契約の箱とは?中身や材料、歴史的な経緯など解説

宗教には神さまから信者に与えられたと伝わるアイテムがあるものです。

信仰を強化したり神さまが実在する根拠の一つとして使われますが、古代のユダヤ教にも契約の箱というアイテムがあります。

ユダヤ教においては最も重要なアイテムの一つになりますが、この箱はどんなものだったのでしょうか?

今回は古代ユダヤ教の重要アイテムである契約の箱についてご紹介し、その箱のなかには何が入っていたのかについても解説します。

契約の箱の役目

契約の箱はモーゼの十戒の入れ物

契約の箱の最も重要な役割は、モーゼが神さまから与えられた十戒の石板をしまっておくことです。

モーゼは神さまから契約の箱の設計を細かく伝えられたあとで、有能な職人であるベツァルエルに製造を依頼します。

ベツァルエルは指示の通りにその箱を作り上げたのです。

契約の箱が完成したのはモーゼが一族と共にエジプトから旅立った一年後だったとされています。

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契約の箱の設計

その素材はアカシアの木であり、縦の長さが130センチ、横幅80センチ、高さは80センチです。

箱本体が地面に触れないように箱の四隅には脚があり、持ち運ぶときには箱本体に手を触れずとも運べるように長い棒がついていたとされます。

イメージとしては日本のお神輿(みこし)のような形が契約の箱です。

契約の箱は全体的に「純金」で塗装され、その上部には高位の天使である智天使ケルビムの飾りが二つつけられていました。

神さまは細部にわたって指示を出しましたが、モーゼはこの設計の細かさをいまいち理解できなかったので、二度ほど指示を聞くことになります。

しかし、ベツァルエルはモーゼの説明でデザインを瞬時に把握し、完璧な契約の箱を作り上げたのです。

ベツァルエルはユダヤの伝承によればモーゼの孫にあたり、契約の箱をつくったときは13才でした。

契約の箱の中身:アロンの杖

契約の箱の中身として最も有名なのは十戒の刻まれた石板ですが、他にも二つのアイテムが入っています。

二つ目はユダヤ人を迫害し奴隷にしていた古代エジプトを襲った、「十の災い」をもたらしたとされるアロンの杖です。

アロンの杖は神さまからモーゼに与えられたアイテムでしたが、それを使ったのはユダヤ人のエジプト脱出のときに共同リーダーであったモーゼの兄アロンになります。

アロンはその神さまの力が宿った杖を使うことで、川の水を血に変えたり、イナゴの群れを発生させたり、エジプトで産まれる全ての長子を殺したり、多くの災いをもたらしたのです。

「十の災い」でエジプトを攻撃したあとで、モーゼとアロンはユダヤ人たちを率いてエジプトから脱出します。

なおアロンの杖はエジプトを脱出するとき、エジプト軍に追い詰められたモーゼが、紅海を割り逃げ道を作るときにも天に掲げているのです。

神さまの力が宿った不思議な杖であり、このアロンの杖も契約の箱に収納されていました。

契約の箱の中身:マナの壺

エジプトを脱出したあとで40年ほど荒野をさ迷いつづけることになるモーゼたちでしたが、全員が飢えたときにモーゼの祈りに応じて神さまは空からマナという食べ物を降らせたのです。

マナは40年の放浪の旅を支えた食べ物であり、空から週6で降って来ます(7日目は安息日なので神さまも休みます。また7日目に備えて6日目に二日分のマナを確保することは許されたのです)。

モーゼは神さまの「祝福の証」として、このマナを純金の壺に入れて契約の箱に納めたのです。

マナが何であったのかは謎ですが、「白くて薄い蜜入りのせんべいのようなもの」ともされ、ユダヤ人が毎朝、一定量を収穫して食べていたとされます。

マナには「樹液を固めた食料説」、「昆虫の出した甘い体液説」、「果物説」、「キノコ説」という予測もあり、どれも食べることが可能で、モーゼの旅路にある土地で手に入る食材です。

ちなみに「マナ」という単語は「これは何だろう?」という意味になります。

文化的に未知の食料を神さまから与えられたのか、それとも荒野で収穫した未知の食材を無理やり食べていたのかは謎ですが、契約の箱にはマナを入れた壺も納められたのです。

契約の箱の保管場所

幕屋。左奥に契約の箱が安置されている。(出典:jw.org)

