フェニキア人とは?地中海交易の覇者について解説

古代ヨーロッパに覇権を持ち多くの土地や民族をつないだ優秀な船乗りたちがいます。

高度な航海技術をつかっていたフェニキア人は、古代の地中海を支配して周辺の国家に大きな影響を残しているのです。

今回はそんなフェニキア人についてご紹介いたします。

フェニキア人が歴史上において後世に残した大きな影響もまとめています。

フェニキア人と呼ばれる人々

フェニキア人の起源

フェニキア人は謎の多い民族でもあります。

彼らが歴史上に姿を現すのは紀元前15世紀頃になるのです。

それ以前はどこに住んでいたのかについては謎が多いのですが、歴史家のヘロドトスによれば「フェニキア人は紅海から来た」とされています。

語学的な考古学的な予測では、フェニキア人の先祖はイラクやシリアなどのメソポタミア文明周辺地域にいたアムル人(旧約聖書ではアモリ人やエモリ人として書かれる民族)ではないかと考えられています。

フェニキア人が都市を築く

(出典:Ancient History Encyclopedia)

フェニキア人の名前の由来でもあるフェニキアという都市は、古代の地中海の東端にあり今の時代でいうところのレバノンにあたります。

フェニキア人の船はレバノン杉で作られていますが、それはレバノンにあったティルスが本拠地だったからです。

地中海のイメージが強いフェニキア人ですが、地中海東端のレバノンに本拠地を持っていたことが船の建築資材の確保につながっています。

彼らはエジプトやバビロニアの影響を受けることにより文明を発達させていったと考えられているのです。

先祖とされるアムル人はバビロニアの文明からすれば野蛮人とされていた集団ですが、フェニキア人たちは技術の開発に熱心な人々であったようです。

フェニキア人は地中海東端に定住すると、すぐに地中海への航海に乗り出してその技術を高めます。

エジプトやバビロニアからの貨物を運び、ギリシャにもやって来ていたと伝わっています。

エジプトとバビロニアという巨大な国家のあいだに位置した土地で、両大国の文化や技術を吸収しながらフェニキア人は都市国家を建て始めていくことになり、それが紀元前15世紀のことになります。

フェニキア人が西へと進む

(出典:Boglewood)

紀元前12世紀になるとフェニキア人はその高度な航海技術を使うことで、イベリア半島にまで進出します。

イベリア半島とは今でいうスペインやポルトガルがある場所のことで、地中海の西の端になる地域です。

フェニキア人は地中海を東の端から西の端までも横断するほどの、航海技術を有した民族だったことになります。

フェニキア人はアフリカ大陸を西回りに一周している

紀元前600年頃にエジプトのファラオの命令により、フェニキア人たちは紅海から出発しアフリカの喜望峰を超えて、そのまま北上、3年後にエジプトに戻ってきたとされています。

それは1488年にバルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端の喜望峰をヨーロッパ人として初めて発見する2000年以上も前のことになり、フェニキア人の航海技術の高度さを示すエピソードとなるのです。

フェニキア人はヨーロッパ文明の父

フェニキア人が地中海交易によって文明をつなげていく

フェニキア人は高度な航海技術によって地中海の全ての地域を航行することができ、彼らは国際的な交易の主役となっていきます。

地中海の東西を行き交い、地中海の南側である北アフリカとギリシャやイタリア半島近くまでつなぐ航路を持っていたのです。

エジプトやバビロニアはもちろん古代に生まれた文明を地中海の交易により伝えていくことで、地中海を中心にしたヨーロッパ文明が発達していきます。

フェニキア人は「ヨーロッパ文明の父」とも呼べる存在となるのです。

フェニキア人がアルファベットの祖を作る

(出典:Ancient History Encyclopedia)

フェニキア人は中東から北アフリカに地中海の大半、そしてイベリア半島にまで旅をしていた民族になります。

そのため彼らは多くの民族と接触しているため、自分たちの言葉であるフェニキア語を文字として記すために作りあげたのが「フェニキア文字」です。

このフェニキア文字は当時の地中海に面した国家たちに普及していたバビロニアの「楔形文字」やエジプトの「ヒエログリフ」とは異なる特徴を持っていたのです。

何が違っていたのかといえば22個しか記号の種類がなかったからです。

楔形文字は28~30個ほどの記号を使い、フェニキア文字よりは多いわけです。

ヒエログリフに至っては、3種類の大雑把な文字体系に、見つかっているだけで30種近くの絵文字や図形、24個の表音文字に、意味を限定するための決定詞というものまであります。

ヒエログリフには絵文字の鳥が右を向いていれば右から読む、上を向いていれば上から読むなどの複雑さがあったわけです。

それらに比べてフェニキア文字は「圧倒的に覚えやすい文字」として人気を得て、フェニキアの商人により地中海に広まっていきます。

このフェニキア文字は後にギリシャで生み出されるギリシャ語の直接的なルーツとなり、つまりフェニキア文字はギリシャ語から発生する「アルファベット」の先祖になるのです。

