世界各地の民族にはそれぞれに伝統的なファッションが存在しています。
そして時にはその独自性と異なる美意識の結果、現代の感覚とは合わないヘアースタイルなどもあるものです。
今回ご紹介するのは日本の伝統的なヘアースタイル、「ちょんまげ(丁髷)」です。
ちょんまげにも文化的あるいは時代的な背景があるのです。
目次
ちょんまげの名前の由来
ちょんまげは漢字で書くと「丁髷」ですが、古くは「ゝ髷」と書きます。
「ゝ」は小さな髷をイメージさせるものであり、ちょんまげとは江戸時代の老人が少なくなった頭髪で結った「小さな髷」のことを指します。
髪が少ないことを揶揄した言葉でもあるわけです。
しかし日本語は揺らぐものであるため現代では「ちょんまげ」は「髷を結った髪型」のことを指す言葉になっています。
ちょんまげの形状:髷(まげ)と月代(さかやき)
ちょんまげの形状は頭頂部から後頭部の髪をまとめて、それを前方に倒す形が一般的です。
そのまとめた部分を「髷(まげ)」と呼び、頭頂部から前頭部の頭髪を剃りあげている部分を「月代(さかやき)」と呼びます。
髷と月代があることが「ちょんまげ」と呼ばれる髪型の基本的な条件になります。
ちょんまげの種類
銀杏頭/髷(出典:コトバンク)
- 丁髷(ちょんまげ):江戸時代の老人用の髷。少ない髪を結った貧相な髷であり、狭義の意味でのちょんまげ。
- 銀杏髷(いちょうまげ):江戸時代の男性の一般的なちょんまげ。前頭部~頭頂を剃り、後ろ髪が盛り上がっている形となる。
- 本多髷(ほんだまげ):江戸時代で流行した髪型。則頭部前半の髪を剃り、後ろ髪を盛り上げないでまとめる。頭髪の広がりが少なくスマートにまとまった形で、遊び人や商人の息子などの富裕層に流行。
- 大銀杏(おおいちょう):江戸時代の武士が好んだ。銀杏髷の髷部分を大きくして髪を結ったもの。現代の力士もこれにならうが、現代の力士は月代が無いため(前頭や頭頂部を剃っていないため)、江戸時代のそれとは異なる。
- 茶筅髷(ちゃせんまげ):安土桃山時代のちょんまげ。髪を縛って立てた髷のこと。織田信長などの髪型。本来は子供の髪型。戦国時代の「傾き者」に流行。江戸時代には廃れる。
※本多髷や茶筅髷の画像は下図参照。
ちょんまげは江戸時代に発達
髪型の変遷(出典:コトバンク)
江戸時代の髪型は多様性を獲得していき、職業や身分などのアイデンティティーを反映したファッションのひとつです。
武士
剛健さや誠実さを表すために大きな髷や、髷以外の髪をスマートにまとめることを好みます。
商売人
腰の低さなどが必須のスキルでもあるため、髷を小さくしたものが好まれたのです。
職人
短く太く、あるいは先端を荒々しく広げたものなどが好まれます。
武家出身者でも仕官が叶わないいわゆる「浪人」などは月代を剃ることがない場合も多く、身分以上に立場や職業的な性質を反映してもいるのがちょんまげになります。
ちょんまげをした理由
起源その1:古代の冠との関与
冠下の髻(出典:コトバンク)
ちょんまげの始まりは古代の服装と戦に関係があるとされます。
奈良・平安時代には「冠下の髻(かんむりしたのもとどり)」という髪型があり、これは当時の天皇や公家などの正装に冠があったため、髪を結ってこの冠(帽子)のなかに収まるようにしたものになります。
頭頂部から真上を目掛けるように逆立てて紐で縛り固定した髪型であり、デザイン的には志村けんの「バカ殿さま」の髪型が近しいものです。
あくまでも形状的な意味として、ちょんまげの原形とも言える髪型になります。
なお「髻(もとどり)」は中国北部の民族である女真族にも由来する髪型であるという説があり、髻という言葉自体は頭の上で髪をまとめたものを言います。
女真族に限らず紀元前3世紀頃の中国・秦などでも男性は髪を切ることはなく、頭頂部で団子状の髷を結い、それに冠を被せていたのです。
【関連記事】
起源その2:兜(かぶと)との相性
兜を頭に装着した際には蒸れてしまうことがあり、その蒸れを防止するために月代(さかやき)を剃り上げていたとされます。
月代を剃った残りの髪を結わえることで「ちょんまげ」という形に落ち着きます。
これも女真族がしていた辮髪(べんぱつ)と同じ理由になるため、古い時代の日本人の髪型には大陸北方系民族の文化的な影響があるのではないかとも考えられています。
なお、月代には正確な語源が不明であり、江戸時代の中期の幕臣である伊勢貞丈(いせさだたけ/1718年~1784年)の説が有力です。
伊勢貞丈曰く、本来は月代(サカヤキ)ではなく「サカイキ」であり、「兜をかぶると気が逆さに上るため、そのイキを抜くために髪を剃っていた」ということになります。
蒸れ防止以上の意味としてだけでなく、戦の最中に頭をクールダウンして冷静さを保つためなどの意味もあったのではないかという推察が江戸時代中期になされていたのです。
つまり、250年近く前から月代の正確な語源や名前の由来はよく分かってはいない状態のままというわけです。
【関連記事】
ちょんまげが普及した理由は?
