キュベレーとは?キュベレー崇拝やクババ、歴史など解説

古代の宗教には女神という存在が多く登場します。

女性がもつ母性や出産できる能力、そして美しさや優しさなどを強調されたものが女神です。

女神崇拝は世界各地で行われていますが、古代のギリシャやローマにおいて謎の存在感を放っていたものがキュベレーになります。

「大地母神」「神々の偉大な母」と呼ばれるキュベレーは、現代人の感覚では狂気と言うしかないほどの信仰を集めていた女神です。

今回は古代世界において強大な権威をもっていた女神、キュベレーについてご紹介していきます。

大地母神キュベレーの歴史

クババ像(出典:wikipedia)

キュベレーは古代メソポタミアの女王クババ?

古代メソポタミアの南部都市シュメールには「クババ」という女王がいたとされます。

シュメールでは唯一の女王であったとされるクババは紀元前2500年ごろから2300年ごろの間にいたと考えられている伝説的な人物です。

クババが実在したのか、あるいは伝説として作られた人物なのかは不明ですが、彼女の名前と概念は大きな影響力を持っています。

クババは「偉大なシュメールの王の母親」であったと考えられているからです。

言い換えれば、クババは「偉大な王たちの祖」となる女王になります。

やがて時代が経つにつれ、1000年後の紀元前1300年代にはメソポタミア全域にクババは「女神」として広まっていったのです。

クババのための神殿が各地に建てられて、主要な神の一人として扱われるようになっていきます。

紀元前14世紀には都市の守護神であった女神クババは、メソポタミアの西に位置するアナトリア(今のトルコ)にある「フリギア」に伝わったのです。

フリギアではクババは「キュベレー」と名前を変えて祀られるようになります。

フリギアに伝わるときにキュベレーは、フリギアの女神である「アグディスティス」とまとめられました。

【関連記事】

キュベレーとアッティス

アッティス(出典:wikipedia)

女神アグディスティスは「両性具有」の女神でしたが、神々からその力を恐れられてしまい去勢されてしまいました。

その後、去勢されたアグディスティスの陰茎をもっていた娘が妊娠して、アッティスという美しい青年が生まれます。

やがて息子であるアッティスに恋をしたアグディスティスでしたが、アッティスは彼女の求婚を拒みました。

それでもなお女神に無理やり迫られると、アッティスは発狂して自ら去勢して死んでしまうのです。

アグディスティスはその死を悲しみ、アッティスの体が衰えも滅びもしないようにしたという神話が伝わります。

つまりは「死からの再生」あるいは「復活」をした神の子がアッティスです。

この二人の神々の信仰が与えてくれる恩恵は「不死」や「永遠の若さ」になり、アッティスの「自己去勢」という手段はアグディスティス/キュベレーへの信仰と共に広まります。

フリギアではアッティスにならい、キュベレーに自らの男性器を切り落として奉げるという信仰が行われたのです。

伝説ではフリギアの王までもが、去勢してキュベレーに男性器を奉げています。

フリギアのキュベレーはタカなどの猛禽や、ライオンなどを従える「獣たちの神」としての側面も持ち、去勢した神官たちが仕える有力女神だったのです。

ギリシャのキュベレー:大地母神とヘレニズム文化

ギリシャ・アテネの古代アゴラ博物館にあるキュベレーの彫刻
(出典:wikipedia)

キュベレーはやがてアナトリアから西へと伝わり、ギリシャの神々と融合するようになります。

ギリシャはアナトリアの有力な女神を、自分たちの神話の一部として迎え入れました。

ギリシャではキュベレーは最高神ゼウスから生まれたという設定となり、大地の女神レアや、豊穣の女神デメテルとも融合していくのです(あるいはそれらの女神の元になった)。

