世界には独特な暮らしと文化を獲得した民族がいます。
バジャウ族もユニークなライフスタイルをもった民族です。
バジャウ族は伝統的には海の上に住んできた民族であり、彼らはいくつもの国家を越えて伝統を築いてきました。
今回は「海の遊牧民」とも呼ばれる民族、バジャウ族についてご紹介していきます。
目次
バジャウ族の暮らし
バジャウ族の人口と住んでいる国
バジャウ族はフィリピンとマレーシア、そしてインドネシアを中心に暮らしている民族になります。
フィリピンに47万人、マレーシアには43万人、インドネシアには17万人ほど暮らしています。
バジャウ族は世界ではおよそ110万人いると考えられていますが、彼らの少なくない数が国籍を持たないため正確な人口は分かっていません。
国籍を持たない理由は、海を渡って複数の国家を移動しているため、どの国の民族なのか決めることが難しかったからです。
また民族や宗教の違いから主要なグループから差別されていることも影響しています。
バジャウ族の家は船?
伝統的なバジャウ族はレパ(lepas)、あるいはレパレパ(lepa-lepa)と呼ばれる船で生活しています。
これらは船であり移動手段であると共に、バジャウ族にとっては「家」になります。
バジャウ族は船を家代わりにして住む、海上生活者でした。
バジャウ族はレパで各国の海を渡りながら、漁業を中心にして生計を立ててきました。
そのため、「海の遊牧民」と呼ばれているわけです。(海のジプシー(sea gypsy)、海のノマド(sea nomad)とも呼ばれています。)
もちろん、現代では国家の許可を得ることなく領土内に勝手に侵入してしまうことは違法行為になります。
そのため各国政府はバジャウ族に定住を進めています。
他国の領海に侵入したバジャウ族の漁船が破壊されるトラブルが起きることもあったからです。
また他国民による許可を得てない漁は、一般的には密漁にあたるため不法な行いとなってしまい国際問題化するリスクもあります。
現在の価値観では、バジャウ族の伝統的なライフスタイルは受け入れがたい問題を抱えているのです。
最近では多くのバジャウ族が定住して、沿岸部を中心とした村で暮らしています。
そしてバジャウ族の多くが無国籍であるため教育を受ける機会に乏しく、仕事もない状態であり貧困化しています。
バジャウ族の漁にまつわるトラブル
バジャウ族はフィリピン周辺の海域で漁を行ってきました。
バジャウ族はダイナマイトや毒などを使って乱獲を行うこともあります。
そのためサンゴ礁を破壊することもあり、地域の漁場を荒らしてしまい地元の漁師とトラブルを起こすこともあります。
トラブルが起きると、バジャウ族はその地域から船で他の地域に旅立つことがあります。
バジャウ族の遺伝子はダイビングに向いている
1000年近く海上生活を続けてきたバジャウ族の遺伝子には、ダイビングに対する能力が高くなっています。
脾臓(ひぞう)が大きくなり、ダイビングしているときに体に供給される血液や酸素の量が多いのです。
また長時間のダイビングに適応し、血のなかの二酸化炭素が上昇したときに起きる体へのダメージを抑える遺伝子が、バジャウ族からは見つかっています。
バジャウ族はダイビングに長けた遺伝子を持った天才的なダイバーです。
なおバジャウ族は小さな頃から意図的に鼓膜を破ります。
これはダイビング時の鼓膜や頭の痛みを抑え、ダイビングには有利な面があります。
しかし鼓膜へのダメージは将来的には、音を聞こえにくくしてしまうため、高齢のバジャウ族には耳が聞こえにくい方が増えることにもつながります。
そしてダイビングを繰り返すことは体への負担が強く、潜水病(けいれんや意識障害を起こす)などを発症し、深刻な障害を体に残してしまう方も少なくありません。
馬に乗るバジャウ族のグループ
バジャウ族には多くのグループがいます。
そのなかには陸に住み馬を飼い慣らしてきた文化と歴史をもつグループも存在しています。
彼らはマレーシアに住み、マレーシアで唯一の馬術を伝統的に行う民族でもあります。
バジャウ族の歴史
バジャウ族の起源
バジャウ族の伝承によれば、彼らはある王国のお姫さまが洪水で流されて行方不明になったとき、捜索に出された騎士の末裔ともされています。
捜索はしましたが結果的にお姫さまが見つかりませんでした。国に戻ると王さまに処刑されてしまうかもしれないと考え、そのまま海で暮らし始めたという伝承です。
