世界にはさまざまな生活様式をもつ民族がいます。
ヨーロッパにおけるジプシー(ロマ)は「旅」をする民族として有名です。
エキゾチックな魅力のある民族ですが、彼らが旅を生活の一部としていることにも理由があるのです。
今回はジプシーの名前の語源と、彼らの文化について解説していきます。
またジプシーが現代の文化にも与えた影響についてもご紹介いたします。
目次
ジプシーの基礎知識
ジプシーの総人口
ジプシーは現在においては世界中に分布している民族になりますが、主に南ヨーロッパから東ヨーロッパで暮らしています。
ヨーロッパにおける人口は700万~800万、あるいは1000万人ほどいるとされています。
ジプシーが移動する民族であることと、ヨーロッパの各地で差別を受けている民族でもあるため、その正確な人口を計ることは難しいのです。
出産した子供数を役所に届けないジプシーも少なくはありません。また国境を越えて自由に移動する人もいるため、どの国の役所が人口を調べる義務があるのかも分からないのです。
南北アメリカにも200万人近くが住んでいて、エジプトには170万人、トルコには50~275万人など住んでいるとも考えられています。
全世界では2000万人のジプシーがいると推定されています。
ジプシーは差別用語である
じつは「ジプシー」という言葉は差別用語とも考えられています。
ジプシーという名前は、彼ら以外の人々がジプシーを呼ぶために使われてきた(主に悪い意味で使われてきた)言葉です。
逆にジプシーたちは自分たちのことを「ロマ(またはロマニー)」と自称しており、また他人からもロマと呼ばれることを好みます。くれぐれも、ジプシーと呼ぶのは避けましょう(差別用語であるため)。
ジプシーと呼ばれる人々は特定の民族を指してはいません。
ジプシーとは「定住せずにヨーロッパを放浪していた人々すべて」に使われて来た大ざっぱな名称であり、旅をするそれぞれの民族への敬意には欠く名称になります。
また伝統的にジプシーに対しては悪いイメージも多く、物乞いをする、盗みを働く、疫病を招く、人身売買を行っているなどの悪評もつきまとう差別的な名称になっています。
日本ではジプシーは差別用語、放送禁止用語になっており、テレビなどでは使用しないこともあります。
日本のテレビなどではジプシーの主要な民族の一つである「ロマ」という呼称が使われています。
なお、ジプシーと呼ばれる人々には、ロマ系以外の人々も含まれているため、ロマ族という名称で全てのジプシーを呼称することには問題があります。
「ジプシー」の語源
ジプシーという名前はどこから来たのでしょうか?
じつはエジプトと関わりがあります。
かつてヨーロッパに辿り着いた彼らに、ヨーロッパ人は「どこから来たのか」とたずねました。
彼らは「エジプトから来た」と語り、そのことから「エジプシャン」と呼ばれていましたが、その言葉はだんだんと変化していき、「ジプシャン」「ジプシー」となっていきました。
ジプシーとは「エジプトから来た人」というような意味合いを持った言葉になります。
ジプシーの歴史
ジプシーの起源
ジプシーという言葉が歴史に登場するのは12世紀であり、西暦1100年頃にはギリシャに現れたと伝わります。
15世紀には西ヨーロッパの各地に現れるようになり、ドイツにおける最古の記録は1407年です。
ヨーロッパ各地につたわるジプシーたちの最も古い記述たちによると、彼らは小エジプトから来た、低地エジプトから来たと自称していました。
しかし遺伝子学的にジプシー(ロマ)を分析すると、彼らの起源は北部インドになります。
ジプシーは放浪生活が主であったために、学校などに通っている者が少数であり識字率も低かったため、ジプシーが故郷から旅立ち、ヨーロッパでどのような歴史を辿ったのかには多くの謎があります。
ジプシー自身の歴史は口伝や踊りなどの文化を使うことで受け継がれてはいますが、それらには正確さは欠けてしまいます。
ジプシーの考えられている歴史
インド北部に起源を持つとロマ語の話者であるジプシー(ロマ)たちは、いつインドを出発したのでしょうか?
