たくさんの民族が世界には存在していますが、世界で最も人口の多い民族は漢民族になります。
中国人の大半を占める民族として有名な漢民族ですが、この漢民族とはどういった人々になるのかを知る機会は少ないものです。
今回は中国の支配的な民族である漢民族についてご紹介していきます。
どんな歴史や特徴を持った民族なのかもまとめています。
目次
漢民族はどんなルーツを持つ人々なのか?
漢民族の起源
漢民族の起源として考えられているのは漢帝国になります。
古代中国において農民出身である劉邦により建国されたのが漢帝国です。
紀元前206年に生まれたこの漢帝国こそが、漢民族という名の語源となっています。
もちろん漢民族を名乗る前からも「漢民族の先祖」となる人は中国に住んでいたことになります。
漢民族のさらに古い起源:華夏族
漢の時代以前の黄河流域に暮らしていた人々のことを華夏族(かかぞく)と呼び、彼らが漢民族の先祖になると考えられています。
この華夏族の由来も一つではなく「二つの民族」に由来すると考えられているのです。
「華族」とは殷王朝を打倒した周王朝の武王(在位紀元前1046年~紀元前1043年)が、自身の一族のことを「華族」と称したとされます。
さらに殷王朝より以前にあったとされる夏王朝(紀元前21世紀~紀元前16世紀)の子孫たちのことが「夏族」と呼ばれていたのです。
この二つの民族を合わせて作られた呼び名が「華夏族」となるわけです。
漢民族はこの華夏族を継承した民族ということになります。
漢民族のルーツは古い
漢民族という言葉が生まれたのは今から2200年前になり、漢民族のルーツそのものは伝説的な存在でもある今から4000年前の夏王朝にまで遡ることになります。
2200年前と4000年前の王朝のどちらのルーツが正確であるのかは論争になります。
どちらであれ「古くから黄河周辺に住んでいた民族」が漢民族になります。
漢民族は長い歴史のあいだに多くの異民族や異文化とミックスする
少なくとも2200年前から漢民族は存在しています。
それから現在までには、多くの異民族や異文化との接触が繰り返されています。
漢民族が他の民族に影響を与えることもあれば、その逆に影響を与えられることもあったわけです。
漢民族の遺伝子的なルーツ
- 東アジアに広範囲に存在する遺伝子を65.7%が有している。
- 中国南部や台湾やオセアニア地域の、南の海に多い遺伝子を24%持つ。
- 中国南部から発生しベトナムやインドやフィリピンにも広まる遺伝子が30%ある。
- 中央アジアもしくはシベリアで発生した遺伝子を北部で地域によりばらつきがあるものの11~23%、南部では0~22%存在する。
5000年ほど前に中国を含む東アジアのどこかに生きていた人たちが、65%の漢民族の遺伝子的な祖先にあたります。
またシベリアやモンゴル経由で伝わって来た遺伝子もそれなりに持っているため、シベリアやモンゴルにも少なからずの先祖がいたようです。
漢民族の遺伝子上の特徴は地域によって異なっているため、古くからさまざまな民族との血縁関係を持っていた可能性を支持するものとなります。
なお黄河周辺から南下していき、アジアとオセアニアに広がっていったのではないかという説もあり、稲作などの普及ともその説は一致しているとの研究もあります。
漢民族の特徴
漢民族を定義する方法
中国では戸籍の上で「漢民族」と表記された人物が漢民族になります。
それ以外の人々は中国内にいる55の少数民族に分類されているのです。
中国全体では93%が漢民族であり、香港では92%が漢民族、マカオでは88%が漢民族になります。
なお台湾では95%の人口が漢民族です。
漢民族の特徴的な名字:漢姓
漢姓は漢民族の名字として使われているものになります(中国文化の影響を受けている日本や韓国の漢字表記の名字も含まれます)。
中国では名字が「王」「李」「張」などのように、漢字一文字で表す場合が多くありますが、一文字で表した名字は漢民族由来である確率が高いものになります。
二文字以上とくに三文字以上で表す名字は、漢民族以外の民族が由来となっているものです。
北魏(386年~534年)を建国したモンゴル系民族の名字である「拓跋(たくばつ)」は、6代皇帝のときに「元」という中華風の名字へと変えています。
また清(1616年~1912年)を建てた満州族の名字として使われていた「愛新覚羅(あいしんかくら)」なども代表的な漢民族以外の名字ですが、清が滅亡した後は融和政策にともない「金」という名字に変えることになります。
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つまり一文字の名字であったとしても、必ずしも2200年前からの漢民族という証にはならないのですが、一般的には一文字の名字は漢民族の名字となります。
中国においての漢姓は昔の国や英雄たちに関係するものを選んだり、またはその直接の子孫たちなどが使っています。
