即身仏とは?理由や方法、海外の例など解説

宗教において死体を祀(まつ)る行為は少なからず存在します。

日本にも「即身仏(そくしんぶつ)」という僧侶のミイラがあり、現在でも一部の寺院に安置されているのです。

どうして僧侶たちのミイラを飾るのでしょうか?

今回は日本の仏教における即身仏について、何故それを作ったのかという理由を解説し、海外にもある即身仏についてもご紹介していきます。

即身仏とは何か?

そもそも即身仏とは具体的に何なのか?

即身仏(そくしんぶつ)とは「ミイラ化した仏教僧の死体」になります。

ミイラ化する過程において、あくまでも仏教の修行を取り入れていることがルールです。

仏教の修行である断食を続けたあげく、「自発的に餓死」をさせたものになります。

やせ細って乾燥した死体はその後の処置や安置する環境によってミイラ化し、数百年の保存も可能となるのです。

即身仏をする理由

どうして僧侶たちは自殺してミイラとなったのでしょうか?

それは仏教の思想による「世の中の救済方法」だからです。

仏教は自殺を一般的には禁じていますが、僧侶が仏教の教えに従ってその命を奉げることは修行法として認められています。

命を奉げる修行を行うことで「悟り」を開き、仏となって世の中を良い方向に導こうという思想が「捨身」であり、即身仏もその方法の一つです。

昔は世の中に飢饉が訪れたり、疫病などが蔓延すれば何もすることはできませんでした。

苦しみの解決方法は宗教の儀式に頼るほかなかったため、高僧などは自ら即身仏となることで、世の中の苦しみから人を救おうとしたのです。

仏教における「自発的な生贄(いけにえ)」は尊いことであり、科学や近代的な医学の存在しない江戸時代までの日本においては、それだけが一般的な大規模災害への有効な対策の一つでした。

もちろん即身仏をしたところで現実を改善することはありませんが、宗教的な意味としてその行いは尊いものです。

なお命を捨てることになるため「仏教において最大の修行法」の一つともされています。

即身仏の数と場所

山形県鶴岡市にある真如海上人の即身仏

日本には二十数体の現存する即身仏があるとされ、そのいくつかは寺院で公開されてもいます。

現存する即身仏の多くは山形県や新潟県など18か所にあり、一般的には涼しい土地に多く安置されているのです。

即身仏は世の中の救済のために行う儀式でもあるため、飢饉や大災害のさいには即身仏へ挑戦する僧侶も多く現れます。

即身仏になることを挑戦した僧侶たちは百名以上いたとされますが、その少なくない数が即身仏というミイラになることに失敗していたのです。

その理由は高温多湿の日本では「ミイラを作ることも保存することも基本的に向いていない」ため、寒さの厳しい土地でなければ失敗して死体を腐らせてしまったからになります。

また即身仏は地中に生き埋めとして作るものです。

全ての僧侶が死後、掘り返されることは望んでいたわけではなく、そのまま地下に埋められたままになった者も多いと考えられています。

即身仏と即身成仏の違い

即身仏とは断食修行の果てにミイラ化した僧侶の死体のことですが、仏教の一種類である密教には「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」という言葉もあります。

即身成仏とは密教の修行僧が「生きたまま悟りを開いた」という状態であり、「仏と一体化して永遠の命を手にしている状態」のことです。

断食修行の果ての死の直前に「ギリギリ生きている状態のまま悟りを開き、仏となり永遠の命を得る」という考えが「即身成仏」になります。

多くの仏教では死後に仏となれると考えられていますが、密教では生きたまま仏と一体化することが可能であるとされ、「即身成仏」は密教では「死者ではありません」。

日本に密教を伝えた空海なども密教の奥義を極めて仏の力と一体化しているため、現在も死んでいるのではなく「永遠の瞑想を行い続けている」のが高野山の公式見解です。

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即身仏の方法・やり方

即身仏になるための準備

即身仏になるには徐々に断食していきながら、最終的には水分の摂取量も減らしていくことになります。

どうしてそんな必要があるかと言えば、死体をミイラ化するための最大の敵である「腐敗」を防ぐためです。

体重を極限まで落とすことで、腐敗の最大の理由となる脂肪を減らし、また筋肉も内臓なども可能な限り小さくします。

腐敗の原因となる体そのものを小さくすることで、腐る肉体そのものを減らすと同時に、乾燥しやすくしていくのです。

即身仏用の減量方法:木食修行(木喰行)

木の実や草や根っこなどを食べることが木食修行になります。

食物繊維が多すぎるため人間の胃腸はそういったものを完全には消化することはできません。

その結果として木食修行を続けることで体重が減少していきます。

即身仏の減量方法:五穀断ち/十穀断ち

木食修行と同時に行われるのが穀断ちです。

主要な穀物のことを五穀十穀といい(米や麦や豆など)、それらを食べなくなることで減量の効果を加速させます。

糖質不全の状態になりますが、人の体は糖質が足りなくなると筋肉は積極的に分解されていくため筋肉が体からどんどん落ちるのです。

即身仏の減量方法:漆を飲む

即身仏になる過程で漆を飲む修行も(出典:wikipedia)

