修験道とは?山伏、廃止令などの歴史まで解説

世の中には多くの宗教があり、それぞれの宗教が独自のルールで運営されています。

日本の修験道(しゅげんどう)も数ある宗教のひとつになります。

山岳信仰と仏教などが結びついて作られた宗教ですが、どのような宗教なのかは具体的に知られていないものです。

今回は日本独自の宗教のひとつである修験道について、ご紹介していきます。

修験道の信仰形態

修験道を構成する宗教要素

修験道の主要な下地は二つあります。

ひとつは仏教の一種である「密教」で、もうひとつは日本古来からあるアニミズム(自然・精霊崇拝)である「山岳信仰」です。

経典や修行法などの宗教としての骨格は「密教(仏教)」であり、修行の場や信仰の対象として「山岳信仰」がプラスされて作られています。

修験道では山は神聖な領域に属しているため、山で修行を行うことで良質かつ多くの経験を積めるという考えとなっています。

密教=仏教と日本古来の宗教が融合しているため、信仰の対象となる存在は「仏教の諸仏」および「日本古来の神々」、そして聖地としてあがめる「山岳そのもの」となるのです。

密教の経典をベースに用いていますが、修験道そのものはアニミズムかつ多神教の要素が強くもあるため経典だけでなく全ての行いや言葉に「真理への手がかり」が含まれているとも考えています。

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修験道の目的

修験道の目的は密教と同様に「修行を通じて特別な力を得て民衆を救済する」というものです。

修験道は現世利益追求型の仏教になります。

加持祈祷などによる「ご利益」をフォロワーに提供することが目的になります。

加持祈祷のスキルの根拠となるのは修行で得た力であるため、この修行に対して修験道は重きを置いている宗教になるのです。

修験道の開祖:役小角

五流尊瀧院(岡山・倉敷)にある役小角像(出典:wikipedia)

修験道の開祖は役小角(えんのおづぬ/おづの/おつの、西暦634年~701年)と呼ばれる飛鳥時代の呪術者あるいはシャーマンになります。

役小角はさまざまな呪術を使いこなして病を治したり、呪いで鬼や神々なども操っていたとされる人物です。

若くして孔雀明王(密教の仏)の呪術をマスターしたと伝わります。

孔雀明王の能力は「人々に降りかかる災厄や苦痛を取り除く」「悪魔・悪神・悪霊払い」「雨乞い」「鎮護国家(国家の安泰を祈る)」というものがあります。

なお、役小角が使役した有名な鬼には「前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)」と呼ばれる夫婦の鬼神がいて、役小角の仏像などには付随して描かれることも多い護衛のような存在です。

前鬼は赤鬼であり中国で発生した「陰陽五行」の法則では陽に属し、後鬼は青鬼であり陰に属す存在になります。

また前鬼・後鬼は仏教の呪文である真言のひとつ「阿吽(あうん)」を現しています。

修行の場を山に選ぶことは日本の山岳信仰だけでなく、中国の宗教である「道教」神仙信仰などの影響も考えられます。

修験道は日本古来のアニミズムに密教や陰陽道・道教など、インド・中国・日本の宗教観がミックスして作られた宗教なのです。

なお役小角は出家せずに没したともされ、修験道への入門には出家が絶対的な要件ではないのも特徴になります。

修験道は広範な要素から成り立つ宗教なのです。

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修験道の語源

「修験」は修行して験力を得ることを示し、験力とは加持祈祷などの呪術的な力の強さのことです。

あるいは仏教的な要素の強い解釈では徳を積み、悟りや密教的な能力を得るためのトレーニング一般のことを「修験」は指します。

「道」は修験道における宗派のカテゴリーを示すものです。

多くの種類の修験があるため細かく分類すれば「修験宗」であり総論としては「修験道」になります。

「修験道」とは修験を行う人々を総じて示す言葉です。

修験道の修行と山伏

修験道の修行者:山伏(やまぶし)

修験道は山岳信仰の影響から山を聖地としてあつかい、山での修行を推奨している宗教になります。

そのため修験道の修行者は一般的には山に籠もって修行することになるわけです。

山に潜伏して修行することになるため、修験道の修行者は「山伏(やまぶし)」という名前を与えられています。

山伏の服装

(出典:wikipedia)

山伏(やまぶし)の服装は宗派や階級(修行の達成度や年齢、修行歴、宗教者としてのキャリアなどが反映されて与えられる)によって細かな違いが存在しています。

しかし、一般的には「鈴懸(すずかけ)」という法衣をまとって修行するところは共通しているのです。

山伏(やまぶし)の服装
  • 鈴懸とその上にまとう結袈裟(ゆいげさ):密教的な要素として「金剛界」と「胎蔵界」を象徴する。この二つを合わせた概念の図形が「両界曼荼羅」であり、密教の宗教観を反映したものになる。