あるいはイスラム教指導者と結婚するために嫁いだお姫さまの護衛の末裔であるとも伝わります。
各地の文献や言語や文化の違いなどから推定されるバジャウ族が確立した時期は、9世紀頃とされています。
文献に残された最も古い記述では、840年頃にバジャウ族の王女が他国の王子と結婚したというものがあります。
バジャウ族の歴史的な出来事
9世紀頃に誕生した彼らは焼き畑農業を特徴的に行っていました。
10~11世紀頃、海を渡って各地に広まり焼き畑農業を広めて、その痕跡を各地に残すようになります。
11世紀にはボルネオ島に到着し、そこを拠点にまた各地に広まっていきます。
12~13世紀、一部がシンガポール海峡で海賊化して船を襲う略奪者となっています。
イラン系の民族とも協力して商船を計画的に襲っていたと考えられています。
13~14世紀頃、フィリピンに到着し、その海域に現れるようになり、1521年にはヨーロッパ人に発見されて、船に住む海上生活者として紹介されました。
1894年、植民地支配に対してバジャウ族のマットサレー率いるグループが反乱、イギリス側と戦います。
20世紀、第二次世界大戦後から軍隊から伝えられたダイナマイトを使った漁を始めます。
20世紀後半、支援者のイスラム教指導者であるスルタンらが各地で没落していき、貧困に拍車がかかるようになります。
現在、教育水準が低く、多くが貧困の状態です。
若者たちは海から離れ、民族的な文化は消えつつあります。
バジャウ族の宗教
バジャウ族はイスラム教徒が多い
バジャウ族の大半がスンニ派のイスラム教徒になります。
ただしイスラム教にバジャウ族独自の宗教観が組み込まれた宗教を信仰する人たちもいます。
イスラム化する前の古いバジャウ族にはアニミズムやシャーマニズムが主流であったと考えられています。
バジャウ族独自の宗教と、伝わってきたイスラム教がミックスした信仰が出来上がっていったのです。
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バジャウ族の神話
バジャウ族は「海の神トゥハン」と「森の女神ダヤンダヤン」を最高神とした伝統的な神話をもっています。
トゥハンは男性を象徴する神であり、ダヤンダヤンは女性を象徴する神です。
祭りや結婚式などでは、これらの夫婦神を祀り、ダンスや歌や宴などを行います。
トゥハンは創造神とされていますが、イスラム化後はイスラム教の神であるアッラーと同一の存在とみなされるようになりました。
また祖先の霊を信仰し、家屋でもある船を建造する際には儀式を行い、船にスマンガという守護霊を宿すおまじないをします。
この守護霊に祝福されれば漁が上手くいく、災いから逃れられるのだと信じられているのです。
また重病を患い生還した人物などから祭祀(宗教的な儀礼やお祭り)をつかさどるシャーマンが選ばれ、シャーマンはイスラム的な文化を反映しており、ジンと呼ばれる精霊を使えると考えられています。
ジンはイスラム教における妖怪や妖精、悪魔のような存在です(有名なジンは、アラジンに出てくるランプの精霊です)。
ジンたちは災いをもたらすこともあれば、シャーマンたちの使い魔となりさまざまな超常現象を起こすと考えられています。
まとめ
- バジャウ族は船を家にして海に住む
- バジャウ族はフィリピンやマレーシアやインドネシアに住み、総人口は110万人ほど
- バジャウ族は「海の遊牧民」
- バジャウ族は遺伝子的に優れたダイバー
- バジャウ族の伝統的な暮らしは現代では各国から歓迎されていない
- バジャウ族はイスラム教徒が多い
- バジャウ族はイスラム教と独自のアニミズムが融合した宗教観を持っている
バジャウ族は貧困と差別に苦しむ民族でもあります。
バジャウ族の伝統的な暮らしは、現代の国際的なルールにはあまり向いてはいないものです。
最多の人口が住むフィリピンはカトリック系のキリスト教徒が多数派であり、イスラム教徒であるバジャウ族とは対立したり、差別される傾向があります。
またバジャウ族の伝統的な暮らしは、肉体的にも過酷なものであるため、若い世代からは避けられています。
現代の世代が伝統的な暮らしをつづける最後のグループと予想されています。
数十年後にはバジャウ族独自の文化は無くなっているのかもしれません。
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