ゲルマン人と呼ばれる民族が古代のヨーロッパを駆け抜けた時代があります。
ドイツ周辺の地域からヨーロッパ各地へと分散していき、それぞれの土地に王国や共同体を築き上げていったのです。
彼らの移動は「ゲルマン民族の大移動」として知られています。
今回は古代ヨーロッパを恐れさせたゲルマン人の特徴を10個ご紹介していきます。
目次
①ゲルマン人の身体的な特徴
発祥の地であるドイツや北欧地域のゲルマン人たちは白人としての形質を強く有している人々です。
その肌は白くて乾燥肌が多く、脂肪については中年期以降はつきやすく、背は高めであり、肩幅が広く筋肉質になります。
顔は小さめですが頭が長くて大きい形をしているのも特徴です。
髪は茶髪、赤毛、金髪、黒っぽい色をしている場合もあります。
瞳の色は青やブラウン、黒っぽ色など多彩な色合いがありますが「斜視」が多いのも特徴になります。
つまりは「日本人がもっている典型的な白人像」の形質を強く有しているのがゲルマン人であり、北方ヨーロッパ由来の「金髪碧眼」という遺伝子をヨーロッパ各地の白人種に広げる担い手であった可能性がある民族です。
遺伝子的な祖先は西アジアおよびヨーロッパとなり、語学的な調査と遺伝子学上の調査を反映した予測では、ウクライナ周辺に文化的な祖を持つのではないかとも考えられています。
北欧、東欧、ドイツ周辺の民族がさまざまな混血と文化的な交流を果たした結果、ゲルマン人と呼ばれる人々が誕生したのです。
ゲルマン人という人種と文化が確立したのは紀元前2000年ほどであり、「北部ドイツ」とその陸伝いで北に位置している「ユトランド半島」、ユトランド半島から北海をはさんで北に位置する「スカンディナビア半島」を土地を中心に暮らしていた民族になります。
②ゲルマン人の使っていた言葉
ゲルマン人の言語の祖先は黒海の周辺で生まれる
古代のゲルマン人たちが使っていたゲルマン語は、インド・ヨーロッパ祖語(石器時代に存在していたと想定される概念。かんたんに言えば「ヨーロッパで話される言語の共通の祖先」)から分かれた言葉になります。
インド・ヨーロッパ祖語は黒海の南もしくは北側で発祥したとされる言葉になり、北上して行ったグループがゲルマン語を話す諸民族になったのです。
ゲルマン人の使っていた言葉
ゲルマン祖語と呼ばれる言葉になり、これはインド・ヨーロッパ祖語から比べると比較的新しい言葉になります。
この「訛り/方言」が発生したのは紀元前5世紀あたりの北部ドイツです。
北部ドイツで発生した「ヤストルフ文化」の広まりに応じて、スカンディナビア半島などの北欧にも伝わり、ゲルマン人の共通語となっていたと考えられています。
なおゲルマン人のいた地域より南に広く分布していたケルト人との接触も想定され、ゲルマン祖語にはケルト語の影響も含まれているのです。
古代のゲルマン人の言葉は大きく分けて三系統
ゲルマン祖語は三つの系統に分かれていくことになります。
- 西ゲルマン語群:英語、ドイツ語、オランダ語などに広まった最大の派閥。
- 東ゲルマン語群:ゴート語、クリミアゴート語、ヴァンダル語、クリミア語、ブルング語。
- 北ゲルマン語群:ノルド祖語、東スカンディナビア語(スウェーデン語、デンマーク語、伝統ノルウェー語)、西スカンディナビア語(ノルウェー語、ノルン語、フェロー語、アイスランド語、グリーンランドノルウェー語)。
③ゲルマン人系の部族
南下したゲルマン人たちは大移動を開始して、さまざまな民族を生み出すことになります。
- 西方ゲルマン人:アングル人、サクソン人、ジュート人、フランク人。
- 東方ゲルマン人:東ゴート人、西ゴート人、クリミアゴート人。
- 北方ゲルマン人:ノルマン人(デーン人、ノール人、スウェーデン人)、ノース人。
④ゲルマン民族の大移動
ゲルマン人はフン族に徹底的に攻撃される
365年になると東ヨーロッパに住んでいた遊牧民である「フン族」がゲルマン人たちの領域へと侵攻してきます。
