仏教の開祖である釈尊(釈迦、仏陀)は、私たち日本人にも馴染みの深い存在です。
古代インドに生まれた釈尊は、長い修行と思考の果てに独自の考えと、その考えの集大成である仏教を作ることになります。
今回は、そんな釈尊の人生と、彼の教えとは一体どういったものであったのかをご紹介していきます。
釈尊が残した言葉の意味も解説していきます。
目次
釈尊の生涯
釈尊の生誕
紀元前5世紀前後に、釈尊は北インドのルンビニー(現在のネパール)で釈迦族の王子として誕生します。なお、「釈尊」というのは、“釈迦族の聖者”という意味の「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」の略とされています。
王子の誕生に喜ぶ王は、予言者を呼びつけ釈尊の将来を占わせます。
予言者は赤子である釈尊を前にすると、感涙を流し、釈尊を「世界の王」となるかもしれないと予言して、父王を大変に喜ばせることとなったのです。
釈尊は王子として大切に育てられる
父王は跡継ぎでもある釈尊を大切に育てます。
綺麗な服に、豪華な宮殿、美しい踊り子など、与えられるものは全てを与えるのです。
また、国一番の学者と武芸者を、釈尊の教育係に任命しますが、釈尊はあっという間に学問も武術もマスターしてしまいます。
地位、財産、体力、知力、釈尊はあらゆる点で優れた若者だったのです。
釈尊が出家を志す契機となった「四門出遊」
大切に育てられ、しかも父王の要望をはるかに上回る才能を持ってもいた王子・釈尊でしたが、あるとき、世の中の現実を知ることになります。
釈尊が王城の門から郊外へと出かけると、父王から遠ざけられていた苦しみと出会うことになったのです。
東門から出たときには「老人」と出会い、南門から出るときには「病人」と出会い、西門から出たときには「死者」と出会ったのです。
釈尊は老いること、病を患うこと、そして死ぬことが怖くなります。
美しい踊り子も、立派な宮殿も、富も名誉も、やがて朽ち果てて滅び去ることに気がついたのです。
そして、それらの滅びからは、いかに能力が優れた者であろうとも、王子という高い身分にある者であろうとも、どうしても逃れることは出来ないものだと知ります。
生きることの苦しさを知った釈尊は、最後に北門から出かけたときに出家した「修行者」に出会います。
その修行者が常に落ち着き払った態度でいることに感動を覚え、自身も出家することを望むようになったのです。
釈尊が出家して悟りを開く
29才になった釈尊は、妻子を捨てて愛馬と共に王城を抜け出します。
出家して修行者となった釈尊は、生、老、病、死の苦しみから逃れようと、修行に明け暮れたのです。
断食などの体を痛めつけるような苦行も数多くおこない、肉体的にも精神的にも過酷な修行の日々が6年過ぎた頃、釈尊は「悟り」という境地に達します。
悟りとは、人生にある苦しみの全てから解放される方法についてを理解することです。
釈尊は己が得た悟りについて、修行者たちに説いてまわり始めます。
かつては釈尊を否定した修行者たちとさえも和解し、説法により説き伏せることで、釈尊は彼らを弟子にしてしまったのです。
こうして、釈尊の布教活動は始まり、「仏教」はスタートすることになります。
釈尊の布教活動
釈尊は聖なるガンジス川を辿るように旅を続けて、インド各地で布教活動を行います。
他教の信者や僧侶までもを仏教へと帰依させてしまう知恵とカリスマが、釈尊には存在していたのです。
やがては、さまざまな国の王族や貴族までもが仏教徒となり始め、その活動を支援してくれるようになります。
釈尊の仏教は、大きな力を持つようになっていきます。
しかし、教団があまりにも巨大化していくにつれて、指導者の座を巡る内紛などのトラブルも起きることもあったのです。
教団はさまざまな戒律を作り出すことで、組織としてのアイデンティティーを保つようにもなります。
釈尊の死
多くの弟子を得つつ、悟りの道を説いて回った釈尊でしたが、80才のときに亡くなります。
釈尊の遺灰は信者でもあった多くの王族や権力者などが所有権を主張し合い、その争いをおさめるために、それぞれに分配されることになったのです。
こうして、あちこちに無数の塔が、釈尊の墓として建てられることになります。
釈尊の死後、教団は弟子たちに受け継がれ、さらに布教しやすいような形に仕上げられていき、後の世に釈尊の教えが、仏教として伝えられていくことになります。
釈尊の残した言葉
釈尊は多くの言葉を残した
悟りを開いた釈尊は、その境地がどういったものかを伝えて回りましたが、古代のインド人たちは議論を好みます。
釈尊に対しても多くの質問が投げかけられて、議論が展開していくことになるのです。
釈尊は多くの人々からの質問に答えたり、自らの考えを言葉で伝えたりすることで、仏教の概念を広めることになります。
釈尊は自身の言葉を文字にして残すことはしませんでしたが、弟子たちは釈尊の言葉を覚えていたのです。
釈尊の死後、弟子たちはその言葉を文字として書き記します。
釈尊の言葉を「お経」として残すことになり、それが現代まで仏教の聖典として伝わっているのです。
