世界にはさまざまな宗教が存在しますが、その多くに神が「世界を作り出す創世の物語」と、そこに住む「人類を創造する物語」があります。
キリスト教でも人類を作り出したのは神とされているのです。
キリスト教における最初の人間たちはアダムとイブになります。
全人類の祖先としても有名なアダムとイブですが、彼らは神が作り二人に与えていた楽園を追放されることになるのです。
アダムとイブは何をして楽園を追放されたでしょうか?
今回は人類の祖であるカップル、アダムとイブについてご紹介していきます。
アダムとイブの誕生
アダムとイブの創造
キリスト教の創世神話では、神は世界を一週間で作り上げます。
海も山も植物も獣も鳥も作っていき、神は最後に自分の似姿であるアダムを土くれから作ったあと、七日目は休息日として休んだのです。
アダムは世界を作る一週間の六日目に作られた存在であり、神は自分の似姿としてアダムを作ってもいます。
神はアダムに自分が作った楽園「エデンの園」を与えましたが、一人で生きるアダムの孤独を癒すためにパートナーである女性「イブ」を作ることにしました。
キリスト教では、イブはアダムの肋骨(あばら骨)から作られたとされています。
アダムとイブの名前の意味
アダムの語源はヘブライ語の「アダム(土)」あるいは「地上の塵」になります。
イブはアダムにより名づけられたとされ、その意味は「生命」や「呼吸をする」です。
なお、アダムは神の命令により、地上の全ての生物たちに名前を与えた人物でもあります。
アダムとイブの原罪
キリスト教においては「原罪(げんざい)」という概念があります。
原罪とは人類の祖先であるアダムとイブが犯した神に対する罪のことです。
神はアダムとイブにエデンの園にあるものは何でも食べていいと許可を出していましたが、例外が二つだけあります。
禁断の果実である「善悪の知識の木の実」と「生命の木の実」です。
しかし、イブはあるとき善悪の知識の木の実を食べてしまいます。
その原因はヘビにそそのかされたからです。
善悪の知識の木の実にいたヘビに「善悪の知識の木の実を食べても死なない、神のように賢く善悪を知るようになる」と言われ、イブはアダムにその実を渡して一緒に食べて知恵をつけます。
善悪を理解し知恵を身に着けた二人は、裸であることに気づき恥ずかしくなって神から隠れたのです。
怒った神はヘビを呪い、自分の言いつけを破ったアダムとイブを楽園から追放します。
アダムには「労働して自分で食料を得る」という罰を、イブには「出産時の苦しみと夫に服従しなければならない」という罰を与えたのです。
また知恵をつけたアダムが生命の木の実を食べて永遠の命を得て自分と同じような存在になってしまうことを神が嫌ったことも、アダムとイブをエデンの園から追放した理由になります。
アダムとイブが神に逆らい、「知恵の木の実を食べたことで楽園から追放されたこと」が原罪です。
楽園から追放されたことで、その後の人々は苦しみながら生きることになります。
善悪の知恵の木の実を食べることの何が悪いのか?
では、賢くなることで誰かが損をしたのでしょうか?