まず犠牲となったのは東ゴート族だったのです。
多くの町が焼き尽くされるような侵略であり、社会生活の継続が困難なほどの破壊が各地に残されます。
東ゴート族の王は自殺までするほどに追い詰められて、東ゴート族の多くはフン族に併合されてしまいます。
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ゲルマン人の西ゴート族が南下を開始
東ゴート族の崩壊を目の当たりにした西ゴート族の王は、自分たちの一族を移動させることに決めることになったのです。
まずは半分の勢力がローマ帝国に援護を求めるために向かわせて、アタナリック王が率いる勢力はフン族を警戒しつつも南下を開始します。
しかしフン族の部隊はアタナリック王の放った哨戒部隊を殲滅してしまうのです。
形勢不利と判断したアタナリック王の勢力もローマ帝国の助力を求めて、ローマ帝国の勢力下へと移動を開始することになります。
ゴート族がローマに反乱する
376年にローマ領内に入ったゴート族たちでしたが、ローマは彼らに対して冷たい扱いをしてしまいます。
ローマとゴート族のあいだには土地を提供する代わりに軍役に就くというものがあったわけです。
ローマ帝国は衰退期にあり、軍事力と納税者が足りていなかったことが理由になります。
ゴート族は傭兵としてローマをフン族の侵攻から守るために働くようになりますが、ローマが見返りとして与えた土地はあまりにもせまかったために、ゴート族は飢えてしまったのです。
同盟の契約に従い食料の提供を求めたゴート族でしたが、ローマ側は対価としてゴート族から奴隷を要求してきます。
さらにはゴート族の代表者がローマ側に殺される事件が起きてしまい、ゴート族はローマに対しての反乱を決意したのです。
ゴート族がローマ皇帝ウァレンスを倒す
ゴート戦争が勃発してローマ帝国軍とゴート族の戦いが起きます。
この戦争はゴート族の勝利となり、ローマ帝国は敗戦するどころかウァレンス帝を殺されることになったのです。
勝利したゴート族はローマ領の各地で略奪を行うようになります。
この戦いを契機に東西ローマ帝国はますます勢力が弱体化し、帝国領の各地に異民族の襲来や反乱が頻発するようになっていくのです。
ローマ側はこの状況にゴート族の天敵であるフン族の傭兵を雇用して対応するようになり、フン族はさらに勢力を拡大して、ゴート族をより西へと圧迫するようになります。
やがてゴート族たちはアルプスを越えて南下し、イタリア半島にまで到達してローマを略奪するまでになったのです。
「ゴート族」対「フン族とローマ帝国」という対立構造は、ローマ帝国を軍事的に弱めていきます。
ローマ帝国が国境の警備能力を失うと、それにつけ込むようにしてゴート族以外のゲルマン人たちがローマ帝国の国境線を越えてヨーロッパ各地に侵入するようになったのです。
ゲルマン民族の大移動
崩壊していく西ローマ帝国はゲルマン人たちの各部族を、かつてゴート族と結んだように傭兵として雇用することもあれば、激しく敵対することもあったのです。
ゲルマン人たちはローマ領内に独自の王国を築くようになります。
- 415年:西ゴート族がイベリア半島(スペインやポルトガルがある地域)を占領して、西ゴート王国を建国。
- 435年:ヴァンダル人がジブラルタル海峡を渡り、北部アフリカにヴァンダル王国を建国する。
- 451年:「カタラウヌムの戦い」、西ローマ帝国と西ゴート王国などのゲルマン諸民族勢力が結束、「神の災い」の異名をもつフン族の王アッティラを撃退する。ローマ軍が大いに疲弊し、フランク人勢力が広まることを許す。
- 5世紀~:アングル人、ジュート人、サクソン人たちがイギリスに侵入する。ケルト系の原住民を圧迫し、アングロ・サクソン七王国を建国。
- 476年:ゲルマン人のオドアケルが西ローマ帝国を滅ぼす。オドアケルの兄弟は東ローマ帝国の将軍オノウルフス。イタリアを支配したオドアケルも東ゴート人に倒される。
