世界三大宗教の一つに、仏教がありますが、この仏教を大きく分けてしまえば、二つの流派となります。
大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)です。
これらの仏教には、教義としての大きな方向性の違いがあり、ある意味では真逆の思想を有しているとも言えます。
今回は大乗仏教が、どういう思想の宗教なのかをご紹介していきます。
そして、小乗仏教(上座部仏教)との違いも比較します。
大乗仏教とはどういう教義を持っているのか
大乗仏教が生まれた背景
仏教の開祖である釈迦(紀元前五世紀前後に活動してたとされる)の死後から、数百年が経つあいだに、釈迦の率いていた教団は分裂し、さまざまな宗派が成立していくことになります。
それらは部派仏教と呼ばれていましたが、紀元前三世紀頃に、上座部と大衆部という二大派閥に分裂します。
二大派閥は20の宗派に分かれて、それぞれが独自に釈迦の教義を追い求めるようになるのです。
部派仏教は釈迦とその弟子たちが行っていた、オリジナルに近い仏教でしたが、度重なる議論が交わされていったことで、難解な学問という属性を帯びていきます。
さらには、王朝に保護された結果、貴族趣味的な要素までもが加わり、一般の民衆からは近づきがたい、貴族が行う学術的な追及を伴う宗教とされるようになったのです。
その状況をによって生じた民衆の不満に応えるように、大乗仏教が生まれることになります。
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大乗仏教の目指した教義
さて、大乗仏教は紀元前後から、一世紀のあいだに誕生したとされています。
この大乗仏教は、それ以前の仏教とは、大きくことなる教義を持っていたのです。
それ以前の仏教は、出家して僧侶となることでのみ、救いの道である「悟り」が当人に開けるというものです。
しかし、大乗仏教は、「出家した当人のみが救われる」というその教義とは、大きく異なる道を唱えます。
大乗仏教では、出家して僧侶となった者の存在が、広く周囲の人々をも救うことにつながるのだという考え方をしているのです。
大乗仏教と小乗仏教という名前の由来
大乗仏教は自分たちは「大きな乗り物/大乗」の仏教であり、多くの人々を救える宗教なのだと称するようになります。
それが大乗仏教という名前の語源になるわけです。
仏教の在り方を「出家した個人を救済する宗教」から、「大衆を救うという宗教」へと変わることになるため、小乗仏教(上座部仏教)の指導者たちからは、釈迦の教えを「拡大解釈しすぎている」と非難されることにもなります。
それに対して、大乗仏教側は上座部仏教に、「少ない数しか救えない小さな仏教」であるという意味であり、「小さな乗り物」に例えて、「小乗仏教」という蔑称を与えます。
こうして、両者は教義的には対立することになるのです。
大乗仏教とは大衆を救うことで自分も救われるという仏教
大乗仏教の目指す道は、大衆のなかに入り、仏教を広めていくことです。
仏教を広めて大衆を救うことが、僧侶の修行でもあり、その結果、仏教の最終目標である「悟り」を開くことが出来るという教義になります。
インド北西部に勢力を広めた大乗仏教は、2~3世紀に竜樹(ナーガールジュナ)によって体系づけがされていきます。
やがてインドからアフガニスタンを経由して、中国や韓国、そして日本にも伝来することになるのです。
日本で一般的に存在する仏教とは、この大乗仏教のことになります。
伝来のルートが上座部仏教(南伝仏教)のそれと比べて北側であることから、大乗仏教は北伝仏教とも言われています。
大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)の違い
大乗仏教は戒律をそれほど遵守しない
両者の宗教の大きな違いは、救いの対象が個人か大衆かということだけではないのです。
小乗仏教においては、釈迦の時代からある227個の戒律を守ることが、重要視されています。
それに対して、大乗仏教ではそれほど戒律を多く守ることはないのです。
旧来の仏教徒であれば、肉食も飲酒も禁止されてしまい、結婚することも戒律に触れてしまうことになるため、戒律が厳格でないことは大乗仏教の信者のメリットにもなります。
大乗仏教では多くの仏さまを信仰する
大乗仏教では、釈迦だけでなく、薬師如来や観音菩薩など、多くの仏さまを神格化して崇拝しているのも特徴です。
大乗仏教は多神教的な側面を有していますが、小乗仏教では信仰と崇拝の対象である仏さまは、あくまでも釈迦のみとしています。
大乗仏教では出家しなくても救われる
出家して寺へと入門する必要がないことも、大乗仏教の特徴です。