誰も損をしないようにも感じられることです。
キリスト教の重視する「原罪」とは、そもそも何かということですが、その詳細をキリスト教は示していません。
キリスト教の原罪とは「神に逆らったことが悪く」、知恵の木の実を食べたことが「どうして罪になる」のかについては説明していないのです。
「神の言葉=聖書の説明していない何故か分からないこと」は「知らなくてもいい邪悪なことだから」になります。
神の言いつけに逆らい、エデンの園から追放されて苦しみの多い世界に追放されたこと全体が「原罪」です。
原罪と知恵の木の実
キリスト教が原罪を重視する理由
キリスト教において最終的な目標は「死後に復活して善良なキリスト教徒たちだけで永遠の楽園に住むこと」です。
かつて神に追放された楽園に戻るような結果が目的であり、そのためには原罪を解除しなければなりません。
人類の原罪を解除するために死んだとされる人物が、開祖であるイエス・キリストです。
イエス・キリストが死亡した理由は、いわば生贄となって全人類の身代わりとして原罪を解除するための罰を受けたからともされています。
キリスト教においてはアダムとイブの子孫である全人類は原罪を持っているので、神さまから許されるためには神の子であるイエス・キリストに従うことで原罪から解放され、死後の復活と、最終的に楽園で暮らせることが約束されるのです。
原罪はキリスト教徒になって善良に生きると解除される罰のようなものになります。
教会=キリスト教に従って善良に生きればいいだけですので、教会は原罪が「何なのかを説明しなくても」まったく問題なく信者を集められますし、信者もそれを知らなくても救われるのだから問題がないのです。
原罪は他の宗教にはないキリスト教独自の考え方ですが、上記のような理由から厳密に何なのかは定義されないままになります。
それぞれの宗派がそれぞれの時代で原罪とは何なのかを主張しますが、「アダムとイブが神に逆らったことが原因で子孫である全人類に受け継がれたもの」なのだということだけは変わらないのです。
原罪の罰の例
原罪のせいで人類は色々なデメリットを神から与えられたと考えられています。
- 労働する必要:男は汗を流して働かなければ食料が手に入らなくなりました。
- 出産時の苦しみ:出産時の痛みも神が全ての女性に与えた罰です。
- 夫に従う必要:神さまは女は夫に重々んでなければならない罰を与えています。
- たくさんの犯罪が起きる:人が悪事をするのも原罪のせいの罰です。
- 詐欺や嘘がある:知恵をつけたことによる結果です。
- 苦しんだり死ぬ:原罪のせいで苦しんだり死んだりします。
幅広い解釈ができるものであり、原罪に対する説明は宗派にも時代の影響も受けて変わります。
これらの苦しみから最終的に逃れるためには「イエス・キリストの信者になって、救ってもらうしかない」とキリスト教は考えているのです。
禁断の知恵の木の実
禁断の知恵の木の実が、具体的にはどういった植物のどんな実であったのかについては聖書には記述がありません。
しかし、ギリシャ神話や中東の神話の影響により、林檎に似ているというモチーフが出来上がっていきます。
中世のキリスト教文学である「失楽園(しつらくえん)」では、林檎として描かれたのです。
文学作品の影響により、知恵の木の実は林檎という俗説が広まる結果となったのです。
教会側も否定する材料がないため、広まった俗説は現代にも影響を与え続けています。
ただしエデンの園があったとされるペルシャ湾沿岸では林檎は育ちません。
知恵の木の実はバナナ?
知恵の木の実は林檎以外にも候補があります。
イスラム教では「エヴァのイチジク」と呼ばれているのです。
ですが、このイチジクはそのままイチジクのことを指すのではなく、バナナなのではないかという説もあります。
古代ではギリシャ人はバナナをイチジクと呼んでいたからです。
アレクサンドロス3世は東方遠征を行いインドでバナナを見たときに、それをイチジクと呼んだと伝わります。
もしかすると、知恵の木の実はバナナであったのかもしないのです。
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知恵の木の実を食べさせたのは悪魔サタン?
