仏教は難解なシステムをもった宗教になります。
多神教の宗教でありながらも信仰の体系が複雑かつ緻密に構成された宗教です。
無数の仏や守護神がいれば、それぞれに信仰のスタイルが異なる多くの宗派に分かれてもいます。
今回はそんな仏教の修行者のレベルを示すものの一つである「阿羅漢」についてご紹介していきます。
また阿羅漢が宗派によって扱いが違うというところもまとめています。
目次
阿羅漢という立場に属する人々
阿羅漢は原始仏教に由来する修行僧たちの最高位
原始仏教やそれから枝分かれてして出来た「部派仏教」において、修行僧たちの最高位を示すのが「阿羅漢(あらかん」になります。
阿羅漢は修行僧たちの終着点であり、最高の悟りを開いた「聖者」と呼ばれる者たちのことです。
古くは釈迦(釈尊、仏陀)の直弟子たちのことを示す言葉でしたが、やがては仏教により得られる智慧の全てを悟ったとされる最高位の修行僧=聖者という意味になります。
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修行僧が阿羅漢になるための修行法:四向四果
修行僧が阿羅漢というレベルに達するまでには「四向四果(しこうしか)」という修行の段階をクリアしていく必要があります。
つまりかんたんに言えば「聖者への道」がこの四向四果になるわけです。
さて、それを説明する前に、まずは仏教の僧侶が目指すべきゴールについてご説明します。
仏教が目指すは「ゴール」は死んでもこの世界に生まれ変わってしまうという「輪廻転生からの脱却」です。
仏教において生きていることは即ち「苦しみ」です。
この生きること=苦しみから完全に解放されるためには輪廻転生というルールからの解放が必要となります。
輪廻転生からの解放が成されないかぎり、人は死んだとしても「3つの世界」のどれかに強制的に生まれ変わってしまうため、人生という苦しみを何度でも過ごすことになるのです。
この「3つの世界」とは下記に通りになります。
- 欲界:人間などがいる私たちの世界。地獄から「欲にまみれた最下層の天界」を含み6タイプに分かれている。
煩悩と欲望の苦しみがある世界であり、仏教を行わない者はこの苦しみに満ちた世界を永遠に輪廻しつづけることになる。六道輪廻とはこの欲界を無限に輪廻すること。 - 色界:煩悩と欲望がない世界で清らかな物質のみがある世界。それでも肉体的な苦しみが存在している世界であり、天界のことになる。宗派によって解釈が異なるが、天界も16~18階層に分かれている。
- 無色界:物資と肉体からも解放された精神活動のみの世界。天界の最上層にあたる世界で煩悩も欲望も肉体・物質的な苦しみもない。無色界も4種類に分かれて、最高の場所を「有頂天」と呼ぶ。
欲界が最低レベルの世界であり、色界が中間、無色界がかなり良い世界ですが、無色界も含めて3つの世界の「どこにも生まれ変わらなくなった状態」が仏教的にはゴールです。
そのための方法を教えてくれているのが仏教であり、それをマスターすれば聖者=阿羅漢として生まれ変わりの苦しみ=輪廻転生からも解放されることになります。
四向四果はその修行の段階を示すものになるわけです。
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阿羅漢に至る道:四向四果の具体的な状態
3つの世界からの解放を目指して、修行僧は下記のレベルを一つずつマスターし阿羅漢=聖者を目指します。
- 預流向(よるこう):四向四果の最初の段階。世の苦しみが生まれる因果を観察し、煩悩や欲望を断とうしている者が含まれる。
聖者への道に入門した状態であり、この状態から離れなければ、「欲界の人間界と天界を7回の輪廻転生した果て」には悟りを得られる。 - 預流果(よるか):煩悩や欲望を断つ方法を知った者が至ったレベル。
肉体や精神活動がもたらす執着から解放されて状態であり、仏教への疑いが消え去り、間違った戒律に囚われなくなった状態。 - 一来向(いちらいこう):世の中の苦しみの因果を観察しつづける修行を行うレベル。欲界にいる段階で修行僧が克服するべき9つの煩悩のうち、6つまでの煩悩を克服しつつある状態を指す。
- 一来果(いちらいか):上記の煩悩のうち6つを完全に克服した状態に至ったレベル。
- 不還向(ふげんこう):一来果で克服しきれなかった3つの煩悩の克服を目指す。このレベルに達すると欲界(下層の世界)に生まれ変わることがなくなる。
- 不還果(ふげんか):欲界で克服すべき煩悩を全て克服したレベル。
- 阿羅漢向(あらかんこう):不還果を得た聖者が、全ての煩悩から解放されようと最後の修行をしている状態。
- 阿羅漢果(あらかんか):煩悩から完全に解放された状態であり、仏教の教えを全てマスターした聖者のレベル。二度と生まれ変わることはなく、死を迎えると共に悟りを開き、輪廻転生の苦しみから解放される。
阿羅漢とは仏教をマスターした聖者である
