紀元前1世紀のローマは広大な領土を持っていましたが、内戦により荒れ果てていた時代でもあります。
その時代を利用するように多くの野心家が登場し、それぞれが権力を巡って内戦を繰り返していた時代です。
この内戦の時代で台頭した英雄がいます。
最も有名なローマ人のひとりである、カエサル(シーザー)です。
今回は古代ローマの英雄カエサルについてご紹介していきます。
目次
カエサルの生涯
カエサルは没落した名門貴族出身
カエサルの少年時代についての記録はあまり残されていません。
カエサルが生きた時代はローマが貴族=元老院や富裕層に支持された閥族派と、貧しい一般市民に支持された民衆派に分かれて争い合う時代です。
カエサルは民衆派の一族に属する人物として生を受けています。
カエサルの一族は名門貴族ではあるものの、他の貴族の家に比べるとそれほど多くの有力者を出してはいませんでした。
カエサルは、族閥派=元老院派の有力者スッラがローマで力を持つと、ローマから属州へと亡命し、そこで兵士になります。
カエサルが政治活動を開始する
スッラの死後にローマに戻ったカエサルは、弁舌家として有名になります。
カエサルは悪徳政治家などを、感情的な言葉と大げさな身ぶり手振りで告発していくというスタイルで名を上げていきます。
やがて軍団司令官に選出されたカエサルでしたが、この当時に起きた剣闘士スパルタクスによる反乱=第三次奴隷戦争などでは全く活躍していません。
後のライバルである、ポンペイウスやクラッススたちはこの戦乱で活躍して名をあげています。
カエサルは政治的なキャリアを進み、やがてスッラの孫娘であるポンペイアと結婚します。
ポンペイアは裕福であったため、その財産を使いカエサルは買収工作や陰謀のための費用に使うことになるのです。
カエサルは反乱を扇動したり、クラッススと組んでローマの権益を独占しようとしているという噂も流れましたが、どちらも未遂に終わります。
カエサルは三十代前半の頃から野心家であり、謀略を行う才に長けていたのです。
カエサルが最高神祇官になる
カエサルは不動産投資で大金持ちになっていたクラッススなどから大量に借金をして、多くの買収工作を成功させます。
借金の甲斐もありカエサルは一生涯続けられる名誉職である最高神祇官に就任することになるのです。
神秘が支配する古代世界では、神々へ捧げる儀式や祭の細かい指示を出すこの役職は大きな権威を持っていました。
本来は老人などが選出される役職なのですが、カエサルは金をばらまくことで選挙に勝ち、この役職になれたのです。
政治的な権威を得るために、最高神祇官という肩書きが欲しかったわけです。
しかし同年にカティリナ事件が起きます。
これは一部貴族によるローマへの反乱計画でしたが、未然に発覚して頓挫します。
逮捕された貴族たちを大物政治家であるキケロは厳しく断罪し処刑していきますが、カエサルは処刑に反対の態度を貫きます。
その態度に怒った民衆に殴られて、その年は自宅に引きこもることを選んだのです。
じつはカエサルとクラッススはこの事件にも関与していたのではないかと伝えられています。
カエサルの三頭政治の始まり
カエサルは政治的なキャリアを進み続けて、順調に出世していきます。
属州であったスペイン地方の総督(その土地の支配者で税金を徴収する最大の責任者)になり、ローマに属していなかった部族を従えることにも成功します。
総督時代にカエサルは財産を作りあげることにも成功しています。
政治家としての権威と財産を得たカエサルは、より大きな権力を目指して軍事的な天才であるポンペイウスに目をつけました。
ポンペイウスは多くの戦で名をあげた軍人です。
地中海の海賊を退治したり、東方の国々を平定してローマに大きな貢献をしてきた戦上手になります。
軍事的な功績こそ十分なポンペイウスでしたが、元老院からの評判は良いものではなかったのです。
それを不満に思っていたポンペイウスにカエサルは密約を持ちかけます。裏で自分と手を結び、お互いの利益になるように助け合おうという形です。
政治力はあるものの実績のないカエサルと、軍事力に長けたものの政治力に劣るポンペイウスの結託は両者にとって良いものでした。
カエサルはこれにローマ最大の資産家のひとりであり、長年のパトロン(経済的な支援者。政治活動のための資金などをくれる人)であったクラッススも参加させます。
クラッススを参加させた目的は金でしたが、政治的な理由もありました。
クラッススはカエサルと敵対する元老院に近い派閥に属していたため、議会を操るためには必要な人物だったわけです。
つまり対立している与党と野党の有力者が裏で手を組み、お互いに利益を与え合うような法律の立案を目指すというスタイルを作り上げたのです。
こうしてカエサルの政治家としての手腕と民衆派としての立場、ポンペイウスの圧倒的な軍事的才能、クラッススの莫大な財産と元老院派への影響力が組み合わされることになります。