キュベレーは「女王」、「死と復活の神」、「獣たちの神」、「大地の女神」、「豊穣の女神」という数々の属性をもつようになります。

こうして「大地母神キュベレー」という、より偉大な存在へと集合していったのです。

なお、キュベレーとはギリシャ語であり、「髪のある女性」という意味を持ちます。

ギリシャにおけるキュベレーの信仰は、ギリシャ人入植地である北アフリカの都市まで広まることになり、国際的な女神として知られるようになったのです。

ギリシャ人であるアレキサンダー大王により建設されたエジプトの都市であるアレクサンドリアにも、キュベレーが伝わっています。

キュベレーはアレキサンダー大王の活躍により作られた、各地の文化の融合=ヘレニズム文化により、他の女神と融合しつつ国の枠を超えて広がっていったのです。

【関連記事】

ローマにキュベレーが伝わる

大地母神キュベレーはギリシャの西にあるローマにも「マグナ・マテル=神々の偉大な母」として伝わります。

キュベレー=マグナ・マテルをイタリアに招けば、どんな敵にもイタリアは負けないという預言があったからです。

当時は第二次ポエニ戦争の最中でした。

アフリカの強国であるカルタゴから侵略者としてイタリアにまで遠征して来たハンニバルが暴れまわるなかでは、キュベレーの預言に頼りたかったのかもしれません。

ローマはハンニバルを討伐することは叶いませんでしたが、やがてハンニバルはローマから撤退したため、キュベレー=マグナ・マテルの加護があったようです。

少なくとも当時のローマ人はそう考えて、キュベレーを勝利の神殿に祀ります。

ローマにおいてもキュベレーは強大な力をもつ女神として、「軍神」としても崇拝されるようになったのです。

キュベレーとは「女王」、「都市の守護神」、「死と再生の神」、「獣たちの神」、「大地の女神」、「豊穣の女神」、「軍神」という多くの属性をもつ「神々の偉大な母」になります。

キュベレー崇拝

キュベレーに対しての狂乱的な信仰

強大な女神であるキュベレーは多くの信者を獲得していったのです。

キュベレーに対しては「生贄(いけにえ)」が奉げられることになります。

その顕著なものは「男性の睾丸」です。

アッティスの神話にならい、多くのキュベレー信者の男たちが自ら去勢を行い、睾丸をキュベレーに捧げていきます。

去勢した信者、あるいは神官のことを「ガッリー」と呼び、彼らがキュベレー信仰の中心を司る熱狂的な信者たちです。

ガッリーは常に女性の服を着て「社会的には女性として扱われ」ています。

ガッリーたちは各国を放浪する者もいたようですが、気持ち悪がられることもあったようです。

「物言いが変」、「態度がやたらと大きい」という評価も残されています。

ガッリーたちは両性具有のキュベレーの去勢を真似る儀式、あるいはキュベレーの息子であるアッティスを真似ることで、キュベレーの寵愛を得ようとしたのです。

なお元々は牡牛や子羊の睾丸を奉げていただけだったようですが、信仰が深まるにつれて男性器を奉げる熱狂的な信者が現れていきました。

【関連記事】

キュベレーの信者たちの狂気

踊るキュベレー崇拝者を描いた作品(出典 :wikipedia)

