イスラム教最大の聖地として有名な土地が、メッカです。
イスラム教徒の義務である一日五回の礼拝時には、このメッカを向いての祈りが捧げられています。
イスラム教の聖地である町の名前でもある一方で、一般的な会話においては「物事の中心地」という使われ方もされているのです。
今回は、メッカの意味と巡礼について解説していきます。
目次
メッカの意味
聖地としてのメッカ
イスラム教の教祖であるムハンマドの生まれた町がメッカです。
そして、教祖生誕の地というだけでなく、メッカには古来からカアバ神殿という神聖な建物も存在していたのです。
カアバ神殿は、神によって作られた最初の夫婦であるアダムとイブの手により建てられた神殿とされています。
カアバ神殿には「カアバの黒石」とされる秘宝が伝わっており、この黒石は人々の原罪を吸い取り黒くなったとされているのです。
教祖であるムハンマドが生誕した町であり、なおかつ、古くからの聖なる伝承を持つ土地になります。
それらのことから、イスラム教において「最大の聖地」とされているのがメッカなのです。
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物事の中心地としてのメッカという使われ方
イスラム教において最大の聖地であり、イスラム教徒たちからの祈りを捧げられる中心地であるメッカには、違う使われ方もあります。
巨大なスタジアムをスポーツのメッカ、映画の撮影拠点などを映画のメッカと呼んだりすることもあるのです。
メッカ=イスラム教の聖地を転じて、さまざまなジャンルの中心地をメッカと呼ぶこともあるわけです。
近年ではメッカという単語よりも、「聖地」という単語に置き換わりつつありますが、意味は同じです。
イスラム教の方からは、メッカという単語がイスラム教の聖なる町以外に使われることは、不敬にあたると指摘されることもあります。
そのためメッカという呼称を使うことをメディアは避けはじめ、「聖地」という単語で表現するようになり、だんだんと定着しているわけです。
宗教用語ではなく、日常用の言葉として用いられる「聖地」とメッカは同義語になります。
メッカが持つ他の意味
イスラム教の最大の聖地であり、世界的にもその知名度が高く、聖地の代表格とも言えるメッカには多くの呼び名が存在しています。
聖地メッカの正式な呼び名は、マッカ・アル=ムカッラマ(栄光あるメッカ)であり、ウンム・アル=クラー(町々の母)という別名もあります。
またはメッカを中心という意味で解釈した「世界のへそ」という呼び名もあります。
メッカは代表的な聖地であり、歴史も古い町で世界的な認知度が高いのです。
そのため、イスラム教徒以外にも聖地の代名詞として使われています。
メッカとイスラム教徒の巡礼
メッカはイスラム教徒が一生に一度は巡礼したい聖地
イスラム教には多くの戒律やしきたりが存在しています。
メッカに巡礼することも、イスラム教徒の義務の一つとされているのです。
健康であり、経済的に問題がない場合は、イスラム教徒ならば一生に一度はメッカへと巡礼するべきだとされています。
メッカはどこにあるのか
メッカはアラビア半島の国である、サウジアラビアにあります。
アラビア半島の中心から西に行った土地であり、紅海から80キロメートルほど内陸にある、山や谷に囲まれた乾燥地帯にある町です。
サウジアラビアの宗教的な首都とされています。
(※政治的・経済的な首都はリヤドです。)
メッカ巡礼者数は300万人
メッカの巡礼をする人の数は年間300万人を超えているとされます。
その大半の巡礼は、イスラム教の暦である、ヒジュラ太陰暦の12月8~10日のあいだに行われているのです。
どうしてその三日のあいだに300万人もの人々が訪れるのかにも、当然ながら理由が存在しています。
その三日以外の礼拝では、じつは正式な巡礼とはカウントされないからです。
メッカの正式な大巡礼「ハッジ」
メッカをイスラム教の義務に従い巡礼する場合は、大巡礼(ハッジ)の時期に決められたルール通りに参拝することが不可欠になります。
ヒジュラ太陰暦の12月7日までに、メッカにあるカアバ神殿に行き、その神殿の周りを7周ほど左回りに歩き、神にあいさつをするのです。