即身仏の前段階として体重を落としたあげくに漆(うるし)を飲む修行を行います。

漆は腐敗を防ぐ効果があるとされていたため、それを飲むことで腐敗を防ごうと考えていたのです。

しかし、現実には嘔吐や下痢として排出されるため、内臓を防腐する効果はありません。

嘔吐や下痢をした結果として、より体重を減らすことが可能であり、また死期を早めもしたのです。

なおミイラ化する作業時に漆を体表に塗り込むことで防腐処理としても漆を使っています。

即身仏となるために土中に埋められる:土中入定

筋肉と脂肪を削ぎ落したやせ細り、内臓まで小さくした状態になるまで弱ると、いよいよ僧侶を土に埋めることになります。これを土中入定(どちゅうにゅうじょう)と呼びます。

僧侶は地面を掘って作った穴に閉じ込められたり、あるいは木の箱に入った状態で埋められ、そのまま念仏を唱え続ける最後の修行に入るのです。

修行の最後は「死ぬまで」になります。

念仏を唱えつつ、死の直前になったときは鈴を鳴らすことで地上で見守っている同僚の僧侶たちに「悟った」ことを伝えたのです。

入定(にゅうじょう)とは「悟りを開く」、あるいは「瞑想に入る」ことを示します。

土中入定とは「土に埋められた僧侶が悟り、仏となって永遠の瞑想に入った」状態を指すのです。

仏となった僧侶が世の中のために祈りつづけることで、世の中が改善されるという効果を期待しての「自主的な生贄」になります。

死後1000日、あるいは十年後に掘り返された死体はミイラ化していることがあり、そのミイラに防腐処理や展示するために骨格の固定などを施すことで即身仏は完成するのです。

即身仏の失敗

即身仏になるためには上記のように致死性の減量をつづけたあげく、実際に餓死することで完成です。

生物には「死にたくない」という本能があるため、それを克服することは困難な行いになります。

そのため即身仏の修行の最中に多くの僧侶が、その苦しすぎる修行にギブアップしたのです。

また実際に生き埋めとなり餓死したとしても、日本では湿度や温度の影響からその死体がどうしても腐敗しやすくなります。

減量の状態はある程度は重要ですが、どちらかと言えば環境に大きく作用されるため、寒い土地でなければ成功率は大きく下がったのです。

ミイラにならず腐敗してしまった場合は残念ながら即身仏としては失敗であり、焼かれて火葬されることになります。

海外の即身仏

生きているようにも見えるモンゴルで見つかった即身仏

密教の即身仏

即身仏は密教がインドから伝えた修行法であるため、インド密教、チベット仏教、中国仏教にも即身仏があります。

インド密教は失われて久しい宗教ですが、餓死する修行そのものは一部の宗教でインドに未だに受け継がれているのです。

もちろん法律では禁止されていますが、法律に反して実行する修行者が今なおいます。

チベットでは高原であり乾燥し気温も低いことから、理想的なミイラを作ることが容易であったため即身仏の数も相当数あったのです。

チベットでは土に入ってのミイラ化の他にも、洞窟に入ったまま密教僧が瞑想しながら餓死することでもミイラ化する死体が作られました。

チベット仏教がかつて活発であったモンゴルのウランバートルでも、2015年に200年前の即身仏が発見されているのです(上図参照のこと)。

中国の即身仏は今でも作られている

金箔が塗られた中国の即身仏

中国密教でも即身仏は多く作られています。

即身仏となったあとは200年ほど飾られて、そののち体の表面を金でコーティングして仏像として変えることもあるのです。

1100年前の即身仏が仏像として作り変えられたものが2015年に発見されています。

また現在でも即身仏の修行は中国の仏教界では行われており、古代の故事にならい即身仏となったあとで金箔を塗られて仏像として祀られた高僧もいるのです。

まとめ

  • 即身仏は仏教僧のミイラ
  • 即身仏になる理由は世の中を仏教的に救いたいから
  • 即身仏は仏教における最大の修行
  • 即身成仏は密教の見解では「生きて瞑想を続けている状態」
  • 即身仏は寒い地方でないと作りにくい
  • 即身仏になるためには極度の体重制限のあげくの餓死が必須
  • 即身仏は海外の密教にも存在する

即身仏となり永遠に世の中のために祈り続けることは、仏教僧の美学としては正しいものでした。

科学がなかった時代においては宗教の儀式は大災害や苦しみに対する唯一の解決策だったのです。

現在でもインドから東アジアの寒冷地の地中には、多くの即身仏が埋められたまま祈り続けています。

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