戦車を使って首都「ハットゥシャ」を掌握する
ヒッタイトが残した文章においての数字は誇張が少ないことでも有名です。
記録上2番目に登場するヒッタイト人の王アニッタは、父王ピトハナから小国を受け継ぎ遠征を介します。
1400人の兵士と40の戦車を率いて各地の遠征を続け、後にヒッタイトの首都となるハットゥシャをハッティ人の王から奪い取ったのです。
アニッタの軍勢はアナトリアを征服し、この土地でのヒッタイト人の覇権を確たるものにしますが、アニッタ自身の帝国は間もなく崩壊したとされ、記録の出土がなくなります。
ヒッタイトの主力武器は戦車と金属の槍
鉄製の武器を用いたヒッタイトは、武装の面で圧倒的に有利な立場にあったのです。
接近戦が主体だったと考えられる古代の戦闘においては、武器の優劣は勝敗に大きく影響を与えます。
同じ力量で打ち合えば、青銅よりも鉄製の武器が勝ります。
またヒッタイトではエジプトなどと同じように戦車も使用されており、ヒッタイトは小型馬に引かせた大型で三人乗りの防御重視の鈍足戦車を用いています。
鉄にせよ戦車にせよ重量感のある頑丈さと破壊力のある武器を好み、それは高コストの軍隊であることも想像させるポイントでもあるのです。
ヒッタイト王国の歴史年表
- ラバルナ1世あるいはハットゥシリ1世(同一人物説もある)がヒッタイト王国建国。
- 紀元前1595年:アレッポ、マリ、バビロンを陥落。
- 紀元前16世紀:ヒッタイト王国内での内戦
- 紀元前1531年:メソポタミア遠征、バビロンを略奪するものの戦争費用の拡大で国内が疲弊しヒッタイトが弱体化する
- 紀元前1500年頃:テレピヌ王、ミタンニに勝利。テレピヌ王の後は70年ほど記録が途絶える
- 紀元前1430年頃:トゥドハリヤ1世、隣国との同盟を結ぶ。帝国化、王が神格化されるようになる
- 紀元前1350年頃:シュッピルリウマ1世、アレッポを征服。息子をツタンカーメンの未亡人と結婚させようとするが、息子は暗殺される
- 紀元前1266年頃:カデシュの戦い
- 紀元前1258年:エジプトとの平和条約締結
- 前1200年の悲劇:「海の民」に襲撃される
- 紀元前1180年:首都ハットゥシャ炎上、ヒッタイト王国滅亡
ヒッタイト王国とエジプトの対立:カデシュの戦い
紀元前1286年、エジプトのラムセス2世は外征を開始します。
狙ったのはヒッタイト軍が他方に出払い、防備が薄いという情報を得たカデシュの町です。
戦速重視の強行軍が行われた結果、ラムセス2世のエジプト軍は前後に大きく軍勢が伸びきっていた状態になります。
四つある軍団のそれぞれが分散した状態となり、それはヒッタイト王国軍にとっては有利な状態です。
じつはヒッタイト王国軍と王ムワタリは、カデシュを守るために待ち構えていたのです。
ラムセス2世が得た情報は偽りのものであり、エジプト軍は戦力を分散させてしまった状態にさせられてしまいます。
そこに丘の後ろに身を隠しつつ待ち構えていたヒッタイトの戦車2500が、エジプト軍の後方部隊を撃破することになるのです。
ヒッタイト王国軍は有利に展開しエジプト軍を包囲したとも伝えられていますが、エジプトの援軍が到着したことでラムセス2世は命拾いします。
ヒッタイト王国軍は3人乗りの大型戦車であり、エジプト側は2人乗りの軽量の戦車です。
押し込む強さはヒッタイト戦車の方がありますが、機動力では劣るために有利な状況で追撃を重ねるほどの戦略的なスピードが足りていなかった可能性があります。
最終的には両軍が膠着状態に陥り、そもそも当時はヒッタイト側の町であるカデシュを攻め落とせる余力はなく、エジプト軍はカデシュ攻略をあきらめて撤退することになるのです。
