足利義満といえば金閣寺、と多くの方が思うのではないでしょうか。
しかし、「足利義満=金閣寺」だけではないのです。
室町幕府の全盛期を築き、しかも優れた文化人でもあった足利義満の人生に迫っていきたいと思います。
目次
足利義満の人物像
栃木県の足利市で始まった「足利家」
栃木県に足利市というところがあります。義満と同じ「あしかが」です。
義満から数えて11代前の先祖、義康が足利性を名乗り、この地を治めたことが足利家の家系の始まりです。
そして義康から9代目にあたるのが足利尊氏で、この人物が室町幕府を開きます。そして尊氏の孫、第3代将軍が義満です。
足利義満の生涯
幼少期からの義満のエピソード
足利義満は父・義詮と側室紀・良子との間に生まれます。正室と長男が夭逝していたので嫡男として扱われます。
時は南北朝時代。天皇家が南朝、北朝に分かれて争い、そこに守護大名も加わるという不安定な時代でした。
そのため幼いころ義満も京を追われ、播磨へと逃れていたこともあります。播磨白旗城の主・赤松則祐に養育されたと考えられています。
幸い、程なくして京へ帰れることになりましたが、義満はこのとき途中で泊まった摂津の景色をいたく気に入って、
「ここの景色を京に持って帰りたい。お前ら運べ。」と言ったそうです。
当時若干10歳くらいの少年でした。苦境にあっても大物感漂う義満の人となりを現すエピソードです。
将軍相続と細川頼之の政策
1367年南北朝の動乱が収まらないまま、2代将軍義詮が病死します。
義満はまだ11歳のため、実権は守護大名の細川頼之が握ります。細川頼之は、義満に代わって様々な政策を打ち出します。
応安大法や五山制度で、土地支配や宗教制度を強固なものにします。また今川了俊を九州探題として派遣し、南朝勢力の弱体化を進めます。
しかし、細川頼之は、漸波義将や土岐頼康などの守護大名から反発を買い1379年に罷免されます。ここから義満の執政が始まります。
義満の執政と幕政の強化
執政を始めた義満は、幕政の強化のため3つの政策を行います。
- 守護大名の弱体化
- 公家社会への進出
- 南北朝の統一
このあたりから義満は、武力と政治力を巧みに使い、優れた統治能力を発揮します。
3つの乱と守護大名の弱体化
義満は、有力守護大名の内紛を巧みに利用し、その力をそいでいきます。具体的には以下3つの乱です。
- 美濃の有力者・土岐氏の名粉を力でねじ伏せる(土岐康行の乱)
- 11か国の守護を務めていた山名氏清をわざと反乱させて討伐(明徳の乱)
- 大陸との貿易で莫大な財を築いた大内義弘挑発し討伐(応永の乱)
武力をもって幕政の強化を図っていきます。
義満の公家社会への進出
義満は、幕府の権力強化のために公家社会へと進出していきます。
北朝の安定化を願う関白二条良基の協力を得て、和歌や連歌などに積極的に参加し、公家社会へと入り込んでゆきます。
そのため、祖父・尊氏、父・義詮を超えて、右大臣、左大臣へと昇進し、公武両勢力の頂点に立ちます。
足利義満による南北朝の統一
武力と政治力、2つの力をもって幕政を強固なものにした義満は58年にも及ぶ南北朝時代を終焉させます。守護大名大内義弘を仲介に、南北朝間で明徳の和約を締結させます。
持明院統と大覚寺統が交互に即位することや、諸国の国衙領を全て大覚寺統の所有とする事など和平案を南朝の後亀山天皇に提示しました。
後亀山天皇が保持していた三種の神器を北朝の後小松天皇に接収させる、つまり南朝が北朝に吸収される形となりました。
足利義満が始めた日明貿易と文化事業
日明貿易
義満は明との正式な通交を望んでいました。
しかし1374年(応安7年)の遣使では、明側は南朝の懐良親王を「日本国王良懐」として日本における唯一の正規な通交相手として認めていた事と、天皇の臣下との通交は認めない方針のため、貿易は実現しませんでした。
そのため、義満は官職を辞して出家し、博多の商人を通じてようやく日明貿易を開始できることとなりました。日明貿易はこの後、100年以上続くこととなります。
北山文化と金閣寺
義満は軍事家、政治家として優れた能力を発揮しますが、文化事業にも力を入れます。
西園寺から譲り受けた北山第(ほくさんてい)を改築し、舎利(金閣)を中心とした鹿苑寺を建立します。のちに義満もこちらへ移り住み、活動の拠点としていきます。
この時代の文化を、武家様・公家様・唐様(禅宗様)が融合した北山文化と呼ぶことも多いです。また北山文化の芸能である猿楽では、義満は観阿弥・世阿弥父子を庇護しました。
足利義満の最期
1408年4月27日、義満は病に倒れました。5月6日には治癒祈祷のかいもなく、死去しました。
享年51歳でした。約半世紀の生涯の中で、軍事、政治、外交、文化、様々な偉業を成し遂げています。
まとめ
- 足利義満は、室町幕府の全盛期を築いた将軍である。
- 反乱を利用して守護大名の弱体化させた。
- 公家社会へ進出し、位を得ることで幕府の権威を高めた。
- 南北朝の統一を成し遂げた。
- 日明貿易を実現した。
- 北山文化をおこした。
いかがでしたか。「足利義満=金閣寺」だけではなかったですよね。
軍事、政治、文化など、多方面に優れた能力を持って様々な偉業を成し遂げた足利義満の人生でした。
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