モーゼは契約の箱をアロンの子孫たちである司祭らに担がせて運ばせますが、移動しないときには「幕屋」と呼ばれるテントに保管されています。

幕屋は「移動式の神殿」であり、設計は神さまですが制作者はベツァルエルです。

ベツァルエルは僧侶たちが着る服装なども作っており、契約の箱にまつわる品を多く作り上げた天才職人になります。

契約の箱は幕屋のなかに、カーテンのようなもので区切られた「至聖所」と呼ばれる神聖な区画に配置されていたのです。

ユダヤ人たちがエルサレム王国が作り上げたあとは、エルサレム神殿に置かれています。

契約の箱の異称

契約の箱や放浪の時代についての記述は、旧約聖書のなかでも表現が異なる部分です。

契約の箱についても「証の箱(あかしのはこ)」と呼ばれることもあれば、「掟の箱(おきてのはこ)」、「聖櫃(せいひつ)」、「約櫃(やくひつ)」などと表記のズレが生まれています。

旧約聖書の成立時期は謎です。

伝統的なユダヤ教およびキリスト教の価値観に従えば、前半の部分である「モーゼ五書」はモーゼが書いたとされています。

現在の有力な考え方としては、モーゼが旧約聖書を書いたという説は否定されているのです。

長い期間を経て、多くの人や宗派の違うグループが関わりながら作り上げられていったという説が有力になります。

契約の箱について名前のズレがあるのは、「複数の文献」が組み合わされたことで旧約聖書が作り上げられていったことの影響なのかもしれません。

なお「モーゼ五書」は紀元前4世紀ごろには権威ある経典として認められています。

紀元前2世紀ごろに他の書物も正式な経典に認められていき、紀元後一世紀に旧約聖書に対しての大きな整備がなされるのです(どの文献を旧約聖書に含むかという作業が行われました)。

契約の箱の歴史的な経緯

契約の箱の製造日:紀元前1280年頃?

契約の箱は出エジプトの一年後には作られていたとされます。

エジプト側の資料は豊富ですが、ユダヤ人奴隷の大量脱出についての記述は存在していません。

旧約聖書では60万人以上の脱出ですが、おそらく「盛った」数字と考えられます。

しかし王朝の変わり目でユダヤ人の待遇が変わり、それを不満に思ったユダヤ人奴隷が逃亡したという旧約聖書の表記から、おおよその予測が立てられてもいるのです。

出エジプトが行われたのは紀元前13世紀、古代エジプトの第19王朝「ラムセス2世」の統治の時代とされています。

紀元前1280年頃にモーゼたちはエジプトから脱出したと考えられ、契約の箱が作られたとされるのもその時期になるのです。

契約の箱はモーゼからヨシュアに継承される

モーゼの死後はヨシュアという人物がユダヤ人グループを率いるようになります。

ヨシュアは神さまから与えられた約束の地カナンにいる異民族たちと戦争を繰り広げていき、やがてはそのカナンを制圧する軍事的な英雄です。

そのあとは士師と呼ばれる各部族のリーダーたちが争う時代となりますが、シロと呼ばれる地域の神殿に契約の箱は置かれます。

やがてユダヤ人たちのライバルであるペリシテ人が力をつけると、ユダヤ人の部族たちは力を合わせて王国を作るのです。

イスラエル王国が誕生し、部族たちの代表者であるサウル王が初代イスラエル王となりましたが、ペリシテ人に敗北してシロから契約の箱を奪われてしまいます。

ペリシテ人に神さまの呪いがあり、70人あるいは数万人が死亡したとされ、ペリシテ人から返却されます。

異教の神殿も多く作っていたソロモン王の時代に、イスラエル神殿が作れると契約の箱はそこに安置されるようになったのです。

紀元前10世紀頃にエルサレム神殿は作られたとされますが、ソロモン王が確認したときには、契約の箱のなかにはモーゼの十戒の刻まれた石板しか入っていなかったとされます。

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契約の箱が行方不明となる

ソロモン王の死後、エルサレム王国は南北に分裂しますが南のユダ王国にエルサレム神殿はあったので、そこに安置されていたと考えれています。

しかし、紀元前586年にメソポタミア地方の強国であるアッシリア(バビロニア)により、南ユダ王国も滅ぼされてしまい、そのときにエルサレム神殿も破壊されるのです。

この時から契約の箱は現在まで行方不明のままになりますが、エルサレム神殿が壊される30年以上前から契約の箱について触れている文章は残されていません。

失われた契約の箱

契約の箱はどこへ行ったのか?