知恵の木の実をイブに食べるようにそそのかしたヘビは、キリスト教においては「悪魔=サタン」とされています。
またユダヤ教の伝説によれば、「リヴァイアサン」という海の怪物が正体ともされているのです。
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アダムとイブの子供
アダムとイブの最初の子供たち:カインとアベル
楽園を追放されたアダムとイブは苦労しながら生きることになりますが、やがてカインとアベルの息子たちを作ります。
カインは野菜や作物を育て、アベルは家畜を育てて暮らしていましたが、兄弟が神に奉げものをしたとき、神はアベルの奉げた家畜にのみ興味を示し、カインの供物は無視したのです。
カインはそのことを恨み、やがてアベルを殺害し、人類で初めての殺人者となります。
カインはその罰として世界を放浪することになりましたが、神はカインに印を与え、放浪先の民衆に襲われたら、その7倍の不幸がカインを襲ったものにかかるようにしたのです。
カインの子孫
カインの子孫であるトバルカインは金属加工職人の祖となり、その兄弟たちは遊牧民の祖や演奏家の祖となります。
ユダヤ教の伝承ではカインの子孫たちには悪人が多く、ノアの大洪水で滅ぼされたのは主にカインの子孫たちだったのです。
アダムとイブのそれぞれの宗教での違い
宗教によってアダムとイブと原罪の認識は異なる
旧約聖書を経典として採用しているユダヤ教、キリスト教、イスラム教にはアダムとイブのエピソードがあります。
しかし、それぞれの宗教において解釈の違いがあるのです。
三つの宗教で一致しているのはアダムが神に作られて最初の預言者であったことになりますが、イブや原罪については解釈がそれぞれに異なっています。
ユダヤ教におけるアダムとイブ
ユダヤ教においては、アダムとイブは全人類の祖ではなく、あくまでも「ユダヤ人の先祖」でしかないのです。
ユダヤ人以外の人間は、神が魂を注がなかった土くれでしかありません。
またイブよりも前に「リリス」という女性が作られてアダムの妻でしたが、浮気が酷く、堕落して悪魔の子を無数に産んでいます。
ユダヤ教には原罪などそもそもなく、死後の救済や天国=エデンの園に戻ることも絶対の教義ではないのが特徴です。
しかしキリスト教に近い考えを取る宗派もあったりと、一定ではありませんが、ユダヤ教はあくまでも神の加護による現世での利益を追求します。
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キリスト教のアダムとイブと原罪
キリスト教ではアダムとイブは「全人類の共通の祖先」になります。
アダムとイブのせいで原罪があり、イエス・キリストが原罪から人類を救ってくれるのです。
最後の審判で原罪から救われた善人のキリスト教徒は、エデンの園=天国に行けます。
なおイエス・キリストには原罪がありません。
その理論としては古いキリスト教の考えによると、人は母親の体のなかで精子が成長して作られるという考えがあるからです。
母親はただの精子を育てる容器という考え方だったため、卵子という母親由来の要素という発想もなく、精子=子供になります。
つまり神の精子で妊娠した聖母マリアの子であるイエス・キリストは、神の子であってアダムとイブの子孫ではないとも考えられたからです。
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イスラム教のアダムとイブ
イスラム教ではアダムの名前はありますが、イブの名前は「妻」としか表示されていません。
夫妻を騙したヘビは悪魔であり、楽園から追放された悪魔たちは人間を憎んでいます。
なお、イスラム教の悪魔は神さまを憎んではおらず、神さまへは一種の信仰心や忠誠心があり、神さまだけを祈りたいから神の似姿である人間に対立しているという側面も持っているのです。
イスラム教においては原罪という思想はありません。
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まとめ
- アダムは最初の人間
- イブはアダムのあばら骨から作られた
- アダムとイブはヘビに騙されて禁断の果実を食べてしまった
- 知恵の木の実は林檎やバナナ説がある
- キリスト教の原罪はアダムとイブのせい
- キリスト教にしか原罪という概念はなく、原罪は明確に何かは分からない
- アダムとイブの息子たちにはカインとアベルの兄弟がいて、カインは弟アベルを殺した
- ユダヤ教ではイブよりも前にリリスという女性が作られたという伝承もある
- ユダヤ教ではアダムとイブはユダヤ人の先祖であり、その他の人間の先祖ではない
- イスラム教ではイブという名前は出てこず、妻として表記される
アダムとイブの扱われ方は宗教によって異なります。
死後の復活を重視するキリスト教と、もともとは天国という概念がなかったユダヤ教においては特徴的な違いもあるのです。
それぞれの宗教が重視するテーマによって、同じ神話の解釈や設定も変わってきます。
キリスト教では「キリストによる救い」を理論武装する形として、アダムとイブの原罪は重視さているのです。
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