宗教にはそれぞれのルールがあることで、差別化を果たしています。
僧侶などの聖職者をそれ以外の信者、あるいは他の宗教の信者と区別するために多用される方法は、「特別な見た目」を用意することです。
僧侶だけが着れる服装や、携帯を許可されるシンボルなどがあります。
そしてかつてのキリスト教にはトンスラと呼ばれる髪型があったのです。
今回はキリスト教の宗教的な剃髪(ていはつ)、トンスラについてご紹介していきます。
目次
トンスラをする理由
トンスラとはどんなものか?
キリスト教の僧侶たちの頭頂部の髪を剃ることがトンスラです。
日本人に最もイメージしやすいものはフランシスコ・ザビエルの肖像画(上図参照)になります。
教科書などで見たことがあると思いますが、ザビエルの肖像画におけるヘアースタイルこそがトンスラなのです。
トンスラの語源
トンスラの語源はラテン語であり、その意味は「髪を剃る」もしくは「髪を刈り整える」になります。
つまりは、宗教上の理由で剃髪するという行為そのものを示した言葉です。
日本においてトンスラとはキリスト教の僧侶の剃髪を示す言葉として用いられていますが、国際的には他宗教の僧侶の剃髪もトンスラと呼ばれています。
つまり、日本ではより一般的な仏教僧侶の頭髪を剃る行為もトンスラと分類することは可能です。
トンスラをする理由
それでは、どうして僧侶たちはトンスラをしているのでしょうか?
どの宗教においても、僧侶を一般社会から遠ざけるという理由で髪が剃られています。
一般人とは異なる髪型をすることにより、僧侶であることを示しているわけです。
職業としての僧侶を示すための方法、あるいは世俗という一般社会から自分たちを隔離するという意志の表明として、トンスラは使われています。
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キリスト教におけるトンスラの歴史
トンスラの起源にはいくつかの説がある
トンスラはローマ帝国が衰退していった中世初期にキリスト教の僧侶たちのヘアースタイルとして採用され始めました。
7~8世紀には三種類のトンスラの方法と理由が広まっていたのです。
- ローマ・カトリック的なトンスラ。
- 東方教会的なトンスラ。
- ケルト文化の影響を受けたトンスラ。
これらの三つがキリスト教のトンスラとして存在したのです。
ローマ・カトリック的なトンスラ
日本で有名なキリスト教のイメージは、ローマ・カトリックになります。
フランシスコ・ザビエルもカトリックの司祭なのです。
ローマ・カトリックのトンスラの起源は、イエス・キリストの直弟子であり、象徴的な意味での「最初のローマ法王」とも扱われる、使徒ペテロの髪型に由来するという伝統を持っています。
方法は頭頂部を剃るという、ザビエル式のトンスラです。
また、このトンスラの髪型には十字架にかけられてイエス・キリストが処刑されたときに、頭にかぶせられていた茨の冠を象徴するともされています。
剃り残した髪の部分が、茨の冠を表現しているのです。
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東方教会的なトンスラ
ローマ・カトリックはヨーロッパの西側に普及していましたが、ヨーロッパの東から小アジア地方などには東方教会(とうほうきょうかい)と呼ばれる宗派が普及します。
これらの東方教会では、東方へのキリスト教布教活動に貢献した使徒パウロの髪型がトンスラとして伝わったとされました。
パウロにならい頭髪の全部を剃るなどといったトンスラも初期にはありましたが、頭頂の髪を十字架などをイメージして剃るなどバリエーションに変化を生みます。
なお、東方教会の主流派閥である正教会などではトンスラはなく、髪を伸ばすこともあるのです。
ケルト文化のトンスラ
イギリスやアイルランドなどにはケルト人グループが住んでいたため、彼らの剃髪の文化がキリスト教にも取り込まれていました。
ローマ・カトリックの文化圏には不評でしたが、ケルト文化を継承した地域のキリスト教僧侶のあいだで9世紀になるまで行われています。
方式は耳と耳のあいだに引いた線から、その前半部分の髪を剃り落とすというトンスラ(上図参照)であったと考えられているのです。
1000年以上前に失われた文化であるため、正式な方法や資料などの多くは伝わっていません。
トンスラの終焉?