名字に対して民族的および歴史的な由来を持っているため、祖先崇拝の伝統や親族同士の結束を強めることにも機能しています。
漢民族の身体的な特徴
- 足の小指の爪が2枚ある。小指の爪の外側に小さな爪(副爪)があることがある。
- 前歯の裏がスプーン状に凹む。
- 蒙古斑が出ない。
- 肘を曲げると関節の上下に「漢民線」という独特のシワが発生する。
こういった遺伝的な形質を持っていると先祖に漢民族がいる可能性があります。
漢民族の華僑は経済力と政治力を持っている
中国国外にいる漢民族、いわゆる「華僑」は多くの経済力・政治力を有しています。
インドネシアにおける90%の資本は華僑の商人たちが握っているとされています。
18世紀から有力商人としてインドネシアやベトナムなど、東南アジアの各国に進出した華僑の商人たちは商業を行うだけでなく、中華街を築き人口を増やしていったのです。
漢民族系の住民が増えていったことから、経済力だけでなく政治力も有するようになっています。
商売のためや貧困や飢餓からの脱出、中国国内に起きた事件や紛争の結果としても華僑は世界中に広がっています。
漢民族の歴史
- 紀元前21世紀~紀元前16世紀:夏王朝を創立した一族「夏」と呼ばれる。
- 紀元前16世紀~紀元前1066年:周王朝、自分たちの一族を「華」と称す。両者を合わせて黄河流域に住む諸民族を華夏族と呼び、それらが漢民族の祖となる。
- 紀元前206年:漢帝国建設。漢民族の由来となる。
- 紀元前206年~紀元後220年:漢の時代に中国各地に広がっていく。諸民族との混血が進む。漢時代において戸籍表記では最大6000万人の人口を誇るものの、やがて衰退。500万人になる。
※西暦元年で世界人口は2~4億人と考えられているため、漢帝国人=漢民族と考えた場合では、人類の4人に1人が漢民族という時代であった可能性があります。
- 4世紀ごろ:鮮卑などの北方遊牧民族に追われ、一部が南下する。
- 581年~618年:隋が300年ぶりに中国を統一。
- 618年~907年:唐が広範な領土を獲得。
- 1271年~1368年:モンゴルの元王朝が中国全土を支配。なお1368年以後に元は都を捨て撤退したが1635年まで北元として存続。
- 1368年~1644年:明の治世。
- 1616年~1912年:満州族の愛新覚羅氏の王朝。
遼(916年~1125年)・金(1115年~1234年)・元・清の四つの王朝は征服王朝といい、漢民族以外の民族により中国の広い範囲が征服された王朝であることを意味します。
他の時代においても異民族による王国が無数に建設されていますが、中国の領土の全てを征服しているという範囲ではないため、征服王朝とは分類されないのです。
どうあれ長い期間にわたり漢民族以外の王朝があったことになります。
そのあいだにも文化や血筋の交流が起きているため、漢民族が持っている人種的な背景と文化は複雑さを増していくことになるのです。
中国が漢民族を含めて56もの民族に分かれた多民族国家であることも、この複雑な歴史を反映してのことになります。
漢民族は人種というよりも・・・
さまざまな民族や文化などが2200年のあいだにミックスしているため、漢民族をただ一つのルーツを持つ民族だと考えることは不可能です。
ただし漢民族は厳格な意味での「人種」という使い方ではなく、古代の中国から継承した「漢字や中国語などの中華的な文化を使っている集団」という意味合いが強くなっています。
それは今に始まったわけではなく、古代の異民族の王朝においても支配者自ら同化していった傾向が見られます。
漢字や官僚制度や儒教などのが作り出す社会システムは、異民族にとっても使い勝手の良いものであったわけです。
同化することを示すことで民族間の対立を緩和したり、古くからの伝統を継承したことで権威を強めたりすることも可能になります。
民族という立場の政治的な利用は、大昔から行われていたのです。
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まとめ
- 漢民族の人口は多い
- 漢民族の歴史は古い
- 漢民族は多くの異民族と交流している
- 漢民族の名字は一文字が多く、異民族は複数の文字
- 漢民族はある意味では寄せ集め集団
- 中国は多民族国家である
長い歴史と広大な領土、そして多くの民族たちから作られている中国の歴史と文化は複雑になります。
それぞれの王朝にも独特の文化と、それ以前から継承されてきた文化もあるわけです。
影響を受けながらも影響を与えてきて、いろいろと混ざりながらも継承していくのです。
中華思想というものは、何でも取り込むというような考え方でもあります。
漢民族はその中華思想の体現者であるわけです。
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