阿羅漢は仏教の教えを全てマスターした存在であるため、これ以上学ぶ必要の無い者という意味で「無学位」とも呼ばれます。
阿羅漢になれば仏教の目指す目的である、輪廻転生の苦しみから永遠に解放されることが約束された存在となるわけです。
輪廻転生からの解放=解脱とは「今生きているこの世界で阿羅漢に至った聖者が死ぬとき」に訪れます。
生きているあいだは欲界に属しているため、阿羅漢といえど苦しみがあるわけですが、今生の苦しみを終えれば生きる苦しみから解放されるわけです。
阿羅漢の種類
阿羅漢の種類:十六羅漢
釈迦の弟子でとくに優れた16人の阿羅漢たちを十六羅漢と呼びます。
- 跋羅駄闍尊者(ばらだしゃそんじゃ)
- 迦諾迦伐蹉尊者(かにゃかばっさそんじゃ)
- 諾迦跋釐駄尊者(だかはりだそんじゃ)
- 蘇頻陀尊者(そびんだそんじゃ)
- 諾矩羅尊者(なくらそんじゃ)
- 跋陀羅尊者(ばだらそんじゃ)
- 迦哩尊者(かりそんじゃ)
- 弗多羅尊者(ほったらそんじゃ)
- 戎博迦尊者(じゅはくかそんじゃ)
- 半諾迦尊者(はんだかそんじゃ)
- 羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)
- 那伽犀那尊者(なかさいなそんじゃ)
- 因掲陀尊者(いんかだそんじゃ)
- 伐那婆斯尊者(ばなばだしそんじゃ)
- 阿氏多尊者(あしたそんじゃ)
- 注荼半託迦尊者(ちゅうだはんたかそんじゃ)
それぞれの地域に分かれて多くの阿羅漢を引き連れており、布教活動や仏教世界の守護にあたるのが十六羅漢たちになります。
釈迦の命令で十六羅漢たちは死ぬことを選ばず、長生きしながら民衆を救うために働いています。
阿羅漢の種類:十八羅漢
十六羅漢に2人の阿羅漢を足したものが十八羅漢になります。
しかし宗派や国により選ばれるメンバーは異なっているのです。
追加メンバーは「大迦葉・軍徒鉢歎」の2人か「慶友(難提蜜多羅)・賓頭盧」の2人であることもあれば、チベット密教では「慶友と玄奘三蔵」の場合もあり、定形ではないものになります。
阿羅漢の種類:五百羅漢
釈迦の直弟子たち500人を五百羅漢と数える場合があります。
釈迦が死んだ後に十大弟子を含む500人の阿羅漢が集まり、「結集」という仏教の会議が開かれます。
この結集では釈迦の遺した言葉を経典にまとめ上げると同時に仏教における戒律も整備されたと伝わります。
この500人の阿羅漢たちのことを「五百羅漢」と呼び、信仰の対象にしている場合があるのです。
小乗仏教と大乗仏教での阿羅漢の違い
阿羅漢はそもそも上座部仏教などのいわゆる小乗仏教の概念になります。
大乗仏教は上座部仏教などを否定して信者を獲得した教団であるため、阿羅漢を非難する場合があります。
しかし大乗仏教においても阿羅漢は聖者であり、場合によっては自分たちの宗派に大きな影響を与えている阿羅漢も大勢いるわけです。
宗派の自己肯定をするためには阿羅漢を完全に否定することが難しく、大乗仏教の認識のなかでも揺らぎを持つ部分にはなります。
とはいえ日本の大乗仏教などでは、菩薩を上位の聖者に据えているため、阿羅漢を菩薩よりは下の存在として貶すことにより大乗仏教のブランドを維持してきた歴史があります。
大乗仏教の主張によれば阿羅漢は修行者であり阿羅漢だけが救われるが、大乗仏教なら信者などが丸ごと救われるから偉大なのであるという教義になるわけです。
阿羅漢を否定することが大乗仏教には自己肯定につながりますが、阿羅漢には弥勒菩薩などの重要な菩薩や、禅宗の開祖らもいるため完全否定することはできないのです。
いずれにせよ尊い僧侶であるという認識には落ち着いています。
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まとめ
- 阿羅漢とは最上位の修行者のことであり、ひらたく言えば聖者である
- 阿羅漢に至れば死ぬと輪廻転生の苦しみから解放される
- 阿羅漢は四向四果という修行段階をクリアすると到達することが可能
- 阿羅漢には十六羅漢や十八羅漢や五百羅漢がある
- 阿羅漢は小乗仏教の概念であるため大乗仏教からは貶されてきた歴史がある
- 阿羅漢には大乗仏教上の重要な僧侶が含まれるため大乗仏教も完全否定できなかった
- 阿羅漢は聖者であり仏教をマスターした存在
仏教は多神教である上に宗派によれば輪廻転生などのシステムを使い同一人物の化身や転生などがあります。
また経典によっても内容が異なっていることも多く、それぞれを整備して合理性を保つために複雑な解釈が施されることにもなった宗教です。
各宗派によって修行法や到達点の方向がそれぞれに違って複雑怪奇なシステムが存在します。
なかなか理解することは難しい宗教ですが、阿羅漢という存在は仏教の僧侶が行うべき修行の方向性と、そもそも仏教が目指すゴールを示しているものです。
阿羅漢を知ることで複雑な仏教の世界観を学びやすくもなるのです。
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