古代インドで生まれた仏教は、長い時間が経過していくにつれて、多くの宗派へと枝分かれしていきます。
密教もそんな枝分かれして誕生した宗派の一つになるのです。
日本にも密教は伝わっていますが、具体的にはどんな仏教なのかは分かりにくさが伴います。
今回は、そんな密教について、他の仏教との違いなどを中心に解説していきます。
密教の成り立ち
密教はインドで生まれる
釈迦(釈尊、仏陀)が始めた仏教ですが、インドで仏教が広まっていき、時が経つにつれて宗派対立が起こるようになります。
釈迦の遺した考え方は広く、どういった形の信仰が正しいのかという問答の果てに、大きく二つの仏教に分かれることになったのです。
一つは釈迦の行っていたオリジナルの仏教に近いとされる、上座部仏教(小乗仏教)であり、もう一つは民衆の救済に力を入れた大乗仏教というものになります。
現在のカテゴリーでは、密教は大乗仏教に属しており、とくに大乗仏教の宗派でその影響が強く及んでいます。
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初期のインド密教は呪術を行う
密教は呪術を行います。
もちろん、呪術といっても誰かを呪い不幸を招くという意味だけではなく、一定のルールに従った行動や呪文を唱えることにより、「神仏の加護を受ける」という意味も含めた呪術です。
蛇避けの呪術、歯の痛みを治す呪術、毒を消す呪術などがあります。
初期の密教は、こうした呪術的な要素を取り入れることで、民衆・信者への分かりやすいメリットとして布教に用いていたのです。
呪術を使うようになっていった理由には、古代インドにおいて仏教のライバルでもあったバラモン教のマントラが関わっているともされています。
マントラというのは、聖典に載ってある神々へ捧げる歌や、儀式の方法などをシンボル化した紋章のことです。
紋章はお守りとして使いやすいため人気があります。
そのため、初期の密教もそういった人気に促されるようにして、神仏の加護を受けるための呪文=お守りを発展させていったのです。
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インド密教が体系化される
ヒンドゥー教がインドで勢力を増していくと、それまでに作られていた呪術なども取り入れる形で、密教の再編集が行われていきます。
密教の大きな特徴の一つに、釈迦を最高位の崇拝対象としているのではなく、大日如来と呼ばれる存在を最大の崇拝対象にしていることがあるのです。
大乗仏教でありながら、釈迦の言葉を伝えるというスタイルを選ばず、教義の語り手と崇拝の対象に大日如来という存在を選ぶことになります。
密教では多くの神仏を信仰の対象と組み込んでいき、それぞれの神仏の持つ能力や加護や役割をまとめていったものが描かれたものが「曼荼羅(まんだら)」です。
密教における曼荼羅
古代のインドでは、神仏を召喚して秘術を行うという発想があります。
そのときには、色のついた砂などを用いて、円形または方形の魔方陣を描くことがあったのです。
曼荼羅(まんだら)はその一つであり、密教では世界観を示すためにも使われています。
描かれた神仏は、それぞれの役割を象徴する武器や道具が持たされており、中央にはその曼荼羅においての主要の概念を司る神仏を配置することになるのです。
そして、その主要の神仏に付属・協調、あるいは役割を示唆するような神仏たちを周囲に配置することによって、役割や関係性を示しているものです。
わかりやすく理解するためには、曼荼羅というのは、密教の世界観を紹介するための説明図といったようなものです。
インド密教は宗教対立により完成していく
密教は曼荼羅などによりシステム的に整備されたのですが、難解さが増してしまうという弱点を持っていたのです。
民衆に受け入れがたさが出てしまい、大衆性の高いヒンドゥー教に圧迫されていきます。
そのため密教は、ヒンドゥー教の最高神であるシヴァ神などを仏門に屈服・帰依させる構図などを選ぶことも始めたのです。
また、ヒンドゥー教の女神信仰であるシャークタ派などからも影響を受けることになり、女性との性行為を含むヨーガなどの修行法を取り入れることにもなります。
一般的な仏教のイメージよりは、呪術的・魔術的な宗教としてインド密教は完成したのです。