ロマ語を話すジプシーたちが北部インドからヨーロッパに移動を開始したのは西暦1000年頃だと考えられています。
その移住は自発的なものもあれば、奴隷として売り払われた場合もあり、または迫害から逃れるための手段でした。
複数のルートでジプシーたちは北部インドからヨーロッパに向けて移動を始め、ギリシャなどのバルカン半島には1100年頃に到達し、その後に東欧に現れます。
13世紀にはヨーロッパに対してモンゴル人が攻撃を仕掛けるようになり、この圧力を受けてジプシーたちはより西へと向かうようになり、15世紀に入ると西ヨーロッパ全域に現れます。
西ヨーロッパに辿り着いたルートには、ギリシャや南ヨーロッパを通過したものだけでなく、東欧を通過したルートもありました。
この東欧ルートにおいてはジプシーたちは異民族として扱われるようになり、強い迫害の対象とされてしまい、人権を保障されることはなく奴隷として物のように売買されるようになります。
祖国をもたないジプシーは差別と迫害、虐殺の対象としての時代を過ごしています。
15世紀に西ヨーロッパに到達したジプシーたちは、当初こそは歓迎されることもありました。
イスラム教の勢力の強い土地から来たジプシーたちは時にイスラム教徒でしたが、元々はキリスト教徒です。
イスラム教からキリスト教に改宗したことで、西ヨーロッパはジプシーたちを歓迎しましたが、ジプシーと住民たちのあいだで盗難や暴力などのトラブルが発生するようになり、やがて関係性は悪化していきました。
またロマ語もインドからトルコなどの中央アジア、東欧・西欧を経由しているため、多くの方言が生まれていき、60を超える方言が存在するようになっています。
ジプシー狩り
ジプシーは中世ヨーロッパから近代、そして現代に至るまで差別と迫害を受け続けている民族になります。
町や村に定住しないジプシー集団は、早期に立ち去ることを求められるようになっていきます。
立ち去らない場合は暴力の対象ともなりました。
ジプシーには帰属する国家がないため、国家という大きな権力に守られることがないのです。
ジプシーはヨーロッパではユダヤ人並みに迫害される立場にありましたが、現代でもその過去はユダヤ人の歴史ほどに省みられることはありません。
中世の東欧ではジプシーは問答無用で殺されることもありました。いわゆる「ジプシー狩り」の被害にあったのです。
近代では、ナチス・ドイツによってユダヤ人と共に多くのジプシー(数万~数十万人ともいわれる)も絶滅政策の対象となり、虐殺されてしまいました。
ナチス・ドイツがアーリア人の末裔であることを誇りにしていたことを思えば、北部インド出身でアーリア系の民族であるジプシー(ロマ人・ロマ族)を虐殺したことは皮肉な話だと言えます。
ジプシーが差別された理由
- 国家に保護されていないため、迫害されても誰も守ってくれなかったから。
- 文化や言葉がヨーロッパ各国とは違ったから。
- 人種や肌の色がヨーロッパの白人とは異なっていたから。
- 盗みを働くジプシーたちが少なからず存在してトラブルが起きていたから。
- どこの土地でも少数派であったから。
ジプシーは傭兵や占い師などとしての短期的な雇用や娯楽の提供者としては重宝された人々でしたが、長く当地にとどまれば迫害される危険もありました。
ジプシーたちは追い出されるような形で、または自分の命を守ることを目的として、旅を続けるしかなかったという側面もあります。
ジプシーに対するヨーロッパ人のイメージは浮浪者であり、乞食やスリ、あるいは旅芸人といったものです。
ジプシーの文化
ジプシーの伝統的な見た目
伝統的なジプシーのイメージは黒い髪に黒い瞳、肌は浅黒いというものになります。
ジプシーたちの伝統的な衣装は、女性では腰の細さや、胸やお尻の大きさをアピールできるような、体のラインがよくわかる服装が好まれます。またロングスカートも特徴です。
幸運や富を呼び寄せるという意味から、コインをあしらった衣装もあります。
男性では腕や脚の長さを強調するような服装も好むイメージもありますが、女性よりも服装に関しては無頓着です。
ジプシーには美形である人や、音楽的な才能に秀でた人が多いともされ、そういった人々は旅芸人をすることでお金を稼ぐ方もいます。
