ローマ皇帝には多くの個性的な人物が就任しています。
神君とも称えられた偉大な人物もいれば、暴君として有名な人物もいます。
今回ご紹介していくクラウディウスは知名度の高いローマ皇帝とは言えず、歴史的な評価もそれほど高くはない人物です。
ローマ帝国の第四代皇帝クラウディウスとは、果たしてどんな人物だったのかを解説していきます。
クラウディウスは醜い嫌われ者
クラウディウスはローマの超名門の子として生まれる
クラウディウスの親族の面々は、じつに華々しいものになります。
大叔父(祖父の弟)は初代ローマ皇帝アウグストゥス、祖父はそのアウグストゥスの強力なライバルであったアントニウス(クレオパトラと組みローマと戦った政治家)です。
伯父は第二代皇帝ティベリウス、甥っ子は第三代皇帝カリグラになります。
さらに父親と兄ゲルマニクスはゲルマン人との戦いで功績を上げた有能な軍人であり、この二人はローマ市民から英雄として讃えられる人気者でした。
偉大な兄ゲルマニクスは初代皇帝アウグストゥスから三代目のローマ皇帝になって欲しいとまで期待されていた有能な人物でしたが、戦場で帰らぬ人となってしまいます。
クラウディウスは有力な政治家と軍人を数多く輩出した名門一族の子として生まれました。
しかし彼は極端に病弱な体質を持って生まれていたのです。
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クラウディウスは障がいを持っていた?
戦場の英雄でもあった父親や兄と異なり、クラウディウスはかなり病弱な人物です。
クラウディウスの外見は非常に悪く伝わっています。
彼には軽度の難聴と言葉がどもる癖があり、貧弱な体つきをしていて片脚を引きずって歩いてもいました。
また唇のはしがゆるんで垂れ下がり、そこから唾液があふれていたなどとも伝わります。
母親からは「人間の形をした怪物」、妹からは「絶対にローマ皇帝になって欲しくない」と神々に祈られるほどに毛嫌いされているほど醜い容姿であったのです。
母親からは祖母に何年も預けられることになります。
伯父である第二代皇帝ティベリウスからは政治に携わる道を奪われてしまい、地位があまり高くない役職(貴族と平民のあいだ)であることを強いられ、政治への興味を失っていくことになります。
兄であるゲルマニクスと祖母だけはクラウディウスを迫害することはなく、クラウディウスは兄を尊敬していました。
しかし兄の子であり第三代ローマ皇帝であったカリグラからは、その身体的な症状をからかわれるなど嫌われていたのです。
古代ローマにおいてクラウディウスの外見的な評価は最悪なものであり、皇帝一族からすればその醜さは恥として扱われていたのです。
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クラウディウスの障がいの原因
クラウディウスの症状から推測されている原因には、大きく分けて三つの説があります。
ポリオウイルスによる「小児麻痺」と、「トゥレット症候群」(小児期に症状の強い病気。クラウディウスが成長と共に症状が和らいだ、感情の高まりで症状が悪化したという記述が残されているため)、そしてポリオ以外の原因による「脳性麻痺」です。
クラウディウスの症状には身体的な変形がなく、その症状からは脳性麻痺が最有力とされています。
脳性麻痺の原因にはさまざまなものがありますが、妊娠中の風疹ウイルスへの罹患などや出産時の酸欠などによる脳へのダメージが原因となりえます。
またクラウディウス本人が皇帝になった後に語ったところによれば、かつての自分は権力闘争から身を守るために、そういった症状を演じていたとも発言しているのです。
暗殺が続発する古代ローマにおいては病人を演じることで、政治的なライバルとして認定されないようにするという方法があったとしも、おかしくはないかもしれません。
クラウディウスは歴史を研究していた
クラウディウスの症状は幼い頃こそ深刻なものであったようですが、十代になると症状が和らいでいったとされます。
青年期のクラウディウスは大叔父である初代皇帝アウグストゥスの前で演説を披露する機会に恵まれましたが、そのときの演説は雄弁なものであり、アウグストゥスからは好評だったのです。
しかし第二代皇帝ティベリウスは、クラウディウスの政治への関与を徹底的に拒みます。
政治の道を断たれたクラウディウスでしたが、学問への才能を活かす道を選びます。
歴史学の指導者としてアウグストゥスと親交もあった歴史家リヴィ―から、クラウディウスは指導を受けることになったのです。
