遺体を保存するという考え方には、二つの理由があります。
一つは埋葬したい場所まで運ぶためのあいだ腐らないようにするため、もう一つは死体を「半永久的に保存するため」です。
古代エジプトなどのミイラは後者を目的としていましたが、それよりもはるかに高度な20世紀の医学を用いて永遠の保存を目指した遺体があります。
百年前に死亡したロザリア・ロンバルドという二才にも満たない少女のミイラが、現在にも美しさを保ちながら残っているのです。
今回は「世界一美しいミイラ」、「眠れる森の美女」とも評価される一人の少女の保存死体についてご紹介していきます。
目次
「世界一美しいミイラ」ロザリア・ロンバルドと家族
ロザリア・ロンバルドが眠る場所
ロザリア・ロンバルドの遺体が安置されている場所は、イタリアのシチリア島パレルモにあるカプチン・フランシスコ修道会の地下墓地(カタコンベ)です。
カプチン・フランシスコ修道会では、16世紀の頃からロザリア・ロンバルドが埋葬される1920年のあいだに9000人以上が葬られています。
カプチンカタコンベは地上の埋葬地が尽きたために、地下にトンネルを掘っていき、その側面に遺体を埋葬・安置するようになったのです。
16世紀当初は修道士たちだけが保存処理されて埋葬されていましたが、やがて地元の名士や富裕層たちはこの地下墓地にミイラとして埋葬されることを望みます。
金持ちのステータスの一つとして、カプチンカタコンベへの埋葬は望まれたのです。
希望する死者は多額の寄付により、死体にミイラ化する処理を施されて、生前通りの衣服やポーズを取った状態で安置されるようになります。
遺族からの寄付金が続く限りは、その展示は続き、特別な日には遺族との「面会」が許されていたのです。
年齢や性別、そして職業などによりカプチンカタコンベでの遺体の展示場所は変わります。
現在でも1252体ものミイラがありますが、その中で最も美しいミイラがロザリア・ロンバルドなのです。
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ロザリア・ロンバルドの生涯と家族
ロザリア・ロンバルドは1920年に1才11か月で死亡します。
死亡した原因は、人類史上最大のパンデミックの一つとして悪名高い「スペイン風邪」による肺炎です。
スペイン風邪の猛威はあまりにも凄まじく、一説には一億人が死亡したともされます。
正確な死者数を特定することが困難なのはヨーロッパを中心に第一次世界大戦が起きていた最中だったからです。
スペイン風邪による死者があまりにも大量に出たため、第一次世界大戦の終息が早まったのではないという研究までもあります。
現在でもインフルエンザに変異したその末裔たちが残り、私たち現代人の命を奪い続けているスペイン風邪ですが、ロザリア・ロンバルドの命も奪っているのです。
肺炎により死亡したロザリア・ロンバルドを見て、父親であるマリオ・ロンバルドは嘆き悲しんで死んだばかりの娘を「永遠に保存したい」と考えます。
そうしてマリオ・ロンバルドは、剝製職人であり有名なエンバーマー(死体の保存を行う職種)である、アルフレッド・サラフィアに頼ることにしたのです。
ロザリア・ロンバルドとアルフレッド・サラフィア
ロザリア・ロンバルド保存の依頼
アルフレッド・サラフィアは剥製師としてもエンバーマーとしても著名であり、その技術と知識の高さから海外での講演を依頼されるほどの人物でした。
娘の死を受け入れにくく、永久の保存を望む父親にとっては最適の人物になります。
アルフレッド・サラフィアがこの処置にどういったモチベーションを持っていたかは不明ですが、どうあれ彼は父親マリオからの依頼を受け入れたのです。
1920年の12月、アルフレッド・サラフィアは1才11か月の少女の遺体の防腐処理に取りかかります。
アルフレッド・サラフィアは当時では画期的であった彼独自の方法を用いて、「世界一美しいミイラ」を作ることになったのです。
なおアルフレッド・サラフィアは秘密主義者であったため、彼の施術がどういった方法なのかを彼自身が語ることはありませんでした。
しかしロザリアへの処置から90年近く経ったあとの2009年に、アルフレッド・サラフィアの遺族から資料が見つかったのです。
資料のカルテにはアルフレッド・サラフィアの先駆的なエンバーミング技術が記されています。
アルフレッド・サラフィアの保存方法の特徴
アルフレッド・サラフィアのエンバーミング方法は、どういった点が優れていたのでしょうか?