衣装が派手な理由としては、そういった派手な服装を好むことと芸能的な商売に向くことが挙げられます。また定住しない人々であるため、お金を銀行などに預けず、服や装飾品に注ぎ込む傾向があるようです。お金に困ればそれを物々交換や現金化することも可能である利点もあります。
現代では定住してしまいジプシーの伝統的な放浪生活をやめた人々も増えています。
そういった方でも独特な派手な飾り付けを好むという文化は受け継いでいる場合もあります。
もちろん貧困層において放浪生活をつづけるジプシーの場合は、あまりよい見た目をしているとは限りません。
ジプシーの宗教
北部インド出身者が多いとされているため、インドを旅立った中世の頃にはヒンドゥー教を信仰していました。
しかし世代を重ねながら、それぞれの旅先で盛んな宗教に鞍替えしていった歴史があります。
イスラム教が盛んな土地で過ごした場合はイスラム教徒でしたが、ヨーロッパに到達すればキリスト教徒も増えています。
どの土地でも異教徒であることはリスクであったため、ジプシーは柔軟に宗教を選んできました。
現代では住んでいる地域によって信仰する宗教は異なります。
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ジプシーの家族と結婚
ジプシー(ロマ)は長老を頂点としており、結婚のスタイルは一夫多妻制や十代前半やそれより下の年齢の結婚を行うことも特徴です。
結婚については自由恋愛である場合もあれば、一族同士で子供たちを本人の意志とは関係なく結婚させることもあります。
ジプシーの文化や伝統は血縁を重視しているため、国境に関係なく分布している親戚同士のあいだでの婚姻が好まれます。
女性を巡って一族間での紛争も起こりやすいため、親戚同士の子供を婚姻させることでトラブルを抑止している側面もあります。
しかし現代では定住者も多いため、その土地の法律に対応するように児童婚を行わないようにすることもあります。
ジプシーダンスとフラメンコの関係
ジプシーは多くの文化をヨーロッパに残したとされます。
最も有名なのはタロットカードによる占いかもしれません。
タロットカードはジプシーの占いが発祥なのではないかとも考えられています。
またフラメンコなどの激しいリズムのダンスにも、ジプシーのダンスが影響を与えているとも考えられています。
リズムの激しさや衣装の大胆さなどに、両者は共通点があるともされます。
ただしジプシーの文化そのものも他の文化から多くの影響を受けています。
フラメンコもスペインにいたイスラム教徒たちが、キリスト教化されることを嫌い放浪者になり伝えたダンスであり、イスラム文化の影響が大きいダンスではないかという説もあります。
ジプシーの旅芸人的な性質は、ヨーロッパの大道芸人などやサーカスに影響を残しているとも考えられています。
タロットにせよフラメンコや大道芸にせよ、正統なキリスト教的ではない文化にはヨーロッパは異端の烙印を押すことが多いため、それらの正史を追跡することは難しいことがあります。
ジプシー文化は正統なヨーロッパ文化ではなく、その裏側にあたるサブカルチャー的な立ち位置のものです。
まとめ
- ジプシーは元々北部インドから来た人
- ジプシーは差別的な他称で、ロマは自称
- ジプシーの語源はエジプシャン(エジプトから来た人という意味合い)
- ジプシーは歴史的に迫害されつづけてきた
- ジプシーはタロットカードを作ったり、フラメンコに影響を与えるなど文化に貢献
- ヨーロッパにおけるジプシーのイメージは泥棒や浮浪者、芸人など
一般的なヨーロッパの常識とジプシーの独特な放浪生活と、児童を婚姻させる文化はマッチするものではありません。
そのためジプシーのライフスタイルは、多くの国で法律により禁止されています。
ヨーロッパにおいてジプシーのイメージはかなり悪く、現代的な暮らし方とは言いにくいものです。
ジプシーがもつ独特な文化も衰退していくことが予想されます。
しかしジプシーが世界に与えた文化的な影響は魅力的であり、ダンスや占いとして、日常に即した気楽な神秘や娯楽として消費されつづけています。
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