契約の箱がどこに持ち去られたのかについては諸説あります。

契約の箱の行方に関する諸説
  1. バビロニアに運びされた説:侵略者であるバビロニアが奪ったという説です。
  2. エチオピア説:エチオピアに運ばれ安置されている説であり、エチオピア正教会は現在でも所有していると主張しています。
  3. 南部アフリカ・ジンバブエ説:契約の箱がアラブ経由でジンバブエまで運ばれたという説があります。
  4. テンプル騎士団回収説:エルサレム神殿の跡地とされる神殿の丘を本拠地としたテンプル騎士団(1119年創設)に回収されているという説で、契約の箱はヨーロッパやアメリカに運ばれているのではないかとされているのです。
  5. ツタンカーメンの墓から出てきた説?:ジャッカルの姿をした冥界の守護者アヌビス神をかたどった神輿(みこし)がツタンカーメンの墓から発見され、これが契約の箱ではないかという説もありました。

神輿は箱部分にアヌビスが乘った形であり、箱そのものは長さ95センチ、横40センチ、高さ54センチです。

担ぐための棒やアヌビスの像を含めば、より大きくなりますが、契約の箱の描写と似ていなくはありません。

発見当初はこれこそが契約の箱なのではないかとも騒がれましたが、ツタンカーメンは紀元前14世紀の人物になります。

モーゼの時代がいつなのかは正確には不明ですが、ツタンカーメンは少なくともイスラエル王国成立の300年以上前には死んでいた人物です。

後に否定されましたが、もしかするとエジプトから脱出したモーゼたちが作った契約の箱とアヌビスの神輿は形が似ていたのかもしれません。

契約の箱はそもそも無かった説?

旧約聖書の文献には契約の箱が記述されていますが、モーゼがエジプトを脱出した後の時代について書かれた「出エジプト記」周辺の文章は、旧約聖書のなかでも基本的に矛盾を多く含む場所です。

「契約の箱のエピソードそのもの」が、モーゼが死んでから数百年後に作られているのではないかという説もあります。

ユダヤ教の成立そのものがモーゼがいたとされる時代よりも後であるため、ユダヤ教が完成していくなかで契約の箱というエピソードを入れたのかもしれません。

宗教上では明確に存在するアイテムですが、本当に実在していたかは別のことなのです。

複数のユダヤ神話の文献や伝承、そして諸外国から受けた文化的・宗教的な影響によって、民族の救世主の一人である過去の指導者を盛り立てすぎた部分があったとしてもおかしくはないのです。

まとめ

  • 契約の箱はアカシアの木で作られ、全体的に金が使われている
  • 契約の箱にはモーゼの十戒の石板、アロンの杖、マナの壺が入っていた
  • 契約の箱はモーゼの孫が作った
  • 契約の箱はテント型の神殿に置かれていた
  • 契約の箱は敵に奪われがちだが、敵を呪う
  • 契約の箱はソロモン王が建てたエルサレム神殿に置かれた
  • ソロモン王のころには十戒の石板以外は契約の箱に入っていなかった
  • エルサレム神殿がアッシリア(バビロニア)に破壊されてから行方不明
  • 契約の箱の行方については様々な説がある
  • ツタンカーメンの墓から出てきたアヌビスの神輿が契約の箱だと考えられたこともある
  • 契約の箱にまつわるエピソードは後世に作られた説もある

失われた契約の箱については多くの創作物が作られてきました。

神さまがくれたアイテムが入っている箱であるため、それが発見されたら考古学的にも宗教学的にも大きなイベントになります。

映画などのアイデアとして使われることも多い契約の箱ですが、契約の箱に触れた多くの異教徒には災いが起き、安置されている場所で無事だったところはないです。

神さまの怒りや呪いについても描写の多いアイテムであるため、見つけても開けないほうが良いのかもしれません。

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