ローマ・カトリックではトンスラが普及していき、宗派によっては僧侶の義務としてトンスラが行われるようになりました。
宗派によりますが、ペナルティ付きの義務であり、トンスラをすることはローマ・カトリックの僧侶の証のようになっていきます。
聖職者になるための儀式の一環として、伝統的な価値を保つようになったのです。
しかし、1972年にローマ法王パウロ6世の手により、この伝統的なトンスラの義務は破棄されます。
その理由の一つにはプロテスタントの力の強いアメリカや、反カトリックのテロリストが猛威を振るっていたイギリスやアイルランドで、カトリック僧侶を守るためでした。
カトリック僧侶の伝統的なヘアースタイルは、排他的な暴力にさらされるリスクがあったのです。
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現代のトンスラ
カトリック僧侶の義務としては破棄されたトンスラですが、カトリックの宗派のなかには実践を続けている派閥もあります。
そういった派閥では今なお、かつてのトンスラが実践されているのです。
ローマ法王をトップに据えたカトリックを統括する組織であるバチカンも、それらの宗派や派閥の伝統は認めています。
なお、東方教会側にも伝統として実践する宗派や派閥がいるものの、キリスト教全体としてはトンスラを行う機会が減少していることには変わりはありません。
古代のトンスラ?
トンスラはいつ始まったのかの正確な推定はされていません。
最初期のキリスト教徒や僧侶たちが行っていたのかは分かっていないのです。
2000年近く昔のキリスト教の資料は、あまりにも古いことと迫害を受けていたこともあり、多く残っているとは言えません。
中世の始まりと共に、トンスラという文化は強く意識されるようになっていたことは確かなのです。
じつは中世のヨーロッパでは一般人の男性が長髪にしていました。
彼らとの区別化として、トンスラをすることにより、自分が聖職者であることを分かりやすく示すようになったのです。
トンスラをしていた僧侶たち
中世から近代までのキリスト教僧侶たち
キリスト教の僧侶になるための儀式として採用されていたこともあり、歴史的に有名なキリスト教の僧侶たちの多くがトンスラをしていました。
まずはイエス・キリストの直弟子たちである使徒がトンスラの実践者です。
彼らの髪型を後生の僧侶たちが真似ていきます。
もちろん、それらには上記の通り多くのバリエーションがありました。
反カトリックのルターもしていた
トンスラは反カトリック勢力である、初期のプロテスタントのリーダーたちも行っています。
マルチン・ルターの髪型もトンスラです。
カトリックのイメージが強い頭頂部を剃るタイプのトンスラですが、カトリックとプロテスタントを含む西ヨーロッパのキリスト教の特徴になります。
カトリックの文化や考え方、価値観に対して排他的で攻撃的であったルターたちプロテスタントの設立者たちも、トンスラを即座に否定することはありませんでした。
宗派対立を超えるほどには、トンスラは僧侶や聖職者がすべき髪型であるという一般的な認識だったのです。
フランシスコ・ザビエルはトンスラをしていなかった!?
絵画としてのフランシスコ・ザビエルは典型的なカトリックのトンスラをしています。
そして、ザビエルが所属しているイエズス会もカトリックの一宗派になるものの、じつはイエズス会そのものにはトンスラの伝統がありません。
フランシスコ・ザビエルを描くときはカトリックの僧侶として描くため、トンスラをしているように描いていた可能性があります。
日本でよく知られているフランシスコ・ザビエルの絵は、ザビエル死後の80年後に日本人によって書かれたものです。
真偽を確かめる方法はありませんが、ザビエルはトンスラをしていなかった可能性があります。
まとめ
- トンスラは僧侶の剃髪のことで、語源はラテン語の「髪を剃る」
- トンスラが盛んになったのは中世ヨーロッパで、僧侶の条件だった
- 東方教会、カトリック、ケルト系の初期トンスラがあった
- トンスラをする理由は一般人との区別
- トンスラは茨の冠の象徴?
- ローマ法王により僧侶の義務から外され、20世紀後半からトンスラは廃れた
- 伝統を守り行っている宗派はカトリックや東方教会系のどちらにもある
宗教において差別化は信者の獲得や、組織の正当性を主張するための理論武装としても使われます。
東西に分かれたキリスト教のトンスラも、それぞれ重視する使徒や伝統に違いがあり、それを反映するかのようにトンスラの形も違ったのです。
トンスラから見ても宗教の宗派や派閥の違いの細かさが分かります。
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