釈尊の言葉にはどんなものがあるのか
釈尊の言葉を伝える聖典であるお経には、釈尊の残した膨大な言葉が記述されています。
釈尊の残した言葉を、幾つかご紹介します。
「生老病死」
生まれたことの苦しみ(古代インドの価値観では、生きていることは苦しみです)、病む苦しみ、老いる苦しみ、死ぬ苦しみのことです。
人生で逃れることが出来ない苦しみのことであり、仏教はこの苦しみから逃れるための術を模索した宗教になります。
「諸行無常」
森羅万象あらゆることは全て絶えず変化し、不変なものはないことを示す言葉です。
全てのものに対して、深い執着に囚われたところで、永遠にそれらを所有することなど出来はしないため、過度な執着をするなという教えになります。
「一切皆苦」
この世の出来事は、全て思い通りにはならないのだという教えとなります。
苦しみの多い人生は、いつでも苦悩と遭遇することになるものなのです。
「四苦八苦」
生老病死の「四苦」に加えて、他にも四つの苦しみがあります。
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく):心および体の制御など完璧には出来ない苦しみ
- 愛別離苦(あいべつりく):どんなに愛する人とも死別する時が来る
- 怨憎会苦(おんぞうえく):人は恨みや憎しみを抱かずにはいられない
- 求不得苦(ぐふとっく/ぐふとくく):お金や名誉を求めても得られぬこともある
生老病死の四苦に、これらの四つの苦しみを加えて、「八苦」となります。
「諸法無我」
世界の全ての事象には因果関係が存在しており、全ては影響し合うことで成り立っています。
単独で生きることなど出来るはずもなく、外部の環境や人間関係により、ようやく自分という存在が確立していることを示しています。
その意味では、自分という存在は無に等しく、全ては因果関係の果てに表現されているものに過ぎない、という意味です。
「涅槃静寂(ねはんじゃくじょう)」
あらゆる「煩悩(欲望や執着心)」を捨て去ることで、人はあらゆる苦しみから解き放たれ、安らかな心を持つことが出来ると説いた言葉です。
この涅槃という穏やかな状態を目指し、仏教の道は存在しています。
釈尊の教え
釈尊の教えは世界と人間の本質を理解させること
釈尊の教えは、世の中にある全ての苦しみから解放される術を述べたものです。
そのために、どんな苦しみがあるのかを釈尊は具体的に説いています。
つまり、世界の本質を語った「諸行無常」であり、人間の苦しみを語った「四苦八苦」です。
世界の全ては儚いものであり、人は必ず苦しむものであることを、信者に正しく認識させます。
そして、それらの苦しみから逃れる方法も釈尊は教えてくれています。
あらゆる苦しみの原因は「煩悩」であり、煩悩を捨て去ることが苦しみから解放される道となるわけです。
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釈尊の教えではバランスも大切
一方、釈尊は「中道」というバランスの道を説いてもいます。
何事も過剰に行うことや偏った考え方などは決して最善などではなく、バランスの取れた判断こそが最も良いのだ、という考え方です。
過度な快楽主義も、禁欲主義の果ての過酷な苦行なども、どちらも間違っているのだと釈尊は語っています。
釈尊の教えには縁という考え方もある
永遠も絶対もない世界においても、人が存在したり世の中がある理由は、それぞれがつながりを持つことで構築されているからだ、という概念があります。
「諸法無我」という言葉であり、単独では無にも等しい存在たちが、何かしらのつながり、つまり「縁」を持つことで、あらゆるものが存在することが可能となっていると説いたわけです。
釈尊の教えは概念の提示
釈尊の教えは、宇宙論や世界観を説いているようなものです。
キリスト教などに比べると、何々をすれば必ず報われるとも説いてはいないのです。
世界や人とは、こういう存在なのだから、こうすれば救いの道に近づけるのだと、教えてくれるものになります。
まとめ
- 釈尊は才能豊かな王子であった
- 釈尊は四門出遊により、生老病死を知る
- 釈尊は人生の苦しみから逃れるために出家する
- 釈尊は悟りを開いて布教活動を始める
- 釈尊は多くの言葉を残したが、お経を書いたのは弟子たちである
- 釈尊の教えは人間や世界の本質を語るものである
釈尊の始めた仏教は、苦しみを克服するための道として存続していきます。
さまざまな宗派が2500年のあいだに生まれることになりますが、どの宗派であれ、苦しみから救われる道を模索することでは一緒です。
今回の記事で、釈尊に興味を持たれた方は、ご紹介しきれなかった釈尊の言葉を調べてみることもオススメです。
仏教は人間の本質的な苦しみについて考えた宗教なので、その開祖の言葉は現代人の苦しみにも有効な処方箋となってくれています。
[…] インドラはヒンドゥー教の三人の最高神の一人である「ブラフマー/梵天」と共に、釈迦の誕生を見守り、釈迦が悟りを開く前の段階からずっと守護してきたのです。 […]