やがてクラウディウスは歴史の著作を数多く執筆するほどの研究者となります。
ローマ以前のイタリアを支配していたエルトリアの歴史や、現代では失われているエルトリア語の辞書、サイコロ賭博の本、帝政ローマであった当時は忌避されていた共和制ローマ時代の本などまで幅広い執筆を行っています。
また「クラウディウス文字」と呼ばれる新しいアルファベットを提案してもいるのです。
親族の評価の低いクラウディウスでしたが、かなりのインテリであったのです。
第四代ローマ皇帝クラウディウス
クラウスディウスは市民からは愛されていた
政治の道から排除され歴史の研究者として過ごしていたクラウディウスでしたが、社会的な評判はそれなりに高いものになります。
親族であるローマの皇族たちからは嫌われていましたが、軍事的な英雄である父と兄を持つ彼はローマ市民から好かれる要素を多く持っていたのです。
アウグストゥスから評価されるほどの賢さもあり、そもそもアウグストゥスのライバルでもあったアントニウスの孫でもあります。
初期の帝政ローマの英雄や大物の血を引くクラウディウスは、ローマの市民からの支持と尊敬を集めても当然の存在だったのです。
騎士たちはクラウディウスを自分たちの代表に選ぼうとし、市民たちは上院でのクラウディウスが発言する権利を求めています。
クラウディウスの家が火事になったときには、公費による再建を市民が第二代皇帝ティベリウスに訴えたのです。
ティベリウスはそれらを却下し、クラウディウスの政治への関与を拒みつづけましたが、それらのエピソードはクラウディウスに市民からの大きな人気があったことを示すものになります。
第三代皇帝カリグラが暗殺される
ティベリウスの死後、帝位はカリグラに継承されます。
暴君として有名なカリグラは叔父のことを軽蔑して嫌ってはいましたが、クラウディウスが持つ「人気」を利用することにしたのです。
カリグラ自身も英雄ゲルマニクスの息子であり、クラウディウスはゲルマニクスの弟になります。
カリグラは自身が帝位を継いだ根拠に、父親である英雄ゲルマニクスの人気を利用しているため、クラウディウスを「共同執政官」という高い役職に就けたのです。
しかし、カリグラは歴史に名を残すほどの暴君であっため、近衛兵に裏切られて暗殺されてしまいます。
皇帝の空位を狙って元老院がかつての共和制を復活させようと動く中、カリグラを暗殺した近衛兵はクラウディウスを新たな皇帝に選んだのです。
こうしてクラウディウスは第四代ローマ皇帝として即位することになります。
ちなみに、この時クラウディウスは50歳でした。
親族により政治から追放された歴史研究者は、暴君の共同執政官という道を経て、ローマ皇帝となったのです。
クラウディウスのローマ皇帝としての仕事:ブリタニア遠征
クラウディウスは皇帝になると軍隊の反乱に気を配ることになります。カリグラを暗殺して自分を皇帝に選んだ近衛兵たちの罪を免除しました。
そして彼らの忠誠を得て、自身の安全を確保するために多額の報酬を与えることになります。
皇帝となったクラウディウスは軍事的な功績をあげていきます。
トラキア(ブルガリアとギリシャとトルコをまたぐ地域)、北アフリカ沿岸部、オーストリアなどに領土を拡大させていったのです。
またブリタニア(イギリス)に軍だけでなく自身も遠征しており、そのときにはブリタニアの反乱に対応するローマ兵士に援軍だけでなく象も連れて行きました。
ブリタニア遠征での勝利はクラウディウスに領地の獲得だけでなく、軍事的な功労者としての実績を与えることになります。
クラウディウスの功績
皇帝クラウディウスは歴史家には人気のない人物でしたが、さまざまな功績を残してもいる有能な人物ではあります。
- 領土を拡大させた。
- 穀物不足に対応する商人たちを特権で保護した。
- カリグラが作った食品に対する税の撤廃と、飢饉の被害者への食料の援助。
- 結果的に官僚制を作る:元老院に信頼出来る知人がいなかったため、優秀な解放奴隷を自分の政治的なスタッフとして採用していった結果。権力が皇帝とそれを補佐する完了に集まり、ローマの帝政を洗練させた。
- サーカスの充実:クラウディウスは港に閉じ込めたシャチと観衆の目の前で戦うというショーを行っています。剣闘士の見世物が大好きな人物であり、多くの劇場を改修しています。
クラウディウスの女難
クラウディウスの四度の結婚
皇帝クラウディウスの結婚生活は悲惨なものになります。