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密教が大乗仏教と共に東へと伝来
チベットや中国を経て日本に伝来
性的な倫理観に抵触するような後期のインド密教は、儒教の影響も大きかった唐では受け入れられることはなかったのです。
チベットには伝わりましたが、唐では中期までの密教が伝わり、日本にはその密教が伝えられることになります。
密教を日本に伝えたのは、日本の天台宗の開祖である最澄と、弘法大師こと空海になります。
密教が日本に伝わる
日本の密教は、最澄の作った天台宗により完成した台密と、空海の真言宗が伝えている東密の二大宗派があります。
また、日本の密教は、日本における山岳信仰などと結びついていき、修験道などを生むことにもなったのです。
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密教と顕教の違い
密教に対する顕教という言葉の意味
顕教(けんきょう/けんぎょう)という言葉を使い出したのは、真言宗の開祖である空海です。
空海いわく、顕教とは「衆生を教化するために姿を現した釈迦如来が、秘密にすることなく説き現した教え」になります。
また空海は自分たちが所属している密教を「真理そのものの姿で容易に現れない大日如来が説いた教えで、その奥深い教えであるが故に容易に明らかに出来ない秘密の教え」と表現しているのです。
空海は密教の優位性を語るために、他の仏教をけなすような意味で使っています。
つまりは、「密教以外の仏教」が顕教になります。
密教と顕教の相違点
密教では師匠から直接的に教えを施してもらわなければ、その奥義は理解することが出来ないとされています。
これはお経を唱えておけば救われるというような、広く一般的な民衆が救われる他の大乗仏教とは大きな性格の違いです。
師匠から弟子に伝わってこそ、密教となります。
密教の奥義は口伝により、経典に書かれていない秘密を伝えられるとされているのです。
この秘密主義的なところから、秘密の仏教=密教となります。
密教は他宗派よりもヒンドゥー教的かつ呪術的
成立の過程にヒンドゥー教を吸収してもいる密教は、呪術的な側面を多く持っています。
具体的に言えば、加持祈祷(かじきとう)などを行うことにより、祝福や守護、恨みのある敵を呪うなどの、現世利益を与えるということになるのです。
密教は修行によって法力を得る
密教は過酷な修行の果てに、法力を身につけるとされています。
この法力を民衆の救済に使うというのが、密教のテーマになるのです。
密教は即身成仏が可能とされる
他の仏教では死後に成仏、つまり仏になれると説かれています。
しかし、密教では即身成仏(そくしんじょうぶつ)、
つまり、修行の結果生きている間に仏になれるとされているのです。
そして成仏した僧侶は、大日如来と一体化した存在でもあるといわれています。
他の宗派では理論的にありえない、とされているため、これは密教独自の特徴です。
密教の修行
密教の修行:三密(さんみつ)
密教には、身密、口密、意密からなる「三密(さんみつ)」という修行法があります。
身密(しんみつ)とは、両手の10本の指を使って、「印」と呼ばれるものを作りながら、座禅を組むという修行です。
口密(くみつ)とは真言という呪文を唱えることになります。
意密(いみつ)は大日如来のことを心に浮かべるという修行です。
これらを行うことで、修行者は大日如来と一体化することが可能で、即身成仏することも出来るのだとされています。
密教の修行:護摩(ごま)
護摩(ごま)とは、炎を焚きながら人々の幸福を祈願する修行です。
密教においては、火は大日如来の叡智であるとされています。古くはインドのバラモン教や、イラン発祥のゾロアスター教に起源を持つとも言われています。
火=大日如来=自分であると念じながら祈祷することで、火が煩悩を焼き払ってくれるとされているのです。
密教では、如来と一体化するというのが、テーマの一つになります。
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密教の修行:火渡り
文字通り火の上を歩いて渡っていくことになるハードな修行です。