- 481年:ゲルマン人一派のフランク人たちにより、フランク王国が成立する。フランク王国はローマ・カトリックを受け入れて、周辺のゲルマン諸国に大きな影響力を及ぼすことになる。
フランク王国はローマ由来の地中海文明から、キリスト教世界を分離するような存在となり中世ヨーロッパのキリスト教化に大きく貢献していく。
- 497年:東ゴート人により東ゴート王国が建国。イタリアにゴート人とローマ人の共存の国家を創るが、553年に滅びる。
- 8世紀後半~11世紀:ヴァイキング(デーン人とノルマン人)がヨーロッパ各地を襲撃する。アイスランド、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンが建国される。
- 843年:フランク王国が3つに分裂し、西フランク王国(フランス王国の原形)、中部フランク王国(短期間の国家であり、周辺国に割譲される。イタリア王国の原形の1つ)、東フランク王国(ドイツ王国、神聖ローマ帝国、現代ドイツの原形)が誕生。
- 1066年:ノルマン人のフランス王国ノルマンディー公、ウィリアム1世がイギリスを征服し、現在のイギリス王室の開祖になる。
ゲルマン民族の大移動は、それまでのローマ中心であったヨーロッパ世界に終焉をもたらすものとなります。
フランク王国などを中心にローマの国教であったカトリックを広げていくことになり、ヨーロッパにキリスト教的な価値観を中心とした王国を造ることになるのです。
ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、アイスランドなどがその系譜に連なります。
もちろん多民族国家であったローマ人の血を多く引き継いでいるため、それらの全ての国家にいるのがゲルマン人だけであるというわけではないものです。
また多くの言語の祖ともなっています。
ゲルマン民族の大移動により、ヨーロッパは中世という呼ばれる時代に突入することになるのです。
⑤ゲルマン人の宗教
北欧との縁が深い民族であるため、ゲルマン人の宗教は北欧神話を継承しているものです。
主神オーディンや雷の神トールなどの北欧神話の神々を崇拝しています。
本来のゲルマン人の宗教は多神教であったわけです。
しかし歴史に登場し始めた時期からローマ帝国との接触があったため、ゲルマン人の多くがキリスト教徒の国家になります。
⑥ゲルマン人の食習慣
ゲルマン人は肉とビールが大好き
ゲルマン人は肉食を好み、ビールを大量に飲んでいた民族になります。
野菜をまったく食べなかったというゲルマン人の王も存在するため、肉食中心の生活であったと考えられているのです。
ゲルマン人のなかでは肉を食べることが獣の力を得られて、戦いのための強さを与えてくれるものだと信じられてもいます。
中世ヨーロッパにおいて騎士階級でもある貴族が好んだ肉食の文化は、ゲルマン人のその伝統が反映されている結果なのです。
また牛乳なども飲んでいたとされ、その食事の多くを家畜に依存していたことが特徴になります。
古い時代のゲルマン人は調味料を使うことも少なく、シンプルな調理法を好んでいました。
ゲルマン人にもパン食が伝わる
ヨーロッパの食生活の中心であるパンは、ギリシャ人が完成させてローマ帝国に発展させたものになりますが、やがてゲルマン人諸国にも東ローマ経由で伝わることになります。
もともとのゲルマン人も野生の果実などを採取することもあり、大麦やカラスムギも食べていたため、肉食しかしていなかったわけではないのです。
もともとゲルマン人が住んでいた土地では寒冷であったため、小麦の生産には適していなかったことも、パン食が東ローマを滅ぼすまでは普及しなかった原因になります。
小麦の代わりに寒冷地でも育てられる大麦やカラスムギを育てて、それらで作った硬いケーキや、お粥を食べてもいたのです。