ヨーロッパで広く使われている文字は、フェニキア人が編み出したフェニキア語の子孫になります。

フェニキア語のアルファベット以外の子孫たち

フェニキア文字からはアラム文字というものも生まれ、このアラム文字は現代のアラビア文字やヘブライ文字の祖先となっています。

さらには「ブラーフミー文字」もアラム文字に系譜を持つとされています。

ブラーフミー文字は、インド系の文字の祖となるものです。

インド、チベット、東南アジアなどで使われる文字たちの祖もまたフェニキア文字を祖先とする可能性があります(※ブラーフミー文字はインダス文明起源説もあります)。

最も古いブラーフミー文字は紀元前6世紀のものになり、有名なものの一つには紀元前3世紀のインドに設置された「アショーカ王法勅」に使われてもいるのです。

アジア地域にも大きな影響を与えた文字であるかもしれないことは興味深い事実になります。

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フェニキア人の植民市

フェニキア人は各地に植民する

フェニキア人が広めたのは交易による商品だけではなく、自分たちの子孫そのものも広めていきます。

地中海の各地に植民市を作っていきます。

この植民市は「新たな都市国家」を作るという作業であり、後には巨大な国家として発展していくものもあったのです。

フェニキア人の植民市カルタゴ

(出典:Civitatis)

最も有名な植民市の一つがカルタゴになります。

このカルタゴはイタリア半島から南西に位置する北アフリカにある土地で、今でいえばチュニジア共和国の海岸部です。

カルタゴはフェニキア人にとっての本拠地であるティルス(レバノンにある)と同じ守護神であるメルカルト(ヘラクレス神)を崇拝した都市国家になります。

紀元前814年に建国されたとされているカルタゴは、その後、フェニキア人が滅びた後も巨大な国家となり反映していきます。

紀元前146年に共和制ローマとの「ポエニ戦争」の結果に目坪数するまで大国であり続けることになるのです。

なお「ポエニ」の意味はフェニキア人という意味にあたります。

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フェニキア人の滅亡

紀元前9~8世紀になると中東方面で誕生した強国アッシリアにより、フェニキア人の本拠地であるティルスを中心に、レバノンにあったフェニキア人都市は征服されてしまいます。

アッシリアが滅びると新バビロニアにより、さらにその後はアケメネス朝ペルシャによってレバノン周辺のフェニキア人都市は支配されることになるのです。

その一方でカルタゴなどの海外に築いていた植民市は健在であり、地中海交易そのものは順調に成長していきます。

レバノンにあるフェニキア人都市国家の終焉は、アケメネス朝ペルシャを滅ぼしたアレクサンドロス大王によって訪れます。

生涯無敗だったアレクサンドロス大王と戦うことで、ティルス側の戦死者1万人、また3万人の市民が奴隷として捕らえられることになり、フェニキア人の威光は大きく失われ、マケドニア勢力に飲み込まれます。

アレクサンドロス大王によって西の「古代ギリシャ文明」と東の「古代オリエント文明」とが合流することになり、「ヘレニズム」という文明が誕生することになるのです。

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フェニキア人と日本人の共通点

歴史には多くの珍説がありフェニキア人が日本人の祖先と主張する人々もいます。

遺伝子の系譜を遡ることでフェニキア人と日本人に共通点が発見されたと主張するものもありますが、誤解を多分に含み、学術的な説得力に足るものとは言いにくいものです。

古代の中東で原始人が東と西に別れたときに共通の祖先がいたというレベルになり、遺伝子学上の直接的なルーツと呼ぶには大雑把なものになります。

正確にはフェニキア人と日本人にも「共通する祖先」がいた可能性があるだけで、フェニキア人が日本人の先祖と呼ぶには無理がある考え方です。

しかし高度な航海術に長けていたフェニキア人ならば、世界のどこにでもやって来ていた可能性もたしかにあり、それは歴史上のロマンになります。

故人ですが作家の有吉佐和子は、実家の家紋がフェニキア人の紋章と「似ている」ことから、紀伊=フィニキアの「キア」から紀伊となったという説を唱えています。

また弥生時代に古代フェニキアと同じ染色技術である「貝紫」があったとも考えられているのです。

アッキガイ科ホネガイというトゲの生えた貝は東アジアでは珍しく、日本にはいます。

この貝を潰すと紫色の染色液が取り出せ、布を美しい紫色に染めることが可能となるのです。

フェニキア人が弥生時代の日本にやって来た伝えたのか、同じ作業に利用することが可能な生き物がいたために全く関係なく発展した技術なのかのどちらかになります。

まとめ

  • フェニキア人の航海技術はとても高度である
  • フェニキア人は多くの都市国家を建設している
  • フェニキア人の交易により文化が広まった
  • フェニキア文字はアルファベットの先祖
  • フェニキア文字は中東の文字たちの先祖
  • フェニキア人の本拠地はアレクサンドロス大王に滅ぼされた
  • フェニキア人の海外の植民市であるカルタゴは共和制ローマに滅ぼされた
  • フェニキア人と日本にはいくつかの共通点がある?

地中海交易の覇者であるフェニキア人は歴史上に大きな影響を残します。

彼らの伝えたオリエントの文明や技術が、地中海で多くの文明を生み出すことにもつながります。

使いやすい文字であるアルファベットの誕生は多くの知識を人類に供与することになり、地中海で発展した文明は人類に多くの影響を及ぼしていくのです。

フェニキア人は古代世界における文明の発達を大きく促した偉大な民族になります。

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