世界には人体を大きく改造する処置を行う文化が、幾つも存在しています。
ミャンマーやタイの首長族や、唇にお皿を埋め込むアフリカのムルシ族など、多様な文化が存在しているものです。
我々のお隣の国である、中国にも人体に対する改造を行う文化がありました。
それが「纏足(てんそく)」です。
女性の足を小さく折り畳み、布や糸で長期間固定することで、骨格レベルから変形を強いることで作り出しています。
かなり痛そうですし、実際とても痛みを伴うもののようです。
そうまでして、昔の中国人女性は何を求めていたのでしょうか?
今回は、そんな纏足の文化についてご紹介いたします。
目次
旧来の説:男性を性的に魅了するために行っていた
1000年の歴史を持つ纏足
古来から中国では女性の足は小さいほど良いとされていました。この価値観は少なくとも10世紀頃には確立していたようです。
そして、その時代から纏足は行われて来ました。1000年の伝統を持つ文化だったようですね。
纏足をする理由は、それが美女の証だからと考えられています。
纏足をして、より足が小さな女性ほど好条件の結婚が行えるとされていたという説があり、事実、古い写真に残されている中国のエリート層たちの妻は、ほぼ例外なく纏足なのです。
つまり、美しい女性の条件の一つが、纏足により小さくされた足だったというわけですね。
古来の中国では、纏足をセクシーと評価されていた
折り畳まれた足部を蓮の花に例え、纏足のことを「金蓮」と呼んでいたました。纏足は、高い評価を得ていたのです。
もしも、纏足に失敗すると、金持ちの家に嫁ぎにくくなる。そういう価値観が存在しているため、母親たちは自分の娘たちの足に纏足の処置を施して来ました。
纏足は富裕層に嫁ぐための、美的なステータスだったわけですね。
ちなみに、女性の小さな足を好む価値観は、古くはヨーロッパにもあります。バレエのトゥーシューズなどで、ヨーロッパの貴族の女性たちも足を小さく、細く矯正していました。
今の価値観からでは、少し想像することが出来ませんが、そういう時代も存在してのです。
新説では別の側面にもスポットライトが当てられている
労働にまつわる価値
男性の性的価値観に沿ったものが纏足という文化の根拠とされていましたが、纏足には他の側面もあったのではないかという説も存在しています。
それは何なのか?
纏足が生み出す、労働的な価値についての側面です。
アメリカ人研究者、ローレン・ボッセンとヒル・ゲイツは、中国での調査の結果、纏足が比較的に貧しい農村部などでも行われて来たことを突き止めています。
貧しい農家においても、纏足という文化が伝承されていたことは、纏足が必ずしも富裕層に嫁がせるための文化ではなかった、ということの証にもなるわけです。
エリート層に嫁ぐはずもない辺境の地においての纏足に、美的な価値以外の何が存在しているというのでしょうか?
足の痛みを伴い、運動を制限してしまう纏足には、一つの産業的な利用価値があります。
纏足を施された足は、走り回ることが出来なくなるため、女の子に小さな頃から針仕事などの手作業を行わせることにつながっていたのです。
纏足を施された女児は手作業に向く?
纏足になるには激痛を伴う
纏足の処置は、まだ骨が柔らかく変形の処置に向いている4才頃から行われました。骨格を大きく歪める処置であり、その作業にはかなりの激痛が伴います。
まずは、親指を除いた四つの指を足の内側に大きく曲げ、その次の段階においては、足の甲の真ん中あたりから、足底方向に向かってくの字に曲げてしまうのです。
足部を横に畳んだあげく、縦にも折るという形ですね。それを段階的に行い、一生に渡る長期間の固定によって纏足は完成されます。
かなりの激痛と、ときには処置の後、数日間の発熱を伴う行為です。そのため、涼しくなった秋に、この処置は開始されていたようです。
纏足の足は動きにくい
纏足を施された足は、移動能力が大きく奪われてしまい、走り回ったり飛び回ったりすることは困難になってしまいます。そんなことをすれば激痛が生まれるからです。
そのため、この処置を施された女児たちは、幼い頃から走らなくなり、痛みを避けるために座っている時間が増えます。
その結果として、手作業による就労作業を母親に与えられていた。そんな新たな考察を、ボッセンとゲイツは展開しました。
子供を遊び回れなくして、仕事をさせる
纏足の持っていた、富裕層に嫁がせて楽をさせる……という側面とは、真逆ですね。
纏足は、エリートや美の象徴というだけではなく、手仕事労働者に従事させるための行いだとも考えられる。それがボッセンとゲイツが纏足に抱いた新たな説の骨子となります。
纏足女性の労働力は軽視されている?