  • 頭巾大日如来(密教の主神)を象徴し、密教においては修行の果てに大日如来と一体化できるため法力が使えるようになるとされる。

  • 錫杖(しゃくじょう)法螺貝(ほらがい):山伏の成仏の過程を示す。密教の価値観では死なずとも成仏することが可能とされている。

  • その他のアクセサリー:仏としての再生などを象徴する。

山伏はその服装をもって、山伏を密教あるいは仏の化身のように表現しています。

山伏の修行

山伏の修行内容
  • 火渡り:浄化の意味合いを持つ炎の上を歩く。
  • 護摩(ごま):火を焚いてその前で祈祷を捧げる。
  • 山を走る
  • 武術を鍛える
  • 南蛮(なんばん)いぶし:密閉した室内で刺激のある煙を焚いてそれを浴びる。
  • 崖から身を乗り出す:仏の世界をのぞき見る。

過酷な修行の結果に成果が得られると考えられています。

修験道の歴史と宗派

修験道の歴史
  • 飛鳥時代:役小角が始めたとされる。
  • 平安時代:密教が発展、山岳信仰などと結びつき修験道が確立していく。
  • 鎌倉時代後期~南北朝時代:独自の宗教としての密教からの分化が進む。

  • 1613年:江戸幕府による「修験道法度」施行。真言宗系の「当山派」か、天台宗系の「本山派」に所属することが義務づけされる。修験道は各地にありバリエーションが豊富であるものの、基本的にはこの二大宗派に属している。
  • 1868年:明治政府による「神仏分離令」が施行。上記の二大宗派以外の修験道の山伏たちが強制的に還俗させられる。
  • 1872年:「修験禁止令」。修験道が禁止される。「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく/神道優遇・仏教弾圧の政策)」により修験道の信仰物が破壊される。

修験道は日本古来の神道と外来の仏教が融合した宗教の典型的な存在であったため、天皇中心のナショナリズムを作りたいと考えていた明治政府からは嫌われてしまったのです。

天皇家の氏神である天照大神が、大日如来や密教系修行僧と一体化出来るという仕組みは、天皇に権力を集中させる建前の妨害になる可能性があります。

「修験禁止令」は仏教などの外来宗教よりも神道という「日本の伝統的な宗教」を推奨した結果の宗教弾圧の一例になります。

宗教は政治利用されやすい文化体系であり、それは日本の歴史においても例外ではないのです。

また仏教や神道を分離する必要があったのは、日本の神道そのものが仏教のスタイルをもとに作られている多神教の宗教であったため、両者には成立時から共通点が多く融合しやすかったからです。

修験道の聖地:日本三大修験道

修験道は山を神聖視している宗教です。

そのため各地の霊験あらたかな山とされる場所は修験道の聖地とされています。

とくに山伏たちの信仰をあつめている三つの山・聖地のことを「日本三大修験道」と呼び、尊ばれているのです。

【聖地】日本三大修験道
  • 大峰山(奈良県):古来からの修行の聖地。修験道の伝統的な価値観では女性を穢れた存在として捉えているため、女人禁制の聖地も少なからず存在する。大峰山にも女人禁制のエリアが存在している。

  • 出羽三山(山形県):月山、羽黒山、湯殿山の総称。パワースポットとしても有名。月山が「前世」、羽黒山が「現世」、湯殿山が「来世」を象徴する。出羽三山の巡礼は「生まれ変わりの旅」という意味合いを持つ。

  • 英彦山(大分県と福岡県にまたがる):古くから武芸の鍛錬を行って来た山伏たちの聖地のひとつ。樹齢1200年の「鬼杉」が有名な観光資源である。鬼杉は英彦山の権現(修験道の神)に山から追い出された鬼が、逆さまに突き立てて残していった杉とされている。

まとめ

  • 修験道は日本古来の宗教と仏教などの外来の宗教がミックスして生まれた。
  • 修験道は山で修行することが推奨される。
  • 「修験」の意味は修行を通して修行者が仏教的な成果を得ること。
  • 「道」の意味は宗派を超えた幅広い方向性であることを示す。
  • 修験道の修行者である山伏の服装は、修行者としてのアイデンティティを示すもの。
  • 修験道は役小角(えんのおづぬ/おづの)が開祖。
  • 修験道は密教がベース。
  • 修験道は禁止された歴史がある。
  • 聖地「日本三大修験道」は大峰山、出羽三山、英彦山。

修験道は日本人特有の雑然とした宗教観を反映した宗教です。

多神教であり神も仏もアニミズムも同じように尊く似たようなものだろうという考えになっています。

自然崇拝の一環として初日の出を尊んだり、仏教の価値観には実は反している盆(大乗仏教の多くの宗派では死ねば成仏するので、あの世から祖先の霊が帰ってくるのはおかしい)もクリスマスも祝います。

厳密さを好まない日本人の世界観と修験道の宗教観には大きな親和性があるように感じます。

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