火は神聖なものであるため、我慢して火の上を歩くことで心身ともに清められることになります。
日本密教の曼荼羅の種類を解説
胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)
曼荼羅は密教の世界観を表現したものになります。
その曼荼羅の中心には密教の頂点である大日如来が配置され、その周りを囲むように無数の神仏が配置されているのです。
悟りの世界を表した胎蔵界曼荼羅は、赤い蓮の花が描かれ、その中心に大日如来がいます。
それは、大日如来こそが世界の中心なのであり、あらゆるものは大日如来から生まれているということを示すものになるのです。
あらゆるものの中には、あらゆる神仏も含まれています。
さまざまなご利益を与える神仏がいたとしても、それらの根源は、大日如来であることを示しているものです。
また、赤い蓮の花は人の心臓=心を象徴しており、あらゆる人の心には神仏がいる、すなわち性善説を唱えています。
そして、人の心には神仏=大日如来がいるのだから、密教を修行することで、法力が得られ、大日如来と一つになれるのだということも示しているのです。
また胎蔵界曼荼羅は、慈悲を表し、密教が持つ人に対しての肯定的な世界観を表現しています。
金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)
日本密教独自の曼荼羅であり、密教の教義を示す九つの曼荼羅を一つにしたものです。
金剛とはダイヤモンドあるいは壊れることのない金属のことであり、大日如来の知恵と悟りは金剛のように揺るぎなく強いことを示します。
金剛界曼荼羅は知恵を象徴しており、密教の教義としての考え方を記したものです。
空海の師匠が二つの曼荼羅をまとめた
空海の師である唐密教の高僧である恵果(えか/けいか)は、密教を言葉で説明することは困難であると考え、曼荼羅という絵で伝えようとしたのです。
密教の世界観を示す上記二つの曼荼羅は、そもそも起源さえも異なるものでしたが、恵果はそれらを並べて併記することで、より密教の世界観を伝えやすくしようと試みます。
そして、この二つの曼荼羅は両界曼荼羅として完成し、自分のもとに2年間の修行に来ていた空海に渡すことで、空海により日本に伝えられたのです。
二つの曼荼羅の違い
- 慈悲を示す
- 実践論的
- 大日如来の真理が世の中に及ぼす形を示す
- 知恵を示す
- 理論的
- 大日如来の真理のシステム的な証明
密教はヒンドゥー教の呪術的な側面を持った仏教
ひらたく言えば密教はヒンドゥー教あるいはインドの土着信仰や呪術などを取り入れた、大乗仏教の宗派の一つになります。
イスラム勢力によって滅ぼされたため、今では存在しませんが、インド密教は、セックスなどを、特別な力を得るための秘術としていたり、処女を生け贄にしたりしています。
密教は基本的にセクシャルな雰囲気があり、禁欲的な他の仏教に対して、欲望にはポジティブな構成をしているのも特徴です。
法力という超人的な力を求めたり、現世の利益を追求する姿勢や、釈迦を信仰の中心に置かないスタイルは、他の仏教とは真逆を行きます。
また大日如来という崇拝対象と一体化することが可能としている部分も、他宗派とは大きく異なります。
まとめ
- 密教は大乗仏教の一つ
- 密教は釈迦ではなく大日如来を崇拝
- 密教は呪術的な宗教
- 密教は師匠からの口伝で奥義を伝える
- 密教以外の仏教が顕教
- 密教では修行すると生きたまま成仏する
- 密教では曼荼羅という図で教義を示す
- 密教はヒンドゥー教の影響を受けた仏教
密教はヒンドゥー教の一部やインドの呪術を受け入れることで誕生した仏教です。
インドでは滅びましたが、大乗仏教と共に東へと伝えられ、チベット、中国、日本などに残っています。
さまざまな宗教や文化が残っていることは、興味深いことです。
日本では好きな宗教を選べるため、多くの宗教がある方が選択肢も増えることになります。
信者のニーズに合わせやすくて便利なように感じますし、古代インドからの呪術を継承している宗教があると思うと、その歴史の古さにワクワクすることも可能です。
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