これは信徒だけでなく、僧侶にもその流儀は活用されていて、在家主義とも言われています。
財産や家族を捨てずに、修行を始められ、「悟り」を開くことを許されるということは、僧侶にとっても負担が少ない宗教でもあります。
大乗仏教で使われているのはサンスクリット語
一般大衆向けというイメージもある大乗仏教ではあるのですが、大乗仏教の経典はサンスクリット語という、やや難解な言語で書かれています。
意外なことに小乗仏教の経典は、より一般的な言語であったパーリ語で書かれているのです。
大乗仏教の僧侶には優秀な人材を求めるという方針だったのではないか、という研究もあります。
小乗仏教は出家者自身のみが救われるので、僧侶となり経典を読む者が、高度な学問を修得している必要がるサンスクリット語ではなく、より一般的なパーリ語が選ばれたのだと認識されているのです。
経典を読むということに関しては、小乗仏教の方が、古代のインドでは読みやすかったようです。
大乗仏教では人間が釈迦と同じ仏になれる
大乗仏教では、人間は最終的には釈迦と同じ境地に達して、仏さまになれると説いています。
小乗仏教では、「人間は釈迦のようにはなれない」と考えられており、阿羅漢と呼ばれる聖者の地位を目指しているのです。
大乗仏教と小乗仏教の違いは、いくつもあるのですが、枝分かれした宗派だけあり、あえて差別化をはかるかのような、対極的な特徴も多く見られます。
大乗仏教のヒンドゥー化
インドの民衆は大乗仏教ではなくヒンドゥー教を信仰
古代インドでは古来からの伝統を持つヒンドゥー教の台頭が著しくなり、大乗仏教もヒンドゥー教の影響を受けることを免れなくなります。
大乗仏教は寛容な宗教ではありましたが、戒律などを廃したせいで他宗教の影響を受けやすいという部分もあったのです。
インド古来の民間信仰なども継承することで生まれていったヒンドゥー教は、大乗仏教よりもインドの人々の心を掴んでいき、やがてはインドの主要な宗教の座を仏教から奪うことになります。
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大乗仏教はヒンドゥー教の影響を受けて密教を生む
ヒンドゥー教にある呪術的な要素を吸収することで、大乗仏教から密教という教えが生まれることになります。
護摩(ごま)を焚くなどの呪術的な儀式は、ヒンドゥー教からの影響によるものなのです。
密教はやがてチベット仏教にも取り入れられたり、中国仏教にも伝わり、中国で独自発展していくことで、真言宗が誕生することにもつながっていきます。
平安時代には、空海によって真言宗は日本へと伝わることになります。
つまり、密教も大乗仏教の一種なのです。
小乗仏教(上座部仏教)の盛んな国
上座部仏教(南伝仏教)の伝わった国々
スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスなどで上座部仏教は今もって盛んに信仰されています。
小乗仏教という大乗仏教側からの蔑称を自称することはなく、上座部の意味である、「テーラヴァーダ」と自称します。
日本の仏教界でも、上座部仏教と呼ばれることが一般的になっているのです。
上座部仏教はイギリスの旧植民地に多い
上座部仏教の伝わった国は、イギリスの植民地とされる国が多いのです。
スリランカ、ビルマ、タイからの移民や難民が、イギリスやカナダ、アメリカやオーストラリアなどの英語圏へと流入することがあります。
その結果として、それらの国にも上座部仏教が大集団ではないものの根付いており、布教活動も精力的に行われているのです。
まとめ
- 大乗仏教は大衆を救おうという仏教である
- 小乗仏教は出家した本人が救われる仏教である
- 大乗仏教は戒律などの面が厳しくない
- 大乗仏教では、人間は仏さまになれると信じられている
- 大乗仏教は日本に伝わっている仏教のことである
- 大乗仏教の宗派には、ヒンドゥー化されて密教を生んだものもある
- 小乗仏教は英語圏への布教活動が盛んである
インドで生まれた仏教は、世界に広まり世界宗教となる過程で、宗派分裂をしていきます。
日本に伝わっているため、大乗仏教は私たちには身近な仏教です。
この身近な大乗仏教も、釈迦が始めた仏教からは、教義なども色々と変わってもいるようです。
しかし、大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)は、釈迦の説いた仏教において、重要視する点が異なるだけであり、どちらが正しいというわけではないのです。
どちらも偉大な釈迦の教えの継承者には違いがなく、今日も多くの人々の心に安らぎをもたらしています。
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