その後、聖なるモスクの近くにある二つの丘の間を早足で駆け抜ける儀式を行います。
これで準備段階は完了です。
8日は東にある「慈悲の山」に向かい、一斉に移動を開始します。
9日はその「慈悲の山」を登り、神に罪の許しを乞う「立礼の儀」わ行います。
10日はアブラハムが悪魔の誘惑されて、多神教の道に引き込まれそうになった故事にならい、「石投げの儀礼」を行います。
正確な日時に、決められた一連の儀式を行うことで、メッカへの正式な巡礼である、大巡礼(ハッジ)は完了するのです。
この儀式を毎年200~300万人が行うことになります。
大巡礼は死者もその対象に含まれ、棺桶に入れられたまま、メッカの大巡礼を行う場合もあります。
メッカの巡礼における注意点
大巡礼(ハッジ)の期間以外でメッカに行っても正式なイスラム教徒の義務を果たしたことにはならず、小巡礼(ウムラ)という扱いにされてしまいます。
そして、毎年イスラム教徒が訪れるメッカですが、メッカは基本的にイスラム教徒以外の立ち入りは制限されています。
イスラム教徒以外は、立ち入ることが基本的には許されてはいないのです。
メッカの巡礼者数は増加傾向にある
メッカはそれほど大きな町ではなく、地理的には辺境と言えるような土地にあります。
しかし、サウジアラビア政府の観光拡大の方針により、道路や鉄道などの整備がなされ、巨大なホテルなどが建設されているのです。
これからも巡礼者の数は増えていくことが見込まれています。
メッカの歴史と伝承
- アダムとイブがメッカにカアバ神殿を建てる(イスラム教の伝承です。旧約聖書には記述されていません)。
- 4~5世紀 メッカが多神教徒に征服され、カアバ神殿が多神教の神殿になる。
- 570年 預言者ムハンマドがメッカで生まれる。
- 624年 イスラム教の礼拝の方角をエルサレムからメッカに変える。
- 625年 大巡礼の義務化。
- 630年 ムハンマドがメッカを掌握し、カアバ神殿の多神教の神像を破壊し、黒石だけを残す。黒石はカアバ神殿の秘宝として現存。
- 632年 聖地としての範囲や巡礼方法などが明確化される。
- 10~13世紀 政治的な中心からは外れるも、ムハンマドの子孫らが支配しつづける。
- 1517年 オスマントルコが実権を掌握。
- 1802年 第一次サウード王国が占領、聖者の霊廟などを破壊(厳格なイスラム教の価値観では、それらも禁止された偶像崇拝と見なされた結果)。
- 1813年 エジプトの統治下になる。
- 1840年 再びオスマントルコ領になる。
- 1916年 ヒジャーズ王国として独立。
- 1931年 ヒジャーズ王国がナジュド王国に敗北、統合され、統合国家がサウジアラビアに名前を変更、メッカはサウジアラビアの領土になる。
- 1979年 マフディー(救世主)を名乗る人物が率いた反王政かつイスラム教原理主義的な武装勢力にメッカが一時的に占拠される。
事件解決後、サウジアラビア王家は国内のイスラム教過激派の不満解消を目的に、ソ連のアフガニスタン侵攻に対し、国内過激派を資金援助つきで派遣。
サウジアラビア人、ウサーマ・ビン=ラディン、アフガニスタンに向かう。 - 2012年 601メートルの超高層ビル、アブラージュ・ベル・ベイト・タワーズ開業。
まとめ
- メッカはイスラム教最大の聖地である
- メッカでイスラム教の教祖ムハンマドが生まれた
- メッカは「聖地」の代名詞としても使われる
- イスラム教徒はメッカに向けて礼拝する
- メッカの巡礼者は年間300万人
- 大巡礼は太陰暦の12月8~10日に行われる
- 正式な日程とルールから外れると小巡礼扱い
- メッカは発展し続けている
イスラム教との関わりの深いメッカですが、知名度の高さから一般用語にも使われることもあります。
聖なる土地であり、イスラム教徒のあこがれの土地であり、大きなビルまで建ち、発展を続けているのです。
300万人が集まるメッカの大巡礼を、見てみたくなります。
サウジアラビアのテレビのチャンネルには、メッカの映像を24時間長し続けるものがあるそうです。
メッカは多くの人々に愛されている聖地の中の聖地のようです。
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