大麦の栽培がビール造りを支えてもいたわけです。
ビールの語源はゲルマン語
なおビールはメソポタミア文明のシュメール人が最初に作ったと考えられていますが、その「語源」となったのはゲルマン人なります。
ゲルマン人の言葉である「穀物=ベオレ」こそが、ビールの語源とされているのです。
ドイツなどではゲルマン人のビール造りが受け継がれています。
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ゲルマン人とローマ人の食文化が融合していく
ローマ人の食文化はパン食とワインを飲むというものであり、ゲルマン人の肉食とビールを飲むという文化とは方向性が異なります。
地中海世界においてはブドウを育てやすかったためにワイン造りが発展していましたが、ゲルマン人の住んでいた土地はブドウも小麦も育てにくかったことが大きいのです。
ゲルマン人の侵略によってローマ人のパン食文化は大きくダメージを負いましたが、やがてローマ・カトリックの普及にともない、キリストの肉であり血であるパンとワインの文化も広がっていきます。
ヨーロッパ各国ではパン食と肉食、そして各地の修道院を中心にしてビールの改良とワインの普及が進んでいったのです。
ローマ時代から比べると食文化が低俗なものとなったとされるヨーロッパですが、やがては貴族が支配する中世の頃になると2つの食文化が融合したものが作られるようになります。
フランス王家がイタリア王家の姫を妃にもらい、その姫がフランス王家の食事のあまりの酷さに辟易しつつ、連れて来ていたイタリア料理人たちに食事を作らせたことがフランス料理の始まりになります。
現代のヨーロッパの食文化の基礎たちは、ゲルマン人とローマ人の両方の文化を継承しているものになるのです。
⑦ゲルマン人にとっての武器
ゲルマン人たちにとって武器には多くの象徴的な意味があります。
サクソン人
「貴族」「自由民」「奴隷」の階級制度があり、奴隷には武器の携帯が許されない。自由民は剣を、貴族は諸刃の直剣の携帯が許される。
サクソン人にとっては剣は身分証明の道具でもあり、「自由の象徴」とも言える。イギリス七王国の初期のサクソン人の墓には、剣を埋葬する文化があったが、キリスト教の普及と共にされなくなった。
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ヴァイキング
デーン人とノルマン人の総称であり、海賊としてヨーロッパ各地を荒らし回った集団。ヴァイキングは剣への崇拝が高く、先祖から代々、剣が受け継がれている。
重厚な刀身を持っており戦いの場で折れることはほとんどなかったと伝えられる。軽量化と紋章を刻むために掘られた溝が特徴。刀身の重量があるためバランスを保つための柄の頭が大きく作られている。
ヴァイキングにとって剣は一族の証や強者であることの主張という、「自分のアイデンティティーの証明」になる。
ノルマン人
フランス北西部に定住したヴァイキングの一部であり、9世紀の頃から登場した兵科である「騎兵」の象徴的な武器としてブロードソードと「ランス」をつかうことになる。
ランスという騎兵用の槍が作られたことで、騎士という兵科の強さは圧倒的な軍事力へとなり、長らくヨーロッパの軍事力の主力となる。
⑧ゲルマン人の文字:ルーン文字
ゲルマン人たちが使っていた文字がルーン文字になります。
それが誕生した時期は不明なものの、確認されている最も古いルーン文字は2~3世紀のものです。
大半の土地ではローマ由来のラテン系文字がゲルマン人たちの文字として使われるようになりましたが、スカンディナビア半島では中世後期までは使われていた文字になります。
一種の神秘的な雰囲気をもつ呪術的な文字として認識されることもありますが、元々は広く一般的にゲルマン人たちが使っていた文字です。
ルーンという意味はゴート語の「秘密」になります。
⑨ゲルマン人の海賊:ヴァイキング