正確な起源や理由は不明なままとはいえ、髪型としての月代は平安時代末期から鎌倉時代、室町時代、そして戦国時代において戦時に兜(かぶと)をかぶるときの髪型として行われています。
このことから戦に臨む気持ちの表れとして、武士道などが尊ばれた江戸時代において武士たちが月代(さかやき)を常日頃から剃るようになり、残った髪を結うことで「ちょんまげ」が誕生していったという説があります。
戦士としての心構えを忘れないためにという意味合いが「ちょんまげ」には込められてもいるわけです。
江戸時代に町民にまでその文化が波及した理由は、武士などへの憧れがあるのではないかと考えられてもいます。
ちょんまげ以前の髪型
戦国時代より昔である鎌倉時代や室町時代の月代は、戦が終わると剃ることはなくなります。
髪を伸ばして後頭部で紐で結ぶままにするか髷にしていたわけです。
これを「総髪(そうはつ)」と言い、室町時代までの一般的な男性の髪型であったとされます。
総髪は江戸時代以降は「非戦闘員」の象徴するようにもなり、医師や神官や学者などが「戦闘に携わらない」という思想の反映でこの総髪をするようになったのです。
時代劇の町医者などの髪型が総髪になります。
江戸時代後期・幕末の頃には総髪が流行して、学者だけでなく「思想家一般」を表現する髪型としても使われるようになり、坂本龍馬、近藤勇、徳川慶喜などが写真で総髪をしている姿が見られます。
ちょんまげが廃れた理由:散髪令
明治4年(1871年)になると西洋化の一環として散髪脱刀令が施行されます。
ちょんまげを切り洋式の服を着るような傾向を促進した法律になりますが、ちょんまげを禁止したわけではない法律です。
ちょんまげを結っていたとしても罰せられるという趣旨の法律ではないものですが、この法律が施行されると女性まで短髪にすべきという誤解が生まれて散髪するものが続発することになります。
明治5年(1872年)には「女子断髪禁止令」を出すことになったのです。
さらに明治6年(1873年)には断髪令(及び服装の西洋化)に反対する3万人が福井県で一揆を起こし、6人が騒乱罪により処刑されています。
庶民に人権などない時代であるため、政府からの言葉に逆らえば処刑されるか、政府に従順な市民による自主的なリンチにより迫害されるものであるという認識しかありませんでした。散髪令が出された結果として、ちょんまげは廃れていくことになるのです。
1939年には事実上のパーマ禁止令や、1943年2月からは日本人男性に対しては一号、二号、三号の「国民頭髪型」が定められるなど、髪型の管理は支配や統治の道具にも使われることになります。
現代に残るちょんまげ
現代でもちょんまげを結っている職種は大相撲の力士になります。
時代劇でも見ることが出来ますがカツラである場合も多いため、本物のちょんまげを見る機会は極めて少なくなっています。
類似する世界の髪型
世界にはちょんまげにも似た髷(まげ)や剃髪(ていはつ)の文化が存在します。
古代中国
頭の上に丸めた髷です。髪にも力が宿るという文化があり、一般的に髪を切ることはありませんでした。
例をあげれば、兵馬俑の兵士像があります。
古代日本
古墳時代や大和時代は「総角(みづら)」という髪型をしています。
聖徳太子の絵などで有名な髪型です。頭の両サイドにまとめた髪を結うスタイルです。
17世紀の中国/清
征服王朝の支配民族である女真族の髪型「辮髪」をすることが国民に義務づけられました。
頭頂部前半を剃り、後半分の髪を長い三つ編みにしたのです。
13世紀のモンゴル
さまざまな剃髪(ていはつ)があるが前髪を残すスタイルもあり、これは馬の「たてがみ」を模したものであるとされています。
基本的に帽子を被ることが正装の前提となっていて、帽子を被っていない者は奴隷でした。
アメリカ先住民族/モホーク族
いわゆる「モヒカン刈り」の元祖です。中央の髪の毛以外を剃り落として作ります。
キリスト教、仏教、ヒンドゥー教
「トンスラ」と総称される聖職者の剃髪文化があります。
カトリックの修道士会による頭頂部を剃ったスタイルで有名です。フランシスコ・ザビエルなどが日本人にはイメージしやすいです。
残された髪の毛はイエス・キリストの「茨の冠」を象徴しているため宗教的な意味合いが強い髪型。
ヒンドゥー教徒
「シカ」という頭頂部と後頭部以外の毛を剃ったスタイルです。辮髪にも似ています。
【関連記事】
アフリカのマサイ族
額の中央と左右の三カ所の前髪を結びます。
【関連記事】
髪を編む文化
少なくとも3万年前の壁画にはその描写が見られます。
カツラの文化
紀元前3200年頃のエジプトではカツラが使用され、人毛・羊毛・ビーズなどで飾りつけられていました。
まとめ
- ちょんまげは兜の蒸れ対策
- ちょんまげは江戸時代に庶民にまで流行
- 幾つかの種類があり身分や職業によって趣向が異なっていた
- ちょんまげは古代の冠を被るための髪型が起源?
- 月代(さかやき)の起源には謎があり、いくつかの説がある
- ちょんまげが廃れた理由は明治政府による散髪令
- ちょんまげに似た髪型は世界の各地にある
ちょんまげは起源の求め方によれば千年以上の歴史を持つ髪型になります。
日本の服飾文化や歴史的な背景によって完成された髪型であり、日本の歴史を振り返ることにも使えるものになります。
世界各地の民族や宗教団体などにも髪型には独自の思想・哲学を反映したものが多くるものです。
ちょんまげの歴史を知ることで他国の民族が髪や髪型に抱く考え方を学びやすくなるかもしれません。
丁髷って年寄り髪型では?
少なくなった髪を丁と乗せてるとかなんとか
違ったらごめん