評価されない労働者たち
纏足の結果、少女たちは母親と同じく座った姿勢のままでの作業に従事するようになりました。
昔の中国の農村部では、農業を行うだけでなく、糸を紡ぐなどの手を使った作業も兼業で行われていることが多かったようです。
家計を支えるために、女性たちは機を織り、縫い物や刺繍をして洋服や寝具、織物などを製造していきました。
彼女たちの手仕事による産業の貢献は、工業化前の中国では大きな産業的な価値があったと考えられています。
しかし、工業化以前の手仕事による産業貢献は軽視されがちで、どれほどの貢献だったのかを示す研究も乏しいものです。
失われた苦難の歴史
纏足を施された女性たちの労働や、それを強いられたプレッシャーや苦痛などの歴史は失われているのではないかと、ボッセンとゲイツは考えています。
手仕事はかつての中国において、多くの輸出物を生産し、工業化前の中国の経済を支える大きな要素であったのにも関わらずです。
伝えられることなく、誰にも評価されずに消えて行った女性たちの労働が存在していた可能性があります。
纏足という文化を評価する複数の視点
形以外も評価すべき
纏足という文化は、その特異な形状ばかりに注目が当てられて来ました。
しかし、その一方で、女性たち自身や女性たちの果たして来た多くの役割については注目されることは稀有なのです。
纏足をした彼女たちの手仕事に訊ねられることもなければ、高齢の女性に対して若い頃どんな仕事をして来たかと訊ねる研究者は、極めて少数になります。
かつての女性たちの労働と社会貢献は、きちんとした評価を受けていない実情があるわけですね。
ボッセンとゲイツは、その可能性を自分たちの論文で示唆し、我々にその事実を考察させる契機を与えてくれようとしています。
かつての世界が、どんな文化や技術からなる産業によって支えられていたのかを探求することに、歴史的な価値はあるかもしれません。
ボッセンとゲイツは旧来の説を否定しているわけではない
纏足には複数の視点で解釈が出来る
纏足が持つ美的な価値観を、ボッセンもゲイツも否定してはいません。
事実、多くの写真や証言が、纏足が生み出す美的な価値を裏付けています。
纏足は美女の証の一つであり、かつての中国の男性は、その小さく作られた足に、確かに美的な価値を見ていたのでしょう。
ボッセンとゲイツが求めているのは、より複雑な纏足に対する理解です。
そして、纏足が与えた女性への苦痛や移動の制限についても、忘れることは許されないことかもしれません。
まとめ
- 纏足は美しさのアピールポイントであった。
- それ以外にも、農村部などでは労働を強いるための手段でもあった。
- どちらにせよ、女性には大きな苦痛を与えていた。
特異な文化の裏側に潜んでいる多くの苦痛や複数の目的を再発見することは、文化や歴史をより深く考察させてくれるための道具になります。
纏足という特異な形状をした小さな足にばかり注目するのではなく、それがもたらした結果などを知ることは、歴史の探求には有益なことです。
その文化圏における美的な形状と、労働力に使役するための残酷な手段。それらが纏足という小さな足には秘められていました。
100年前には公的に禁止されて、今では中国にも纏足をされた世代は高齢化の結果、いなくなろうとしています。
ボッセンとゲイツの論文がなければ、纏足による理解を深める機会が一つ失われていました。
滅び去る定めの情報を集積し、未来に残す。それが、歴史をより精密な形で保存するための方法なのです。
歴史が失われてしまえば、その歴史を構成する人々を認識する手段を失ってしまいますので、それは何だか勿体なく思えちゃいますよね。
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