ミトラ教:あらゆる宗教に影響を及ぼした古代の宗教を解説

ミトラ教(ミトラス教)は、古代ローマにおいて行われた密儀宗教の一つになります。

キュベレー崇拝や、ギリシャ世界においては珍しく死後の世界を描写するオルペウス教、東方由来ともされる神ディオニュソス、死と再生の秘術を行ったデメテル崇拝などと並ぶ、密儀宗教の一つがミトラ教です。

秘められた祭祀や儀式を用いていた密儀宗教たちの多くは、今なお謎に包まれている部分も多くあります。

ミトラ教も例に漏れず、多くの謎を持つ宗教になりますが、さまざまな宗教への影響を残している宗教なのです。

今回は、謎多き古代の密儀宗教「ミトラ教」について、ご紹介していきます

古代ローマにおけるミトラ教の誕生

ミトラという神は元々は古代インド・イランに起源

ミトラ教の神であるミトラは、元々は古代のインド・イラン地域に発生した神の一人だと考えられています。

古代インド・イランにおけるミトラは、友愛契約約束の神であったり、太陽神という性格を持っている場合もある、いわば最高神という立場にも近しい神なのです。

自然崇拝的な要素を持つ古代インド・イランの宗教に、大きな影響を与えています。

インド神話を継承する、バラモン教ヒンドゥー教仏教などはもちろん、イランで発生したゾロアスター教においても最も力を持つ神々の一人なのです。

ミトラ教のミトラもまた、この古代の有力神ミトラが起源とされています。

しかし、「ミトラ教」として世に出るのは、インドでもイランでもない土地になるのです。

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ミトラ教は海賊たちの宗教として誕生?

ミトラ教に対する最も古い言及は、『ポンペイウス伝』になります。

帝制ローマのギリシア人著述家プルタルコス(46年~127年頃)により、彼が生まれる100年ほど前である、紀元前60年頃に、今のトルコ南部にいたという海賊たちがミトラ教を崇拝していたと描かれているのです。

この海賊たちはローマの敵国を支援していたため、共和制ローマ時代の軍事的英雄であるポンペイウスによって滅ぼされます。

その後、ミトラ教はルート不明のまま、ローマ帝国内へと伝わっていくことになるのです。

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ミトラ教の開祖と伝来は不明

ミトラを起源としているミトラ教ですが、インド・イランからローマまで伝わっていく過程は不明です。

正確にはどこで誕生したのか、いつ誰が始めたのかも不明ですが、西暦91年頃の叙事詩において、ミトラ教の儀式の描写が描かれているため、その頃にはローマに伝わっていたことになります。

前60年から西暦91年におよぶ150年のあいだは、どうしていたのかは謎なのです。

西暦71年に火山噴火に巻き込まれて滅んだ都市ポンペイからは、ミトラ教関連の遺物は発見されていないため、まだ71年にはイタリアに伝わっていない可能性も示唆されています。

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ミトラ教が古代ローマで流行

ミトラ教が本格的に時代に登場するのは、西暦150年頃からになります。

信者の数は不明ですが、信仰そのものはローマ全土にまたたく間に広まっていったのです。

愚帝としても有名であるローマ皇帝コンモドゥス(在位180~192年)は、ミトラ教の儀式に参加した初めてのローマ皇帝とされており、帝国領の一部までもを寄進したともされています。

コンモドゥスへのご機嫌伺いのために、属州の人々もまたミトラ教に貢ぐことがあったようです。

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ミトラ教の衰退

ミトラ教の遺跡は250年頃から激減

皇帝コンモドゥスに親しまれたミトラ教は、北方からのゲルマン民族の侵入でローマ帝国領が荒れたことに伴い、西暦250年~284年頃には激減します。

ディオクレティアヌス帝(在位284年~305年)は、不敗太陽神ミトラス(ミトラとローマの太陽神を合一した神)のための祭壇を築くものの、それ以後はミトラ教は没落していくのです。

当時のローマにはミトラ教よりもはるかに巨大な宗教が、力を振るおうとしていたからになります。

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ミトラ教はローマのキリスト教の国教化により消滅

ディオクレティアヌス帝の時代が終わると、コンスタンティヌス1世(在位306年~337年)により、勢力を増していたキリスト教を公認し、皇帝もまたキリスト教の洗礼を受けます。

この結果、ミトラ教の神殿などは、キリスト教徒に襲撃されることも多くなり、没落は止まらない状態になったのです。

キリスト教を排して、ローマ古来の神々の復権を目指したユリアヌス帝(在位361~366)の統治では、他のローマの神々と同様にミトラ教の信者も一時的に増えますが、彼の統治が終了すると同時に、また信者の減少が始まり、遅くとも5世紀のうちには消滅したのです。

ミトラ教あるいはミトラが各宗教に遺した影響

ミトラ教はローマにおいては1~4世紀に存続

ミトラ教はローマに長く存続していた宗教というわけではありませんでしたが、ローマを始めとする西方の文化に影響を与えていると考えられています。

太陽神崇拝の性格を持っていたミトラ教は、12月25日を「冬至」の祭りとしていたのです。

冬至は世界中の太陽信仰において、大きな意味を持っています。

太陽の出ている時間が最も短い日=太陽の出ている時間がこの日以後、どんどん長くなっていく日、という理解からです。

太陽の力が「復活」を始める日として、太陽信仰を持つ宗教においては、冬至を神聖視するという同様の概念が不偏的に見られます。

しかし、我々が知っている12月25日といえば、冬至の祭日ではなくクリスマスです。

ミトラ教はクリスマスの由来

クリスマスの由来はミトラ教だった!