これを第一回三頭政治と呼び、三者はお互いをフォローし合うことでローマ全土を事実上、支配していくことになるのです。
カエサルがガリア戦争で名をあげる
軍事的な実績の少ないカエサルでしたが、ガリア戦争(今のフランス周辺の地域)での勝利がローマでの名声を高めます。
ガリア総督の時期延長をポンペイウスとクラッススに支持されたこともあり、ガリアで軍を指揮しやすかったのです。
ガリアで多数の勝利を手にしたカエサルは政治的な力だけでなく、軍事力も手にすることに成功します。
なおカエサルが執筆したガリアでの戦いを描いた『ガリア戦記』という著作が残されており、ガリアを征服するまでの経緯やガリア人の文化などが記されています。
カエサルたちの三頭政治の崩壊
三頭政治でローマを支配していたカエサルたちでしたが、クラッススは昔の奴隷戦争で活躍して以降、金こそあるものの政治的にも軍事的にも功績が足りません。
クラッススは東方の強国であるパルティアを倒すことで自分の権威を強めようと遠征に出発しますが、この遠征に失敗、戦死してしまいます(カルラエの戦い)。
クラッススを欠いたことで三頭政治のバランスも崩壊し、カエサルは三頭政治の共通の敵であったはずの元老院に接近していきます。
その結果、カエサルとポンペイウスは対立し合いローマの内戦が始まることになるのです。
ローマに進軍してきたカエサル軍に対して、ポンペイウスと元老院派(カエサルに警戒を強めていた)は、ポンペイウスの支持基盤であるギリシャに撤退、カエサルにイタリアを取られてしまいます。
ギリシャでの戦はカエサルの戦術と古参兵の結束、そしてポンペイウスと元老院派の寄せ集め軍団ゆえの指揮系統の乱れの結果、カエサルが最終的に勝利します(ファルサルスの戦い)。
ポンペイウスはエジプトに撤退しますが、エジプト側はカエサルの報復を恐れてポンペイウスを殺したのです。
こうしてカエサルはローマ最大の権力者として君臨することになります。
【関連記事】
カエサルの暗殺
ポンペイウス死後、元老院派の議員らを死に追い込んでいったカエサルは終身独裁官(死ぬまでローマのトップ)の座を得ます。
君主制を目指して独裁色を出していくカエサルに対して、ローマ市民の人気は下がっていくことになるのです。
カエサルの独裁は、共和制という民衆の話し合いで物事を決めるという伝統を保ってきた多くのローマ人からは反発されることになります。
そして市民からだけでなく議員たちからもカエサルは憎悪されていました。
カエサルは占い師から「3月15日に気をつけろ」と予言されていましたが、その当日に占い師と出会います。
「何も起こらないではないか」と発言したカエサルに「3月15日はまだ終わっていない」と占い師は返答したとも伝わります。
パルティアへの遠征を企画していたカエサルでしたが、遠征時の不在についての政治運営を決める会議に参加したところを暗殺されてしまいます。
マルクス・ブルトゥス(ブルータス)やカッシウスなどが実行犯であり、カエサルは独裁者の権利を抱いたまま死亡したのです。
その後、マルクス・ブルトゥス(ブルータス)やカッシウスらは、カエサルの腹心であるアントニウスに殺されそうになりますが、一度はローマ市民やカエサルの支持層に反対されて、危機を逃れることになります。
ローマでの独裁は、たとえ大人気の英雄カエサルであったとしてもローマ人から許されない行いだったのです。
カエサルの人物像
カエサルは権力欲の権化
有力政治家や有名人の悪口を言って民衆の支持を集めるという現代にも通じる話術の使い手です。
買収や多くの陰謀など、政治家らしい人物と言えるような性格をしています。
金よりも名誉、名誉よりも権力、という典型的な野心家であり、軍事的な英雄というより巧みな政治力で権力を掌握した人物になります。
民衆派だった伯父の影響力を利用し(若い頃は民衆派の誘いを断る)、ときには敵である元老院派にも接触しています。
民衆を扇動して政治利用する力にも長けていました。
話術だけでなく、文才もあったため、政治家としてのスキルを完璧に有していた人物です。
善人や思想家であるわけではなく、政治家として天才なのがカエサルになります。
尋常ならざる権力欲と、有能な政治的なスキルがあったことでカエサルはローマを支配しました。
カエサルはハゲていた
カエサルの外見がそこまで良くありませんでした。
ハゲていて、体格はゴツく、背が高かったのです。
優男の美少年が理想とされるような当時のローマの美意識からは、真逆である人物になります。
カエサルは頭も大きな人物であり、容姿に関しては大きなコンプレックスを抱えていたと伝わります。
ハゲを隠せる月桂冠をかぶる権利を得られたときは、大変に喜んだともされているのです。
カエサルは女たらし?