ゲルマン人はフン族の支配から逃れるためにヨーロッパ各地に広がり、弱体化している西ローマ帝国を崩壊させ、その土地を奪い取るように多くの国家を建国します。
しかし、そのゲルマン人の国家にも同じくゲルマン人の一員であるヴァイキング(デーン人とノルマン人の総称)たちが襲撃を行うようになったのです。
デーン人たちはイギリスの多くの土地を奪い、ノルマン人はフランスの一大勢力となり、やがてはイギリス王朝の先祖にもなります。
「海賊」というイメージが強いヴァイキングですが、ヨーロッパ史における重要な血筋の由来にもなっている人々になります。
⑩ゲルマン人とアーリア人
ゲルマン人の先祖をアーリア人(紀元前15世紀頃のイラン人)とする科学的な根拠に乏しい説もあります。
アーリア人を「あらゆる文明の祖」とする魅力的なイメージが、世界の歴史研究が発展していく過程でヨーロッパに誕生します。
「インド・ヨーロッパ語族の全ての祖」がアーリア人という雑な説であり、これを政治的に利用することで、アーリア人の末裔であるゲルマン人国家のイギリスが、インド(アーリア人の子孫)を植民地支配するための理由の1つにも使ったことがあります。
元々は同じ民族であるから、上位に君臨して支配してもいいのだという理屈に使ったわけです。
そして、アーリア人が「あらゆる文明の祖」というエセ科学を最も悪用した人物こそがアドルフ・ヒトラーになります。
ヒトラーは文明の祖であるアーリア人のなかでも、ゲルマン人こそが最も優秀な人種であると国民に訴えることで、第一次世界大戦の敗戦国になっていたドイツ人のコンプレックスを満たして勢力を拡大します。
またナチス・ドイツの同盟関係であった日本人たちも、ナチスに言わせればアーリア人になります。
これはアジア人である日本と同盟を組んでいるための整合性を取るための方便として、ナチス・ドイツ側が利用したものになります。
もちろん、これも科学的根拠のない説なのですが、政治にとっては国民に聞き心地のよく政治家に有益であるものであれば、科学的な信頼性などは必要のないものです。
政治と文化人類学が悪い意味で協力関係を結び、世の中に災いと差別をもたらした有名な例の1つになります。
なおナチス政権下ではゲルマン人の伝統的な神話や文化の再評価や、キリスト教世界の聖遺物の探索などが行われて、神秘主義的で非科学的な集団であるという側面をもっています。
ヨーロッパを作り上げていったゲルマン人の末裔であり、キリスト教の敵であるユダヤ人を迫害することでキリスト教を讃えます。
ソビエト連邦(キリスト教に否定的)からヨーロッパ社会を守るキリスト教圏の「守護騎士」という地位をヒトラーは主張し、ローマ教皇からも勲章をもらうことになるのです。
さらには「全ての文明の祖」であるアーリア人なのだ、というメッセージは、国民のコンプレックスを満たしたり一体感を提供し、ヒトラーはドイツ国民のみならずキリスト教諸国中の人気者になり、やがては史上最大の悪人にもなるのです。
まとめ
- ゲルマン人は日本人がイメージする典型的な白人
- ゲルマン人はドイツや北ヨーロッパに住んでいた
- ゲルマン人の南下により中世が始まる
- ゲルマン人は肉とビールが好き
- ゲルマン人は武器に思い入れをもつ民族
- ゲルマン人にはヴァイキングもいる
- ゲルマン人はルーン文字を使っていた
- ゲルマン人は北欧神話を崇拝する多神教だった
- ゲルマン人を政治利用した人物にアドルフ・ヒトラーがいる
ゲルマン人は多くのヨーロッパ国家の成立に関与した民族になります。
ローマ中心であったヨーロッパ世界を大きく変えたゲルマン人たちは、歴史の流れそのものを変えた人々でもあるのです。
ゲルマン人の残した影響を知ることで、ヨーロッパの世界史をより楽しみやすくなり、また理解しやすくもなります。
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