- 最初の妻 ウルグラニラ:不倫および妹(ウルグラニラ自身の妹)を殺害したとして離婚。
- 二番目の妻 パエティナ:娘であるクラウディア・アントニアを出産するも政治的な問題の結果として離婚。後に再婚の候補となるため、個人同士の仲は破綻していなかった。
- 三番目の妻 メサリナ:売春宿で一晩で二十数人の客を取るという壮大な浮気をする。上院議員で執政官であるガイウス・シリウスと模擬結婚式を挙げる。シリウスはクラウディウスの暗殺を画策していたともされる。メサリナおよびシリウスは処刑される。
- 四番目の妻 アグリッピナ:自分の姪と結婚することになり、これが命取りになる。
四番目の妻アグリッピナ
初代皇帝アウグストゥスのひ孫であり、アウグストゥスを皇帝になるまで支えた軍事的な英雄アグリッパの孫娘であり、英雄ゲルマニクスの娘であるエリートの血筋に生まれたアグリッピナが、クラウディウスの最後の妻となります。
クラウディウスが自分の姪である彼女と結婚した理由は政治的な理由からです。
妻の不倫相手に暗殺を計画されるほど、クラウディウスの政治的な基盤は弱くもあったのです。
そのため、クラウディウスは最高の血筋をもつアグリッピナと結婚することで、自分の地位をより安定させようと考えていました。
しかし、野心家であるアグリッピナは、クラウディウスの妃の候補だった人物や、クラウディウスの腹心であるナルキッソスを始め、自身の邪魔となる人物は次々に殺害していきます。
アグリッピナは自分の連れ子であるネロを、クラウディウスに養子として認めさせることに成功します。
このネロは歴史に残る暴君として、第五代ローマ皇帝になります。
クラウディウスの死の謎
クラウディウスにはアグリッピナに毒殺されたという説が古来から存在しています。
アグリッピナは毒キノコが入った食事をクラウディウスに食べさせることで暗殺したとも考えられています。
ネロを帝位に就かせるためには、クラウディウスが長生きすることがリスクになるからです。
次の皇帝の候補には、クラウディウスと三番目の妻の子である「ブリタニクス」がいました。
ブリタニクスが成人して、政治力を得てしまえばネロが皇帝になる可能性を脅かすという状況であったからです。
しかし、状況証拠のほかにアグリッピナの犯罪を示す根拠はありません。
クラウディウスの死には彼が誤って有毒キノコであるテングダケを食べただけではないかという説もあれば、たんに老齢からする自然死ではないかという説もあります。
生来病弱でありサーカスや飲酒を好んだ63才の古代人が何の前触れもなく病死することは、それほど不自然なことでもないからです。
クラウディウスの死後
クラウディウスの死後、ネロが帝位を継承することになります。
皇帝になったネロが行ったのはクラウディウスの批判です。
クラウディウスの作った法律を無視して、クラウディウスのための神殿の建設を停止させます。
クラウディウスの悪評を流すことで自分の地位を強めていき、ライバルであった義弟ブリタニクスが成人(ローマの法律で14才)になる前日に暗殺することになるのです。
またクラウディウスが書いていた手紙などは、アグリッピナに処刑される寸前だったナルキッソスによって処分されています。
それはアグリッピナやネロに手紙が悪用されることを防ぐための判断だったのですが、その結果としてクラウディウスがどんな人物であったのかを知るための多くの資料が失われてしまったのです。
まとめ
- クラウディウスは名門に生まれ、一族は皇帝と英雄だらけ
- 病弱で、ポリオ説・脳性麻痺説・トゥレット症候群説がある
- 親族である皇族に疎まれて嫌われていたが、市民からは敬愛されていた
- 歴史を研究して、生涯にわたって数多くの本を書いた
- ブリタニア遠征を成功させ領土を拡大させた
- 結婚に恵まれなかった
- 妻アグリッピナに暗殺された説がある
- クラウディウスの功績や情報はネロとアグリッピナの行為のせいで失われている
第四代ローマ皇帝クラウディウスは、病気や親族からの不当な評価、そして歴史に残るほどのインパクトをもった悪妻と義理の息子などに苦しめられた人物です。
かなり不幸な人生であり、その評価も歴史的に高く評価されることはない人物になります。
しかし功績を数えれば、史上最高の名君と呼ぶことは難しかったとしても、十二分に有能な皇帝であったようにも感じられる人物です。
クラウディウスは歴史の評価の上でも不遇な立場にあるのかもしれません。
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