ミトラ教の冬至の祭日に、クリスマスというキリスト教の祭日が重なるようになります。

クリスマスは一般的には「イエス・キリストの誕生日」という認識がされている場合も多いのですが、正確にはそうではないのです。

新約聖書においては、イエス・キリストの誕生日についての記述はないため、イエス・キリストの誕生日は「不明」となります。

12月25日がクリスマスとなったのは、ミトラ教がその日を祭日として定めていたからです。

なお、キリスト教の公式な考え方では、クリスマスとは「キリストの誕生日ではなく」、「キリストの誕生を祝う祭日」になります。

ミトラ教の祭りの日程に、キリスト教の祭日を重ねたのです。

ミトラ教などの密儀宗教がキリスト教に遺した影響

多神教を信仰していた古代ローマの宗教観は、キリスト教の発展にも大きな影響を与えていると考えられています。

ミトラ教は太陽=復活の要素と、救世論というキリスト教に通じる考え方を持っていたのです。

ミトラ教は儀式にもパンを聖なる存在として使っていることから、キリスト教の聖体拝領などの儀式との関連もあるのではないかと考えられています。

また生と死の秘術を用いるデメテル信仰などの儀式や世界観は、キリスト教における復活という世界観を与えて、地母神デメテルへの信仰が聖母マリアのキャラクターに与えた影響もあるとされているのです。

ミトラ教を含み、ローマの密儀宗教たちは、キリスト教の完成に影響を与えています。

ミトラ教と弥勒信仰

ミトラは弥勒菩薩のモデルとなった

古代インド・イランで生まれた神話群は、イランではゾロアスター教成立以後もミトラを契約の神として重要視し、南のインドでは聖典ヴェーダにまとめられます。

ヴェーダにはミトラも登場し、初期の頃は偉大な神の一人でしたが、時代の経過と共にミトラの存在感は低下していったのです。

しかし、インドで発生した仏教は、ミトラを有力な神として再登板させます。

ミトラは弥勒菩薩(みろくぼさつ)の元になったのです。

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ミトラと弥勒菩薩のモチーフの相似

ローマのミトラ教においてのミトラの性質は、太陽神であると共に、救世主というものになります。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)は、世界の終わりに人々を救う仏になるので、終末論救世主を持っている存在なのです。

そして、ミトラはミトラスあるいはミイロとも呼ばれており、「ミロク(弥勒)」の語源にもなっています。

なお、弥勒菩薩のキャラクターは、古代イラン・インドにおけるミトラの神話よりも、ローマ圏で隆盛したミトラ教のキャラクターに一致しています。

この結果も、ミトラ教の誕生した土地や、それが伝わったルートや時期の解明を不明確にしているのです。

イランではミトラ教の遺跡は存在しませんが、ローマにはミトラ教があり、ローマからすればイランより遠いインドの宗教には、何故かミトラ教の影響があります。

現在に残るミトラ教の影響

ミトラ教は5世紀のあいだにこの世界から消滅し、秘密主義的な密儀宗教であったことから詳細は伝わっていない、多くの謎が残る宗教です。

ミトラ教の儀式は、窓のない場所で最多でも100人が集まり行われていたため、100の神殿があったローマにおいても、信者は1万人いたかどうかという数字になります。

儀式体系にペルシャ=イラン風の様式を持ちながらも、イランには存在しないなど、どこでミトラ教としての形が完成したのかも不明なのです。

しかし、ミトラ教の影響は現在にも残っています。

クリスマスを12月25日にし、キリスト教の儀式などにも影響を残しているのです。

それだけでなく、仏教では弥勒菩薩に対する弥勒信仰を生み出すことにもつながっています。

古代の神ミトラは、ミトラ教を経てローマから地中海世界、そしてキリスト教ひいては西欧文明に影響を及ぼしたのです。

そして、イランのゾロアスター教、インドで生まれた仏教などを通じて、それらの宗教もアジア全域に広まり、影響を及ぼしています。

まとめ

  • ミトラ教は謎が多い宗教
  • ミトラは古代イラン・インドの神
  • ミトラ教は多神教を許容するローマで流行した
  • ミトラ教は密儀宗教の一つ
  • ミトラ教はクリスマスの日付に影響
  • ミトラ/ミトラ教は、弥勒菩薩/弥勒信仰のルーツ
  • ミトラ教は多くの宗教に影響を及ぼした

謎の多いミトラ教は、信仰している神の起源こそ分かってはいるものの、発生も伝搬のルートも分かっていないままです。

いつかどこかに神話と信仰形態をまとめた「教祖」がいて、ミトラ教を作ったのではないかともされていますが、今のところ謎は解明される気配はないままです。

しかしミトラの影響は、確実に現在の宗教世界にも伝わっているのです。

ローマという多神教帝国では、イラン・インド神話だけでなく、ユダヤ教・キリスト教、ギリシャ神話、さらにはエジプトなどの神話も合流しています。

無数の神々の信仰が許されたローマは、宗教創造の中心でもあったわけであり、今なお続く世界的な宗教を発信していった土地でもあるのです。

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