三度の結婚と多数の愛人がいたことでカエサルは知られています。
ハゲの女たらし、すべての元老院議員の⅓の妻と関係を持っている、などと評されていたのです。
多くの不倫関係を持っていた人物であり、性生活に現代人よりもはるかに開放的すぎるローマ人の中でも、女たらしと評価されたことを考えるとよほどの女性関係だったのかもしれません。
最も有名な愛人はクレオパトラになり、ポンペイウス死後、カエサルがエジプトに出かけたさいに弟と争っていたクレオパトラの肩を持ったことが出会いとなります。
クレオパトラはカエサルの子カエサリオンを産んだとされますが、諸説あります。
クレオパトラの政治的手腕を考えれば誰の子か分かりません。
なおクレオパトラは政治的な愛人を数多く作った人物でもあり、自分の二人の弟と結婚、ポンペイウスの息子の愛人でもあり、カエサルの部下アントニウスと結婚もしています。
多数の女性と関係を持っていたと考えられるカエサルでしたが、子供がほとんどいないことも特徴です。
カエサルの恋愛も政治色の強いものであり、夜這いをかけられそうになった妻を離婚し、夜這いをかけようとした人物に恩を売ったこともあります。
エジプト女王クレオパトラなどは政治的な愛人そのものだったかもしれません。
妻の財産を利用して出世もしています。
女性を利用するという人物としても、善悪はともかく優れた能力があったのかもしれません。
なおクレオパトラはローマ人からは異国の女王であるため、クレオパトラに近づくほどローマ人からの評価が下がります。
民衆の力が強いローマでは、ローマ人以外に媚びることは大きな政治的なリスクとなるわけです。
ローマが支配する当時の地中海世界において、クレオパトラの愛人に天寿を全うすることが出来た者は皆無になります。
カエサルもその一人になるわけです。
カエサルの名言
「来た、見た、勝った」
ゼラの戦いに勝ったカエサルがローマにいるガイウス・マティウスに手紙で報告した際の言葉です。なお、古典ラテン語で「Veni, Vidi, Vici」と書いてありました。
「アレクサンドロスの年齢に達したのにも拘らず何もなしえていない」
アレクサンドロス大王の像を見て、自分への失望と権力欲の大きさを表す言葉です。
「賽は投げられた」
ポンペイウスと対立し、イタリアのルビコン川を渡る際に放ったと言われる言葉です。当時は、軍を率いてルビコン川を渡ることは法によって禁じられていました。
賽(さい)とはサイコロのことであり、一度投げたサイコロはやり直しがきかないことから「行動した今は断行あるのみ」という意味だと言われています。
「共和政ローマは白昼夢に過ぎない。実体も外観も無く、名前だけに過ぎない」「私の発言は法律とみなされるべきだ」
独裁者としての意識が如実に現れた言葉です。暗殺に繋がった言葉とされています。
「ブルータス、お前もか」
暗殺されたときの最後の言葉とされている非常に有名な言葉です。
「カエサルのものはカエサルに」「神のものは神に」
カエサルではなく、イエス・キリストの聖書での言葉です。世俗的な社会への服従と、宗教的な服従は別物であるという意味です。
なお、当時はカエサルは死没しているため、ここでの「カエサル」はローマ皇帝を意味します。
「君たちにはわからないのかね。あの若者の中には多くのマリウスがいるということを」
若いカエサルの処刑が周囲が取り止めるよう嘆願した際に、しぶしぶカエサルの伯父であり政敵のスッラが受け入れた際に放った言葉です。
「夫たちよ、妻を隠せ。ハゲの女たらしのお通りだ」
古代ローマでは皇帝の凱旋式の際に皇帝をからかう習慣がありましたが、上記がカエサル配下の兵士たちが放ったジョークです。
まとめ
- カエサルは政治的な天才
- カエサルは三頭政治を行う
- カエサルはガリア遠征で人気者になる
- カエサルのパトロンはクラッスス
- カエサルは女たらしだが子供は皆無
- カエサルはポンペイウスを倒して独裁者になる
- カエサルの愛人にクレオパトラがいる
- カエサルは独裁に反対するローマ人に暗殺された
古代ローマの英雄であり、神格化もされたカエサルです。
カエサルの名前であるユリアスから「7月」(July)がつけられています。
しかしカエサルの独裁はローマからは歓迎されず、暗殺されてしまうことになるのです。
権力欲が強く、権力掌握のためのスキルに長けたカエサルでしたが、その力ゆえに暗殺されることになったのです。
カエサルの独裁失敗は、カエサルの継承者であるアウグストゥスの慎重さに活かされることになります。
コメントを残す