まずは古代エジプトなどのミイラとの大きな違いとして、「内臓をそのまま残していた」ことが特徴です。
内臓は腐敗しやすい部位であるため、本格的な長期の遺体保存を考えたときには取り除くこともあります。
腸や子宮、膀胱などは内部に空間がある臓器であるため、腐敗しやすい部位となるのです。
しかしロザリア・ロンバルドの遺体を撮影したレントゲン写真では、彼女の内臓の全てがそのまま残されていることが明らかになっています。
エンバーミングの技術そのものはヨーロッパのキリスト教徒を中心に盛んに研究されて実践されていますが、サラフィアの技術はとても高度なものだったのです。
どうしてアルフレッド・サラフィアの技術は優れていたのでしょうか?
それは彼が画期的な薬品を用いると同時に、剥製師としてのスキルも持っていたからです。
「眠れる森の美女」の作り方
アルフレッド・サラフィアはロザリア・ロンバルドの死体に対して、有効かつ大量の防腐剤を送り込んでいます。
どういう方法で死体に防腐剤を送り込んだかといえば、血管を使ったのです。
死亡しても血管の構造は保たれています。
そのためアルフレッド・サラフィアはロザリア・ロンバルドの死体における大きな動脈の一つ、「大腿動脈」(だいたいどうみゃく)を利用したのです。
大腿動脈は太ももの付け根において体表近くを走る大型の動脈であり、薬剤を注入するには適しています。
首の動脈を利用する手法も一般的でしたが、おそらくはロザリア・ロンバルドが二才にも満たない幼児であり、死体の位置を動かしやすかったことからその部位を選んだのかもしれません。
アルフレッド・サラフィアはロザリアの死体をマッサージしたりストレッチをかけて関節をゆるめます。
そうすることで死後硬直が一時的に解け、血管のつまりが改善されるのです。
その後、頭部をかなり下に状態で寝かせ(あるいは逆さに吊るしたかもしれません/薬剤を全身に行き渡らせ、血を抜くためです)、太ももの付け根から薬剤を注入したのです。
脚の付け根の動脈から入った薬剤は、血管を通ることでロザリアの体内に残っていた腐敗しやすい血液を取り除きながら(静脈から同時に血を抜いています)、内臓に行き渡ります。
血管を使いこなした処置が、ロザリア・ロンバルドの体と内臓の広範囲に薬剤を行き渡らせたのです。
アルフレッド・サラフィアはそれ以外にも、薬剤の行き渡りにくいと判断した場所には、ピンポイントで薬剤を注射していったとカルテには残しています。
ロザリア・ロンバルドに使われた薬品
ロザリアに使用された薬剤は、「グリセリン」、「硫酸亜鉛と塩化亜鉛で飽和したホルマリン」、「サリチル酸で飽和したアルコール溶液」の三つを均等に混ぜたものです。
それぞれの薬品の効果は、以下の通りになります。
- アルコール:乾燥とミイラ化を促進。
- グリセリン:過度な乾燥からの保護。
- サリチル酸:殺菌作用があり、菌の増殖を防ぐ。
- 硫酸亜鉛と塩化亜鉛:腐敗の防止と体の硬質化。最も死体の保存に貢献している。
- ホルマリン:高い防腐効果。当時としての使用は画期的ではある。
ロザリア・ロンバルドの体はこれらをサラフィアに注入されたあとで、彼の手により顔のほほなどにパラフィン(いわゆるロウソクなどに使う、ロウ)を注入されました。
高度なミイラ化と防腐処理を行うと同時に、体を硬質化しつつ、パラフィンを用いることで変形することを抑制したのです。
ホルマリンを使うなどの画期的な薬剤の選択のほかに、パラフィンを使っての形成を行うなどの処置後の崩壊への対策を行っています。