キュベレー信仰は快楽主義的な側面をもっています。

大量の飲酒とドラムなどの打楽器を用いた激しい音楽と剣と盾を打ちならしながらの踊りなどが儀式として行われたのです。

快楽を追求した信仰方法であったため、熱狂的な支持を集めることも多い一方で、時代が経つにつれて公的な予算が集まるような祭儀ではなくなります。

そのため民衆のあいだに広まり、根強いスタイルの信仰として存続していくのです。

民衆だけではなく、大商人や一部の貴族などがキュベレーの退廃的な儀式や神殿建設のための資金を提供していたようだという研究もあります。

キュベレー信仰はあまりにも快楽的であったため、どこか地下に潜み秘密裏に行うべき信仰でもあったのです。

キュベレーとローマ皇帝

キュベレーの祭儀は淫靡ではありましたが、有力な女神であることは誰しもが認めるものです。

キュベレーはローマ皇帝に政治利用されるようになります。

初代皇帝であるアウグストゥスは自分の妻であるリヴィアとキュベレーを連想させるように、皇后と大地母神が描かれたコインなどを製造したのです。

キュベレーはアナトリアとギリシャの女神でもあるため、ローマ皇帝アウグストゥスは「それらを従えている」という政治的なメッセージでもあります。

また政治的にも健康的にも脆弱であった皇帝クラウディウスは、自身がキュベレーの末裔であることを主張しているのです。

アントニヌス・ピウスはキュベレーの祭日を企画しました。

キュベレーの祭日は多く、民衆に慕われていた女神だったのです。

そしてローマ・カトリック教会からは「背徳者ジュリアン」とも呼ばれる皇帝は公的な資金でキュベレー信仰の復活を目指しました。

その理由は国教になっていたキリスト教から、かつての多神教への回帰を皇帝ジュリアンが目指したからになります。

キリスト教以前のローマの宗教に戻ろうとして、多くの異教を復活させましたが、ジュリアンが信仰に力を入れていた神にキュベレーがいたのです。

しかしジュリアンの治世は短かったため、多神教への復帰は長続きすることはなく、ローマのキリスト教化は進んでいきます。

キュベレーはローマ市民にも根付いていた信仰であり、キリスト教の対抗する多神教の象徴という側面もあったのですが、時代の流れを変えることにはならなかったのです。

【関連記事】

キュベレー信仰の残したもの

キュベレー=「大地母神/神々の偉大な母」の信仰はやがて消え去っていきますが、キュベレー信仰に影響を受けたものも少なからず残っています。

聖母マリアへの信仰です。

キュベレーは「アッティス=死から復活した息子」の母親でもあるため、復活したイエス・キリストの母親でもある聖母マリアとイメージがかぶっています。

キュベレーの神殿の跡地に聖母マリアのための教会が建てられてもいるのです。

かつてハンニバルの脅威からイタリア全土を守ったのかもしれない偉大な女神への信仰は消えてはいません。

またキュベレーがギリシャやローマ世界に広めていった「死と再生」の概念は、キリスト教の成立を間接的にフォローしたのかもしれません。

まとめ

  • キュベレーはメソポタミアのシュメール女王クババが原形?
  • キュベレーはシュメールの女神だった
  • キュベレーはトルコに伝わり当地の女神と一体化した
  • キュベレーは息子アッティスに求婚したが、アッティスは発狂して自己去勢して死んだ
  • キュベレーはアッティスを復活させた
  • キュベレーはギリシャに伝わり、大地の女神や豊穣の女神と一体化した
  • キュベレーは預言によりローマに神殿が作られ、ハンニバルを撃退した軍神?
  • キュベレーの信仰は退廃的
  • キュベレーの信者は自己去勢して女性として過ごした
  • キュベレーは歴代ローマ皇帝がそれぞれの形で政治利用した
  • 背教者ジュリアンは多神教の宗教に戻すためキュベレーを使った
  • キュベレー信仰は途絶えたが、聖母マリアのモチーフの一つとなった?

4500年前のメソポタミアの女王は、もしかすると聖母マリアのモチーフとして未だに生き続けているのかもしれません。

メソポタミアにギリシャ、ローマという古代世界の文明国家たちの女神が合流した存在であるため、キュベレーはまさに「神々の母」という名前が相応しい女神です。

キュベレーがもつ多彩な能力と、去勢というショッキングな儀式はこの女神を印象深くさせます。

どこか邪教めいた雰囲気も持つ女神ですが、そこもまたキュベレーの魅力なのかもしれません。

1 個のコメント

  • 少々古記事にコメントすみません。
    シリア教会のマリア教会が、一部、異教の神殿に建てられたということを聞き及んでいます。

    その点、本記事では明瞭に、キュベレとマリア信仰が関連付けられていますが、大いに興味深いことです。
    もし差し支えなければ、そうした見方の情報ソースをお教え願えれば幸いです。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA