セントラリア|50年以上燃え続けるゴーストタウン

セントラリア

アメリカ・ペンシルベニア州コロンビア郡の町、セントラリア(Centralia)
19世紀後半から石炭鉱業により栄えた町は、1962年に発生した火災のためにゴーストタウンと化し、その火災はなんと、50年以上たった今でも燃え続けているのです。
町にはいったい何が起きているのでしょう。

セントラリアとは

セントラリアは、ニューヨークから西へ約240kmほどに位置する田舎町です。
ペンシルバニア州の北東部は、アメリカで唯一の無煙炭の産出地で、セントラリアとその周辺も良質な無煙炭が採掘され、炭鉱の町として栄えました。

その歴史はアメリカ独立前にさかのぼり、インディアンから白人に土地が売られたことに始まるといわれています。
1860年代から1870年代にかけては伝説の秘密結社「モリー・マグワイアズ」による犯罪活動の
舞台にもなりました。

「無煙炭」というのは炭化の進んだ石炭のことで、火力が強く、燃やしても煙がほとんど出ません。煙が出ないから「無煙炭」、わかりやすいネーミングです。
セントラリア周辺で取れる無煙炭は質が高く、貴重な収入源として町の活性化に役立っていました。

1890年代には約2700人ほどの住民が住んでおり、小さいながらもインフラや商業施設が整った立派な町だったといわれています。

しかし、そんな町の活況も、20世紀後半になると次第に変化します。

火力発電所や鉄工所では歴青炭(れきせいたん)が重宝され、無煙炭は次第に廃れていきます。
「歴青炭」と聞くとなんだかとても良さそうに感じますが、いわゆるふつうの石炭です。

さらに、エネルギー源の石油への転換が追い打ちをかけます。
石炭の産出地では炭鉱地が次々に閉鎖され、石炭会社が撤退。セントラリアも例外ではなく、町は徐々に廃れていきました。

セントラリアの火災長期化の理由は?

セントラリアの道路の裂け目から煙が上がっている(https://explorationproject.org/centralia-pennsylvania/)

1962年5月、そんなセントラリアの町をさらに揺るがす、大きな事件が発生します。
それが、炭鉱の跡地にあったゴミ集積所で火の手があがり、地下の炭鉱に燃え広がったことによって発生した坑内火災でした。

火災が発生した原因はわかっていませんが、ボランティアで町の清掃を行った消防士がゴミを燃やしたところ、地下の鉱脈に引火したというのが定説となっています。

真偽のほどは定かではありませんが、この話が真実だとすると、町のために活動するボランティアが町を崩壊に追いやるミスをしてしまったわけで、皮肉な話です。

燃え広がった火はとどまることを知らず、地面の熱は70℃から80℃にも達し、地下水は水蒸気となって地表に噴出しました。
地下水が失われたことで、地面はひび割れ、地盤沈下が発生します。
さらに、火災によって発生した煙や有毒ガスのため、住民には健康被害が多発しました。

町は火災の鎮火に乗り出しますが、消火活動はうまくいきませんでした。
火のまわりが速くて消火活動が追いつかず、技術的な問題や莫大な費用がかかるということもあって、政府は消火活動を断念。火災が発生した翌年の1963年に、あっさりと「人為的な鎮火は無理」と判断してしまいます。
ずいぶん諦めが早いですが、自然に鎮火するのを待つことになりました。

1960年代後半になると、有毒ガスは住宅に侵入するようになり、住民の生活は困難な状況になります。そのため住民は次々にセントラリアから去っていきました。

1980年代からは自治体の主導による町の移転が開始され、1992年になってようやく州から避難命令が出されました。
なんだか順番が逆のような気もしますが、結果、セントラリアはゴーストタウンと化したのです。
まだ住んでる人がいるにも関わらず、2002年にはZIPコード(郵便番号)も抹消されてしまいました。