これらの薬剤と技術、そして丁寧な処置の回数により、ロザリア・ロンバルドは「世界で一番美しいミイラ」や「眠れる森の美女」と呼ばれるミイラとなったのです。
父親はこの腐敗を免れた愛娘の遺体を、カプチンカタコンベの富裕層のための場所へと安置します。
生前使っていたリボンをそのまま結んだまま、ガラスの棺桶に入った彼女は1920年から百年の時が経つ今もその場にいるのです。
安置後のロザリア・ロンバルド
ロザリアロンバルドも眠るカプチン・フランシスコ修道会の地下墓地
そののち父親は足しげくロザリア・ロンバルドのもとを訪ねたとも、やがて変わらぬままの愛娘を見ることが辛くなり訪れなくなったとも、さまざまな噂話が残るのです。
彼らは公人ではありませんので、正確な情報を残す義務などありません。
正確な物語なのかは不明ですが、噂話の一つでは5年後にロザリアの妹が誕生しています。
両親は彼女にもロザリアという名前をつけ、毎週のようにカプチンカタコンベに行ったと伝わっているのです。
ガラス越しにいる美しいままの彼女と、同じ名前を持った妹は仲良く過ごしたともされます。
カプチンカタコンベのコンセプトとしては、死者と遺族が共に過ごすことを否定してはいなかったのです。
メメントモリ、死を思えという発想を持つ修道士会としては、死と聖者が近くにあることを悪いようには思いません。
ロザリア・ロンバルドの現在
ロザリア・ロンバルドは現在もイタリアのカプチンカタコンベに安置されています。
「目がまばたきすることもある」という噂話もありましたが、朝と晩の湿度の差によって眼球が膨らんでいたり縮んだりすることによる現象を過大評価した錯覚とされているのです。
現在ではカプチンカタコンベは他の遺体と共にロザリアを「見世物」として使い、観光名所の一つとなっていますが、ロザリアの遺体にも限界が訪れつつあります。
あくまでもエンバーミングは遺体の崩壊を遠ざけるための技術であり、永遠にそのままというわけにはいきません。
肌の色などが悪くなってきているため、さらなる防腐を試みて殺菌用のガスがガラスの棺桶の内部に注入されています。
観光としての見世物とされたことで、カメラなどのムダな光に当たったことで彼女の体はダメージを受けたのかもしれないのです。
現在ではロザリア・ロンバルドに「会える」のかどうかはよく分からない状態ですが、彼女が腐らないまま地下の墓所に安置されていることは変わりません。
まとめ
- ロザリア・ロンバルドは「世界一美しいミイラ」もしくは「眠れる森の美女」
- ロザリアは百年前のパンデミック、スペイン風邪の肺炎で死んだ
- 父親が望んでロザリアミイラ化の処置が施された
- ロザリアはイタリアのカプチン修道院の地下墓地に安置されている
- アルフレッド・サラフィアは画期的な独自の方法でミイラ化処置を行った
- ロザリアは生前使っていたリボンをつけたままガラスの棺桶に眠る
- ロザリアの家族の物語は噂が多い
- ロザリアの遺体は徐々に朽ち果ててはいる
- ロザリアがまばたきしたという噂があるが、湿度の影響
ロザリア・ロンバルドの父親は裕福な人物であったと考えられています。
金持ちしか使えない場所に娘の遺体を安置することが出来たからです。
どうあれ娘の死を嘆いて受け入れられなかった彼は、ロザリアに永遠を望みました。
その後の物語は不明ですが、百年後の今でもロザリアは腐敗することなく保存されています。
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