その後も十数年間、ヒッタイト王国とエジプトは戦いを繰り返すことになります。
ヒッタイトとエジプトのあいだに結ばれた世界最古の平和条約
十数年の戦いの後にヒッタイトとエジプトは講和を結び、平和条約を石版に残すことになります。
この結果、両国は友好国となり相互の技術協力、そしてヒッタイト王家の娘をラムセス2世が妻に迎えるなどの関係性を築くことになるのです。
このときの平和条約は現存する平和条約のなかでは最古のものであり、ニューヨークの国連本部の壁にはこのときの平和条約が記されています。
ヒッタイトの滅亡
エジプト対策をしている間にライバルが成長する
ヒッタイト王ムワタリがエジプトのラムセス2世との戦いを繰り広げているあいだに、北ではアッシリアが成長を続けていたのです。
エジプト軍との戦いに集中するあまりに、ヒッタイト王国はアッシリアの台頭への対策までは手が回らず、ライバルであるアッシリアは大きく成長しヒッタイトの国力を削ぐことにつながります。
「海の民」によりヒッタイトが壊滅的な被害を受ける
詳細不明の多民族混合集団である「海の民」の襲撃により、ヒッタイトは大きな痛手を受けるようになります。
海の民により与えられた打撃によりヒッタイトはさらに弱体化することになり、かつては支配下に置いていた部族や国家に裏切られるようになったのです。
さらには紀元前1200年の時代には気候変動や活発な火山活動も起きていたとされ、それらは貧弱な農業しかもたない古代王国にとっては致命的な損害を与えます。
エジプトとの戦いによる疲弊、アッシリアの台頭、海の民の襲撃、自然災害などが重なった結果、ヒッタイトは滅びることになったのです。
ヒッタイトの滅亡が製鉄技術を世界に広める:前1200年のカタストロフ
ヒッタイトの崩壊によって他国は新たな技術を獲得することになります。
それまでヒッタイトが独占していた高度な製鉄技術が国外に流出し、多くの国家がそれを用いることになるのです。
鉄は青銅を作るための「銅」や「錫」よりも「ありふれた金属」になります。
そのため製鉄技術が広まると、またたく間に各地で鉄が製造されるようになっていくのです。
ヒッタイトの滅亡により世界中に「鉄器時代」が訪れることになり、この結果として武器の強化が大国を作りやすくさせて、また農具の改良により農耕技術も発展して世界人口の増加につながっていきます。
ヒッタイトの滅亡は世界に大きな恵みをもたらす結果となったのです。
まとめ
- ヒッタイトは初めて鉄器と鋼を使った
- ヒッタイト人はインド=ヨーロッパ語族
- ヒッタイト人より前にハッティ人が製鉄していた
- ヒッタイトの戦車は3人乗り
- ヒッタイトの宗教は多神教であり多様な文化を持つ
- ヒッタイトとイギリスのあいだに世界最古の平和条約がある
- ヒッタイトは1180年頃に滅びた
- ヒッタイトの崩壊により世界中に製鉄技術が広まっていき「鉄器時代」が訪れる
金属加工に優れていたヒッタイトは人類の歴史に大きな変革を与えます。
鉄器の使用は大きな恵みとなって人類の発展に寄与していくことになるのです。
古い国家であり何度も興亡を繰り返した歴史を持つため記録が多く残ってはない国ではあるのですが、人類に最も貢献した部族の一つとも言える存在になります。
ヒッタイトが滅びることがなければ、鉄器時代の始まりは遅れ、ユーラシア大陸の人口増加や文化や宗教の形勢も、もっと遅くなっていたかもしれないのです。
ヒッタイトの存在は人類の進歩の流れを加速させることになり、技術革新の偉大さを示す一例となっています。
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