現在のセントラリア

セントラリアは『サイレントヒル』のモデルとなった

1983年、政府はセントラリアの町を丸ごと移転させることを決定しました。
ほとんどの住民はこのときまでに近隣に移り住みましたが、自宅にとどまる住民もいました。

火は今も地下で燃え続けていて、いつ消えるのかわかっていません。自然鎮火するまでには数百年以上かかるともいわれています。

煙と有毒ガスの噴出も続いており、廃墟となった建物は多くが取り壊され、町へ通じる道は封鎖されて通行が遮断されています。
廃墟と化した町は、その様子からコナミから発売されたホラーアドベンチャーゲーム『サイレントヒル』の映画版のモデルになり、映画公開時は「リアルサイレントヒル」として話題となりました。

そのような状況にありながら、現在も完全な無人となったわけではなく、10人前後の人が住み続けています。また、映画の影響もあってか、これまでに多くの観光客が訪れたといいます。

世界の地下火災

セントラリアは驚きの事象ですが、実は世界には同様の地下火災が他にも起きています。
そのいくつかをご紹介しましょう。

インド(ジャリア地区)

インド・ジャリア地区の火災
インド・ビハール州ジャリア地区の炭鉱火災(http://www.musafirnamah.com/jharia-fire-zone-tourist-site/jharia-fire-nh/)

インド北東部、ビハール州のジャリア(Jharia)地区では1916年に炭鉱火災がおき、450平方キロという大規模炭田で70カ所で炭鉱火災が燃え広がっています。
インド政府は1996年以降になってようやく火災対策と住人の移住の計画を立案しますが、住民の多くは貧困のために転居が難しく、いまだに不正に採掘した石炭でその日暮らしをする人が多いといいいます。

オーストラリア(燃える山)

ウィンジェン山
オーストラリアの「燃える山」ことウィンジェン山(https://www.sciencetimes.com/articles/35341/20220103/burning-mountain-sacred-site-underground-fire-6-000-years-beyond.htm)

オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のウィンジェン山は、約6000年間続いているといわれる炭層火災で知られ、“燃える山(バーニング・マウンテン)”と呼ばれています。
確認されている中では世界で最も古い炭層火災で、アボリジニたちはこのあたりから噴き出す熱風を料理など生活に役立ててきたといいます。
現在は観光地となっていますが、周辺に地盤沈下などの問題が起き始めています。

トルクメニスタン(地獄の門)

トルクメニスタンの「地獄の門」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%AE%E9%96%80_(%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Darvasa_gas_crater_panorama.jpg)

“地獄の門”は、トルクメニスタンのダルヴァザという町にある天然ガス田です。1971年にボーリング調査をした際に落盤事故をおこし、有毒ガスが吹き出しました。この拡散を防ぐために火をつけたところ、現在にいたるまで燃え続けています。トルクメニスタン政府は観光地化することを望んでいたといいますが、生態系と住民の健康に悪影響を与えていることから、2022年になって閉鎖に向けての検討を始めています。

インドネシア(イジェン山)

インドネシアにあるイジェン山の青い炎(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E5%B1%B1)

インドネシア東ジャワ州バニュワンギ県にあるイジェン山では、火口から噴き出した火山ガスが常に燃え続け、約600℃の青い炎が立ち上がっています。現在も硫黄鉱山として採掘が行われており、地元の住民たちは有毒なガスが吹き出す中で重労働を続けています。その一方で観光客が激増し、観光資源となっています。

中国(リュウファンゴウ炭鉱)

中国のウイグル自治区ウルムチ市の炭鉱では、1874年に火災がおきました。長い間燃え続けて硫黄臭いため、いつしかリュウファンゴウ(硫黄溝)と呼ばれるようになりました。2000年に消火活動が開始され、130年にもわたって燃え続けた火災は2004年になってようやく鎮火しました。

実は日本でも、日本でも、北海度夕張市で「神通坑(じんつうこう)と呼ばれる、大正時代から今も続く地下火災があります。こちらは地元の住民にも忘れられた存在だといいますが、セントリアも含め、観光地と化しているところもたくさんあります。当然ながら有毒ガスの噴出や地盤の崩落など危険なところも多いので、行ってみようという方はくれぐれも気をつけてくださいね。

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